今日は、心理メカニズムについてのお話です。
「なぜ被害者意識を持つほど、現状から出られなくなるのか」というお話です。
被害者意識を持つほど、現状から出にくくなりそう
まぁこのブログでもよく触れていますが、「現状から出たい」ってこと、よくあるかと思います。
そのために、いろいろと試行錯誤したり、もがいたりしているんですが。
それで最近思ったのが、被害者意識を持つほど、現状から出にくくなるように感じます。
なので今日は、そんなお話をしてみましょう。
社会維持と境地開拓
じゃあ、なぜ被害者意識を持つほど、現状から出にくくなるのか。
それが、「被害者意識」=「社会で優位なポジションを得るためのもの」で、一方で「現状から出ること」=「新境地を開拓すること」だからですね。
このブログでも高頻度で触れていますが、人の生き方でも、「社会維持」と「境地開拓」という、2つの方向性があります。
社会維持は、文字通りより社会の中心に移動して、社会的に安定する生き方です。
社会の中心になるほど地位は安定するし、お金や地位などの社会的な力があれば、周囲の人を使うことで楽ができます。
でも、人間的なしがらみが多くなるし、その地位は奪い合いになるので、ストレスが多くて気が休まらないものです。
一方で境地開拓は、社会の中心から距離を取って、より人が少ない場所で新たな生存環境を作る生き方です。
これは人や社会に頼りにくいので、そういう面では不安定です。
でも、人間関係のしがらみが減るし、奪い合いもないので、少数の人と信頼して共に作り上げることができます。
自分に合う場に身を置く
で、私の中では、「自分の性質に合う、ちょうどいい場に身を置くと、心地よく生きられる」ということです。
競争が好きで、ストレス耐性に強い人ほど、より社会の中心が合うでしょう。
一方で、競争が苦手だったり、人間関係でも「狭く深く」が好きな人ほど、より境地開拓側が合うでしょう。
私の中では、「何をするか」、「どの業種か」はさして関係なくて、この「社会との距離感」の方が、より心地よさに影響しやすいように感じます。
被害者意識は、社会で有利になるための戦略
そういう場合、前述のように、「被害者意識を持つ」というのは、社会で有利になるための戦略です。
社会では、被害者になる方がより優位に立てますからね。
特に末端の労働者階級、いわゆる「人に言われたことだけをして、人に従って生きるタイプの人」ほど、被害者として主張することが有効になります。
それは、彼らには個性がないので、平等に扱ってもらうことが最も重要であり、納得できる生き方になるからですね。
裏を返すと、彼らは「不平等に自分が損失を負っている」と主張するほど、支配者側から配慮されて、優遇されるわけです。
そして、社会では多くの人が競争しているので、優遇されたいわけで。
だから多くの人々、特に個性のない大多数の末端労働者階級ほど、社会で「被害者になる競争」をしているものです。
境地開拓では、「被害者」という概念はない
でも、境地開拓になるほど、そういう「被害者」という概念はなくなります。
だって、境地側になるほど、「主張しても影響を与えられない領域」が増えるからですね。
何が加害者で、何が被害者なのか分からないし、「自分が防衛策を準備していたか」という自分の責任にもなるんですから。
例えばライオンに襲われたとしても、相手が人間でない場合、ライオンに「お前が悪い」と主張しても無駄です。
それとか、危険な崖で転落しても、自然に対して「崖が存在することが悪い」と主張しても無駄です。
私たちが主張しても影響を与えられない領域では、「被害者」なんてものはなくて、「生存のために工夫や適応をする」ことが重要になります。
まとめ
なら、現状から出て、より境地開拓側に向かいたい場合、被害者意識は邪魔になるだけだと分かります。
そういう被害者意識は、社会でより優位になるための、奪い合いのための戦略です。
もちろん、社会で末端の労働者になりたい人ほど、どんどん被害者になればいいでしょう。
でも、より自由に気軽に、工夫を重視して生きたい場合、被害者意識は手放す方がいいかなと。
SNSでも、トレンドによく掲載されるような、人の怒りを刺激する「加害者が悪、被害者の怒り」みたいな情報がありますよね。
新境地を開拓する人ほど、ああいう情報や感情から離れると、より協力や工夫ができるし、心地よく生きられる、ということです。
これが分かると、「私は被害者になることから、距離を取ろう」とできて、より豊かさを作れるかもしれません。
ということで今日は、「なぜ被害者意識を持つほど、現状から出られなくなるのか」というお話でした。
今日はここまで~。