今日は、生き方のお話です。
周囲から価値を比較されて生きると、成功するほど自殺率が高くなりそう、というお話です。
なぜ成功したのに自殺したのか
時々、「有名な俳優や歌手が、若くして死んだ」みたいなニュースがありますよね。
ああいうニュースを見るたびに、私の中ではよく考えることがあるんですよ。
それが、「あの歌手やあの俳優は、なぜ自殺を選んだんだろう?」ということですね。
私の中でトップクラスの衝撃が、リンキンパーク(アメリカの有名音楽バンド)のボーカルの自殺と、ホイットニー・ヒューストンの自殺だろうと思います。
なぜその2人が私の中で印象深いのかというと、それが「2人は共に、ビジネスや表現者としての成功者だったから」じゃないかと思います。
だって、「それだけの権利収入と財産があれば、死ななくても一生遊んで暮らせるやん!」とか思うでしょ(笑
「財産を得たのに、死を選ぶ」の衝撃
そもそも私たちは、「お金や成功がもっとあれば、もっと幸せになれる」と思いますよね。
財産も何もかもを失って自殺するのなら分かるんですが、「財産を得たのに、死を選ぶ」というのは、私にとっては衝撃だったわけです。
「なら、後の人生は好きに生きればいいのに、なぜあの2人は死を選んだんだろう」みたいに。
で、私の中では、自分軸が強い人ほど「比較で得た成功は、苦しみになりうる」かなと思います。
これが分かると、「比較だとか、社会的成功に固執することはない」と分かって、無駄なものを手放しやすくなるかもしれません。
なぜ2人は死を選んだのか
じゃあ、なぜ「比較で得た成功は、苦しみになりうる」と言えるのか。
ならここでちょっと、前述の2人(リンキンパークのボーカルと、ホイットニー・ヒューストン)について考えてみましょう。
彼ら2人に共通するのは、「ビジネスで成功しつつあるのに、同時に薬物中毒とかアルコール依存を持っていた」ということですね。
普通、未来に希望が持てるなら、元気になれるし、ビジネスに集中するじゃないですか。
なのに、彼らはビジネスで光り輝くのと同時に、薬物中毒も強めてしまったと。
光の裏で、影も強めてしまったわけですね。
なぜ自分を殺してまで、成功を追い求めるのか
その根源には、「常に周囲と自分を比較してしまう」という、比較のクセがあるように思います。
で、このクセがあることで自分軸を殺してしまい、社会的な成功を優先して求めやすくなるように思います。
そもそもなぜ薬物やアルコールに依存してしまうのかというと、「自分を殺してまで、成功を追い求めたから」かなと思います。
その成功スタイルが、自分軸とはうまく合っていなかったわけですね。
だから成功すると同時に、ストレスを発散する必要があって、薬物とかアルコールにのめり込んだんじゃないかと思います。
もし自分の個性に合ったスタイルを貫いていれば、ストレスを抱える必要はないんですから。
確かに社会的な成功は得にくいかもしれませんが、薬物やアルコールに頼ることはなくなります。
なぜそこまで「成功しなければならない」のか
じゃあ、なぜそこまで「社会的に成功しなきゃいけない」と思い込んでいたのか。
その根底には「周囲からの比較」と「自分は無価値だ」という思い込みがあるのかもしれません。
まずは、幼い頃から常に周囲と比較されて生きることで、「人間の価値は、比較によって生まれる」と思い込みます。
同時に、自分が無価値だと感じる何らかの原因があることで、「自分に価値が欲しい」と強く望むようになってしまいます。
すると、「自分の存在価値を証明しなきゃいけない。周囲よりも優れていると、見せつけなきゃいけない」と思い込むようになってしまうと。
特にリンキンパークのボーカルは、幼い頃に虐待を受けていたようで、自分の価値に対する疑問が強かったのかもしれません。
だから、価値を証明するために、「自分を殺してまで、成功を追い求める」ということをしやすくなるわけです。
「自分を殺した成功」は、成功しない方がいい
で、もし成功できなければ、それで「こんな苦しいだけのことは、無駄だ。やめよう」とできるんですよ。
だけどもし「運悪く」成功してしまった場合、「自分を殺して、成功を追い求める」のサイクルができてしまいます。
成功すればするほど、自分の生きたいスタイルとはかけ離れていきます。
さらには、どんどんストレスが強くなっていきます。
そして気がつくと、「自分の価値を証明し続けるには、自分を激しく殺し続けなければいけない。それを一生続けなければいけない」という状態に陥っているわけです。
「成功したからやめる」ができない理由
そしてそんな状態では、「成功したから、もうやめます。残りの人生は、権利収入で自由に生きます」とは言えないんですよ。
だって、そうすると周囲から反発を得たり、周囲の人を裏切る痛みもあったり、そもそも自分の無価値さを証明することになるんですから。
本来なら、そこで自分に向き合って、「無価値とか、周囲との比較とか、価値が欲しいという思い込みから離れればいいんだ」と分かればいいんですよ。
でも、成功しているほど毎日の仕事に忙しくて、そんな風に自分と向き合う余裕が取れません。
だから、「自分を殺す成功」から離れられなくなるわけですね。
すると、「自分を殺し続けて、成功を維持すること」と「自分を生かすために、周囲を裏切ること」の間で、板挟みになって苦しんでゆきます。
そういう板挟みの状態になると、猛烈な疲弊をするものです。
深い悩みを抱えたら、どれぐらい体力的に疲弊するのか、これは実体験をした人は多いんじゃないかと思います。
だから疲れて、死にたくなる
結果として、強烈な疲労感を得て、死にたくなると。
私の中では、「人は何か失って死ぬのではない。人は疲れるから死にたくなる」と思ってます。
「この疲れや苦しみから解放されて、楽になりたい。安らぎを得たい」と、救いを求めるから死を選ぶんだと。
つまり自殺をする人にとって、死は「苦痛」ではなく、「救い」なわけですね。
なので、そういう人に対して「みんな頑張っているんだ」とか、「みんな同じように苦しんでいる中で、生きているんだよ」なんて助言は、相手を苦しめるだけになりやすいと。
こうして、「自分の存在価値を証明するために、自分を殺して成功を求めて、運悪く成功してしまって、成功から逃れられなくなって、自殺を選ぶ」という流れになったんじゃないかと思います。
だから、「それだけの権利収入と財産があれば、死ななくても一生遊んで暮らせる」という選択肢を選べなかったんじゃないかな、と。
まとめ
そういう「自分を殺して生きた、その結果の成功」が、人を殺すこともあるように思います。
その根底には、周囲から比較されて生きることによる、「自分の価値を証明したい。見せつけたい」という思い込みがあるのかなと。
その場合、自分軸が強い人ほど、「早めに自分の内面と向き合い、軌道修正する」という方がいいのかもしれません。
間違って成功してしまうこと自体が、苦しみをもたらすんだと。
裏を返すと、「質素でも、内面と向き合える人は強い」、「自分を殺して成功しても、合わなければ成功を手放せる人が強い」と言えるかもしれません。
すると、うまくバランスを取りつつ、「自分を生かして豊かになる」ということができるかもしれません。
ということで今日は、周囲から価値を比較されて生きると、成功するほど自殺率が高くなりそう、というお話でした。
今日はここまで~。