今日も、生き方のお話です。

「世の中には嘘があふれている。だから本当の弱者を見極めよう」というお話です。

 

世の中には、嘘があふれている

最近は金融を通して「世の中の仕組み」についていろいろ見ているんですが、少しずつ分かってきたことがあるんですよ。

それが、「世の中には嘘があふれている」ということですね。

これは明快な嘘だけでなく、「本当は因果関係がよく分からないことを、あたかもそれが正解のように説明していること」も含まれます。

 

特に金融業界では、これがよくあるんですよね。

以前も触れましたが、例えばニュースで「こういう事件があったから、株価が下落した」とか、「こういう好決算があったから、こういう値動きをした」とか、よく因果関係を説明しているものです。

でも、同じような事件があっても株価は上がることがあるし、同じように好決算があっても下落することもあると。

つまり、因果関係がよく分かっていないのに、さもそれが事実であるかのように説明していることがよくあるわけです。

 

おそらく私の場合、そういう「真実かどうかは分からないと、疑うこと」に慣れたんでしょう。

すると、もう世の中にはいろんな嘘が見えるようになってきたんですよ。

 

ベネズエラでの市民インタビューの嘘

例えば私の場合、海外の人たちの状態とか、貧しい国々の経済状態とか、いろいろ知りたかったりします。

なので、ベネズエラ(アメリカの経済制裁で、最近最も貧しくなった国の一つ)のドキュメンタリー動画を見ていたんですが。

 

それで、気がつくことがあるわけです。

ベネズエラの街角で、市民のおばさんにインタビューをしているんですが、おばさんは「こんな経済で、生きていけるわけがない。買い物すらできない!」と嘆いていると。

でも、よくよく見てみると、そのおばさんはショッピングで買ったきれいな紙袋を持ってるんですよ!(笑

しかも明らかに高級ブランドのデザイン紙袋だし、買ったばかりのきれいな状態で持っていると。

 

いろんな嘘がある

他にも、「ベネズエラは今、大変悲惨な状況になっています。経済は麻痺、物は動かず、何もかもがどん底の状態です」とナレーションで言っていて。

でもその映像の後ろでは、車がじゃんじゃん走っているわけです(笑

ベネズエラは産油国なので、経済制裁で海外には売れないんですが、自国では使えるんですよね。

まぁもちろん車が走っているのは都心部だけでしょうが、それでも「言ってることと、現実が違うやろ!」とツッコミを入れたくなるわけです。

 

それとか、インドのムンバイ動画でも、貧困層のインタビューで、男性経営者が「こんなに貧しくみじめな生活、耐えられない!」と涙を流しているわけです。

でも、その経営者は汚れ一つない、すっごいきれいな白服の正装をしてインタビューを受けているんですよ!(笑

その後ろではその会社の労働者がいるんですが、彼らこそ油まみれな状態で働いていて、「よく言うわ」みたいな顔でその経営者を見ていたり(笑

 

誰かが言っていたんですが、その昔、ロシアが貧しい時期、テレビのインタビューで、市民が「食べ物がなくて苦しい」と訴えている内容があったようで。

でもそれを見て、ある人は「嘘だね」と見抜いたわけです。

なぜかというと、「インタビューを受けている市民が、血色もよくて、太っているから。食べ物がなくて苦しいなら、そんなことはない」とのことで(笑

実際にロシアは食料輸出国だし資源国なので、経済は悪くなっても、食料やエネルギーは余るほどあるんですよね。

 

どんどん嘘に気づけるようになる

そういうのが分かると、どんどん嘘に気づけるようになりますから。

それはきっと、彼らは「自分が不幸で被害者である」かのように振る舞うことで同情を買い、自分をより優位に立たせようとする、そういう戦略なんだろうと思います。

まぁ、外向型がよくやる手段です。

 

外向型の社会では、自分の利益を確保するために、よく「何かのふりをする」という手段が特に使われます

相手が大きな格上だと分かれば、彼らは「私たちはか弱い被害者です!」と涙ながらに訴えて、同情を買い、少しでも分け前を得ようとします。

相手が同程度か、少し格上だと分かると、「俺はすごいんだ!」と威圧して、自分を大きく見せて相手を退けようとします。

相手が格下だと分かれば、彼らは「この役立たずが!」と怒鳴って、自分が絶対であるかのように見せて、相手を動かそうとします。

 

社会の中心ほど「ふりをして、奪い合いをする場」になる

これは、高共感な人とか、工夫ができるタイプの人からすると、とても「誠実ではない」と感じるように思います。

だって、「目上の人にはこびへつらい、目下の人には絶対服従させる」という、典型的な外向型の性質だからですね。

高共感な人からすると、「弱者を痛めつけるのが信じられない」と感じるものです。

そして工夫ができるタイプの人からすると、「相手の地位で態度を変えるなんて、一貫性のない人たちだ」と感じるもので。

 

とはいえ、それが社会なんですよね。

社会では、社会の中心になるほど、そういう「ふりをして、奪い合いをする場」になる、ということです。

だから、「高共感で他者のためになりたい」と思っている人とか、「工夫ができるタイプで、自分の価値観に誠実に生きたい」と思っている人にとっては、社会に無知であるほど苦しくなりやすいように思います。

 

嘘を見抜いて、惑いを減らそう

でも、そういう「社会は、ふりをして奪い合いをする場である」と分かると、うまく嘘を見抜けて、惑いを減らせそうに思います。

単純に相手の言葉や嘆きを見るのではなくて、その人の全体像とか、状況全体を見るわけです。

すると、嘘か真実かを見抜きやすくなるでしょう。

 

そういう意味では、SNSのように、短い言葉だけで判断するのはだいぶ危険だと分かります。

特にTwitterのトレンドみたいに、「短い言葉だけの情報が、大量に出てくる」という媒体は、惑わされやすいと分かります。

それは、すぐにはその人の性質だとか、物事の背景までを見抜けないからですね。

まぁその発言者をよくよく見てみると、「ふりをしているだけだ」と分かるんですが、トレンドや表面だけを見ていると、その辺が見抜けずに、惑わされやすいように感じます。

 

まとめ

そういう意味でも、社会的な発言には、だいぶ嘘があふれているようにも感じます。

 

そしてそういう「被害者や弱者のふりをしている人」を助けても、何もなりません。

むしろ、そういう相手を助けると、相手は「よしよし、うまくいった。またこの方法で儲けよう」と、さらに悪知恵を働かせるだけです。

すると、本当に助けを求めている弱者を助けられなくなりますからね。

 

私の中では、本当の「救いを求めている弱者」って、「救いを求めて声を上げること」ですら絶望してあきらめているように思います。

そういう人たちを見つけられたり、届けられるようにしていくことが、大切かなと。

ある意味、「怒りの主張をできる時点で、まだ十分に元気」だということです(笑

 

これが分かると、変な情報にも惑わされずに、自分の助けたい人を実直に助けられるかもしれません。

 

ということで今日は、「世の中には嘘があふれている。だから本当の弱者を見極めよう」というお話でした。

今日はここまで~。

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