今日も、生き方のお話です。

「一つのことを続けられない」ではなくて、「どれぐらいの期間を続けられるか」があるだけ、というお話です。

 

「私は一つのことを続けられない」という言葉

よく、「私は一つのことを続けられないんです」っていう人、いますよね。

周囲はいろんなことを続けられるのに、自分は続けられずに、興味の対象がころころ変わってしまうわけです。

 

で、最近ふと思ったんですよ。

「一つのことを続けられない」ではなくて、「どれぐらいの期間を続けられるか」があるだけかな、みたいな。

なので今日は、そんなお話をしてみましょう。

 

人生のステージをどんどん変えてきた過去

ここ最近の私は、いろいろ日常生活を変えていたり、新たな世界に触れています。

それでふと過去の自分を振り返ってみると、私は今までどんどん人生のステージを変えてきたわけです。

古くは趣味のイラストや小説をしていたんですが、そこから卒業して。

その後、曲作りを卒業して、ゲーム制作を卒業して、アニメ制作とか開発技術研究も卒業して、自己啓発本とか心理本、作家向け本の執筆も卒業して……みたいに、いろいろ変えてきて。

 

こういう流れを見ると、「一つのことを続けられない性質なのかも」みたいに感じて当然ですよね。

でも、よくよく考えると、それは「どれぐらいの期間を続けられるか」という性質のようにも感じます。

 

期間別に見てみよう

これは、自分の中で楽しめるサイクル」を、期間別に見てみると分かりやすいように思います。

 

私の場合、「新鮮な体験のサイクル」が好きだったりします。

言うなればこれは、「新たに作りたいものを見つけて、新たに学んで、試して、実際に作って、仕上がって喜ぶ」というサイクルのことですね。

 

私にとってはこの体験はとても心地よくて、つい「ずっとこの心地よさを味わっていたい」と感じるぐらいなんですよ。

なので、「この心地よさを、集中して味わいたい」と、一つの「新たに触れ始めたこと」に熱中しやすくなるんですが。

 

体験のサイクルを、期間別に組み合わせる

そして私の場合、この「新鮮な体験のサイクル」を、期間別にうまく組み合わせています

言うなれば、期間別にそういうサイクルがある、ということですね。

 

私の場合、細かい単調作業では、新たに学んでから3ヶ月ぐらいなら続けられます。

例えばプロットシステムを作っていた時は、「通信機能を実装しよう」、「インターフェースを作ろう」というレベルであれば、3ヶ月ぐらいはモチベーション高く作業できます。

ゲーム制作でも、「武器を実装しよう」、「マップを作ろう」と始めると、3ヶ月以内ぐらいで仕上げようとします。

そして、新たに学んで、試して、仕上げて、「できたー!」と喜ぶわけですね。

 

より長い期間で楽しめるもの

で、1つの作品レベルになると、大規模なものであれば、3年ぐらいは続けられます。

プロットシステムにしろ、ゲームにしろ、それぐらいが限度かと思います。

まぁ私の中では、1年半ぐらいで仕上げるのが一番心地よいぐらいで、3年にも長引くとだいぶ苦しむんですが(笑

これも同じように、1年半~3年ぐらいで新たな分野や業界を学んで、試して、仕上げて、「できたー!」と喜ぶわけです。

 

で、さらに大きく「ゲーム制作」とか「開発技術研究」みたいになると、10年単位ぐらいになるのかもしれません。

そして「ブログ」とかになると、もう10年以上続けている、だいぶ長いものになります。

当然この中でも、「新たに学んで、試して、仕上げて、できて喜ぶ」というサイクルがあります。

 

そしてどれも、最終的に新たに学べることがなくなると、飽きて卒業すると。

 

「どれぐらいの期間を続けられるか」というだけ

すると、こういうのって「どれぐらいの期間を続けられるか」という問題ですよね。

確かに「続けられない」という見方もできますが、より詳しく見てみると、「どれぐらいの期間を続けられるか」という問題でしかありません。

 

なら、「続けられない」というのは、実際は続けられないのではなくて、「自分の短期側しか見ていないだけ」とも言えるかもしれません。

他の人の「長期的に続けていること」を見て、それと自分の「短期で終わらせているもの」を比較して、「私は続けられないんです」と嘆いていると。

そういうことも多いように感じます。

 

尺度が違うものを比較する錯覚

でもこれって、尺度が違うものを、「同じ尺度だ」と勘違いして、比較しているだけなんですよね。

例えば誰かが「俺はお金を10億持っている。お前は100万だけだ」と言って、私たちを見下すかもしれません。

でも、相手がジンバブエドルで持っていて、私たちは日本円で持っている、ということもありうると(笑

 

そういう尺度が違う比較をすると、実際は私たちの方が価値を持つのに、勘違いで「私は劣っている」と感じてしまうわけです。

「他の人は続けられているのに、私は続けられない」というのも、同じですね。

 

まとめ

なのでそういう「私は続けられない」と感じる場合、自分の人生とかライフサイクルを、より長期で見てみるのもいいように感じます。

すると、「一つのことを続けられない」ではなくて、「どれぐらいの期間を続けられるか」があるだけのように感じます。

 

これが分かると、周囲との「尺度の違う比較」を手放せて、より冷静に自分を見つめられるかと思います。

すると、より自然な人生の流れに目を向けられて、これから続けることと、卒業してゆくことをうまく組み込めるかもしれません。

 

ということで今日は、「一つのことを続けられない」ではなくて、「どれぐらいの期間を続けられるか」があるだけ、というお話でした。

今日はここまで~。

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