今日も生き方のお話です。

個性の強い人ほど、「何マジになってるんだよ」に向き合えると、ファンができやすくなる、というお話をしてみましょう。

 

最後に茶化して終わらせたくなる問題

とあるところで、こういうツイートを見かけたんですよ。

それが、まじめなことを語っているのに、最後に「あー、でもこういうことをまじめに語ると引かれそうなので、スチャラカホイホイ」みたいに付け足して、茶化して終わらせているもので。

 

こういう風に、「まじめなことを語りたいのに、どうしても茶化して終わらせたくなる」ということもあるように思います。

ただ、その背後にある「なぜ茶化してごまかして終わらせたくなるのか」という心理に気づけると、だいぶ変わるように思います。

そしてその心理が分かると、まじめに語ることを恐れなくなって、ファンもできやすくなるように思います。

 

周囲からの「何マジになってるんだよ」という声

じゃあなぜ茶化して終わらせたくなるのかというと、周囲からの「何マジになってるんだよ」という声におびえているからじゃないかなと。

つまり、周囲から見下されたり、嘲笑されることが怖くて、自分を素直に出せないわけです。

だから少し本音を言うけど、すぐに茶化して終わらせて、そうではないように仮面をかぶって、「自分とは合わない周囲」に同調して生き続けると。

 

そしてそのさらに背後には、「傷つきたくない」という、自分を守る思いもあるでしょう。

以前も少し触れましたが、本気で何かに挑戦したのに失敗した場合、自分の無力さと向き合う必要があります。

「自分には能力がなかった」ということを認めるのは、勇気がいることですし、傷つくことです。

 

実のところ、実際は「自分には『まだ』能力がなかった」もしくは「その方向性は合わなかった」なんですけどね。

でも、それでもやはり「ダメだった」という現実に直面するのは、苦しいものです。

特に周囲から見下されることが多い人ほど、もっと見下される要素を周囲に提供することになりますからね。

 

「本気を出していないだけ」の裏にある犠牲

でも、「俺は本気を出していないだけだ」と言って何も挑戦しなければ、少なくとも傷つかないし、世間体は保てます。

だけどその代償として、「現状から出られない」という犠牲があると。

 

その上、「本気を出していないだけだ」と言うと、それを正当化するために、いろんな理屈をこね始めます。

「挑戦しても無駄」、「どうせ失敗するなら、やらない方が賢い」、「挑戦する奴はバカだ」、「変えられるはずがない」、「世の中には、俺たちみたいなダメ人間もいる。それが現実だ」みたいに、やたらとシニカル(皮肉的)な態度になるものです。

で、同類を探して、一緒になって「挑戦して失敗した人」を「それみろ、言わんこっちゃない」と嘲笑して、現状に居続けるんですが。

 

個性の強い人ほど、方向性で人生が変わる

確かに「個性がない人」ほど、そういう側面や現実もあるんですけどね。

個性のない人はどの社会に行ってもほとんど同じなので、「どの社会でもダメ」ということが起こりえます。

 

でも、個性の強い人ほど、方向性を変えることで活躍できることが多いわけです。

それは社会にも個性があって、「こういう要素、こういう人材、こういう個性が足りない」というものが、業種や時期、状況に応じて結構幅広く変化するからですね。

なので「個性のある人が、個性のない人と一緒になって、今属している社会に対してシニカルになる」というのは、さして意味がないように思います。

 

そういう個性の強い人ほど、むしろ変に茶化さずに、自分が進みたい方向性に対して真剣になる方がいいように思います。

実のところ、どんなアホなことでも、方向性を持って真剣に打ち込んでいる人は魅力的なんですよ。

 

「新境地開拓」って、どれも全部最初はアホなこと

というのも、基本的に「新境地開拓」って、どれも全部最初はアホなことだからですね。

自動車会社を興したフォードには、「馬車を使えば楽で低コストに移動できるのに、なんでわざわざ自動車を開発するの?」と言いたくなるかもしれません。

10年前で言うと、イーロン・マスクには「ガソリンを使えば安くて楽に車に乗れるのに、なんでわざわざ電気自動車を開発するの?」と言いたくなるかもしれません。

 

他にも、いろいろあるでしょう。

「人気ジャンルのものにすれば少しでもお金になるのに、なんでそんな地味でニッチなジャンルにするの?」

「大衆ウケを狙えばウケを取れるのに、なんでそんなウケを狙わないの? そんなの好きな人とか、そういうのに困っている人なんて、ほとんどいないよ」

個性に対しては、ツッコミや嘲笑を入れようと思えば、いくらでも入れられる世界です。

 

でも個性の強い人ほど、そういう「見下されるようなことを、まじめにやる」ということに、力を発揮できるように思います。

それは、「見下されるからこそ、誰もやっていない」、「競争率が低いから、今まで誰も成し遂げなかったことを、成し遂げやすい」からだとも言えるでしょう。

 

まとめ

なので、「何マジになってるんだよ」ということに向き合って、むしろ自分軸に対して真剣になることで、可能性を切り開きやすくなると分かります。

特に見下されることとか、嘲笑されるようなことほど、社会的には競争率が低いものです。

 

そういう分野で真剣になって打ち込むことで、新たな分野のパイオニアになることが多いようにも思います。

そして後にその分野がブームになれば、大きなお金が入ってきます。

もしブームにならなくても、競争率が低いので、少しずつでも長期的に収益が入ってきて、安定を作れて安心できます。

 

そういう発想で動いてみると、真剣になることを恐れずに、むしろ「真剣になれるほど、ファンができる」と分かって、吹っ切れて動けるかもしれません。

 

ということで今日は、個性の強い人ほど、「何マジになってるんだよ」に向き合えると、ファンができやすくなる、というお話でした。

今日はここまで~。

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