いろいろ作業中なので、今日は短めに、生き方のお話です。

自分を変えても、自分が負けたことにはならない、というお話をしてみましょう。

 

自分が変わる方が、望みを実現しやすい

SNSを見ていても、「周囲が変わるべきだ。私は変わらない」というスタイルの人って、多いじゃないですか。

だから周囲に対して怒ったり、威嚇したりすることで、必死で周囲を変えようとしていて。

まぁそういう人たちは、一度成長したら自分を変えられなくなるタイプなので、仕方ないとは言えるんですが。

 

その一方で、自分を変えられるタイプの人は、どんどん自分を変える方が望みを実現しやすいように感じます。

それは当然で、「周囲や社会を変えて、その恩恵で自分の願いを実現する」という方法は、回りくどいし大変ですからね。

それよりも、「自分が動いて、自分独自の願いを実現する」という方が、圧倒的に楽に実現できるわけで。

なので起業家とか億万長者、自由に生きられる人には、そういう「自分を変えるタイプ」が多いのは当然だと言えます。

 

自分を変えるのは「負けた」ことになるのか

ただ、そういう「自分を変える」という場合、抵抗感を持つこともあるように思います。

だって、「周囲をそのままにして、自分を変える」ので、「自分が負けた」とか「周囲の正しさを認めて、自分の間違いを認めることになる」とか感じることもあるからで。

 

でも実のところ、自分を変えたところで、自分が負けたことにはならないように思います。

なぜかというと、「何を変えるのか」なんて、ものの見方で感覚が正反対になるからですね。

 

周囲に屈するのか、自発的にするのか

例えば「周囲を変えずに、自分が変わる」という場合、普通は「周囲に屈する」と感じるかもしれません。

でも、合わない場や、嫌な人たちからは「私は周囲の人間関係を積極的に変えてゆく。だから嫌な場や環境からは、どんどん離れる」という風に、自発的な見方もできます

 

そして、周囲の好きな人たちに対しては、「彼らは変化するのに、負担がかかる」ととらえるのもいいでしょう。

すると、「周囲の好きな人たちに負担をかけずに、自分が負担を担ってあげよう」と認識することで、自分が率先して変化して、成功の先例になれるでしょう。

特に高共感な人は優しいので、こういう「自分が負担を担ってあげる」と感じる方が、変化しやすいこともあるかと思います。

 

相手を変えるのは、勝利なのか

逆に、「相手を変える。相手を従わせる」というのは、普通は「自分が勝った」と感じるかもしれません。

でも、自分にとって嫌な場や、嫌な人間関係にいる場合、「相手はもっと自分に対して敵対心を抱く。だからもっと居心地が悪くなる」ともとらえられます。

 

そして周囲の好きな人たちには、「自分は変化する負担を背負わずに、周囲に変化する負担を押しつける」と感じるかもしれません。

すると、高共感で優しい人ほど、こういう「周囲の好きな人たちに、負担を押しつける」というのが苦しくなることもあるわけで。

 

まとめ

なら、「周囲を変えるのを手放して、自分を変える」ことにおいて、自分が正しいのか、周囲が正しいのか、分かりませんよね。

他者を苦しめることなのか、自分を苦しめることなのかも、よく分からないと。

 

なら結局のところ、「長期的に自分が心地よく生きられるようになれて、周囲の好きな人たちに、何らかの形で豊かさを分かち合えれば、それが成功」のようにも感じます。

もちろん短期では、負担を背負うことも多いんですが。

でも、自分で選んだ道であれば受け入れられるし、「現状を出て、よりよい未来に挑める」と分かれば、希望を持てますからね。

そういう未来の希望をエネルギーにして、今の困難を乗り越える、みたいな感覚です。

 

たまに「それって、負け犬のひがみじゃないの?」と感じる人もいるかもしれませんが、実はそれこそが「負けたと考えている」、「勝ち負けから離れられずにいる」ということです。

「正しさなんて、分からない」という俯瞰的な視点を持てると、そのこだわりは手放せます。

 

すると、「勝った、負けた」という感覚に惑わされずに、自分を変えてゆけるかもしれません。

 

ということで今日は、自分を変えても、自分が負けたことにはならない、というお話でした。

今日はここまで~。

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