今日は、普通に日記です。
「なぜ『お兄ちゃん』に甘美な響きがあるのか」という、人生には1ミリも役に立たない、超どうでもいいお話です(笑
たぶん、今年一番の無駄記事です(笑
「お兄ちゃんと呼ばれたい症候群」発症中!
突然ですが、私は物語では、兄妹ネタとか姉弟ネタは大好物です。
特に、主人公が「お兄ちゃん」と呼ばれるようなお話は大好物です。
で、さらにそれが家族的な恋愛物語になると、どストライクです(笑
言うなれば、「お兄ちゃんと呼ばれたい症候群」みたいな感じです(笑
もうね、こういうジャンルの作品はほとんどなくて、昨日紹介したのシスターミニッツも私にとってはどストライクで、神作品だったりします(笑
私が初めて書いた小説「千の夏と、ひとつの冬」も、まさにそれでしたしね。
でも他の人は、全然そういう趣向がないんですよね。
なら、「なぜそれが好きなんだろう?」と考えてみたわけですよ。
なぜ、「お兄ちゃん」という響きにあこがれるのか
おそらくそこには、「年の離れた兄がいる」という要因が絡んでいるように思います。
私は三人兄弟の末っ子なんですが、上とは7つと5つ離れてるんですよ。
だから、もうケンカにもならないんですよね。
小さい頃の7歳差と5歳差って、知識や知恵も力も、大人と子どもぐらいの差がありますからね。
上の二人は歳が近いのでよくケンカをしていましたが、私とはケンカをすることが一切ないわけです。
というか力でも言葉でもかなわないと分かっているから、ケンカになりようがないんですよね(笑
私の方が、ケンカにまで発展させないと。
私が持っている「戦うのが嫌いで苦手」、「知恵と工夫で欲求を解決していく」という性質は、こういうところから来ているように思います。
おそらく兄の方も、それぐらい弱い私を泣かせると親から文句をつけられるだろうから、それなりに妥協してくれていたように思います。
こうして、「お兄ちゃん」と呼ばれたくなる
すると、兄という存在は、幼い私にとっては「絶対に勝てないほど力のある存在」になるわけです。
力があって、それなりに優しく対応してくれるわけですね。
なら、私の中で、「お兄ちゃんと呼ばれる人」イコール「力があって、それなりに優しくて、尊敬される存在」になるんですよ!
だったら、そりゃもう「お兄ちゃん」と呼ばれたくなるのは必然でしょう!(力説(笑
お兄ちゃんネタ、すなわち「主人公が兄的ポジションにいる物語」が好きな人の統計を取ってみるといいでしょう。
きっと、「上とは年の離れた末っ子」の比率が異様に高いんじゃないかと予想したり。
まあ、リアルで兄を持っている女性とか、妹を持っている男性には考えられない世界ですよね。
特に、歳が近いと反発しやすいので、考えられないんじゃないかな、と思います。
リアル友人と同じ名前の登場人物が出てきたら、どうしても感情移入ができなくなるのと同じですね(笑
歳が離れていると、結構変わってくるようにも思います。
まとめ
そして何というか、兄弟構成による心理メカニズムとかも、私はもう大好きなんですよ。
リアルで兄、姉のポジションにいる人は、やっぱり実際に我慢強くて、面倒見がいいんですよね。
そういう優しさというか、包容力が魅力というか。
一方でリアルで末っ子のポジションにいる人は、私みたいに我慢が苦手で、好き放題やるタイプが多いと(笑
これも、そういう行動力や創造力が魅力になるわけです。
物語を見ていても、この辺は出てくるんですよ。
主人公の兄弟姉妹が「いらだつ隣人」として登場すると、「この作者さんは、リアルに兄弟姉妹がいるな」と分かると。
逆に主人公の兄弟姉妹が、主人公を無条件で溺愛するような表現をしていると、「この作者さんは、一人っ子だろうな」と分かると。
でも正直、私はどっちでも大好きです!(笑
ってことで、今日は「なぜ『お兄ちゃん』に甘美な響きがあるのか」という、どうでもいいお話をしてみました。
たまにはこういうのも、いいでしょ。
今日はここまで~。