今日は、クリエイティブなお話です。

創造的なことは、「脳汁が出るほどの欲望で突っ走る」方がうまくいくかも、というお話をしてみましょう。

 

脳汁で突っ走る方が、うまくいきやすい

昨日の記事で、「妄想を垂れ流していたら、いつの間にかファンができていた」みたいなことを触れたじゃないですか。

自分の中にある「これが面白い」というイメージをどんどん出していると、いつの間にかファンができていることが多くて。

 

私が思うに、クリエイターの場合、こういう「脳汁が出るほどの欲望」で作っている方が、結構いろんなことがうまくいきやすいように思います。

ファンもできるし、自分を好きな人だけが集まるし、だから心地よい反響ばかりがあって楽しいし、批判もないし、独自スタイルもできるし、その上収益も作れてしまうことが多いと。

 

打算的になるほど、うまくいかない

普通は、「頭で考えて、計画的に収益を作ろうと打算する方が、収益を作りやすい」と思いますよね。

でも私の中では、そういう打算的な人ほど競争的になって、収益を作れていないようにも思います。

 

ある意味、計画的に進めようとするほど、「レールの上を進む方が早い」と判断してしまうように思います。

というのも、「計画」をすることで「使えるレール」しか目に入らなくなるわけですね。

だから、本当はレールから外れて生きたいのに、独自性を発揮できなくなるわけです。

 

逆に、自分の中にある妄想的なイメージを元に、脳汁を垂らしながら突っ走っている人の方が、自然とうまくいっているようにも思います。

 

越えてはいけない常識の一線を、軽くぶっちぎる

だいたい「脳汁が出るほどの欲望」で作る場合、思考の制約を外す必要があります。

普通は、「常識人なら、ここから外に出てはいけない」みたいな「踏み越えてはいけない一線」みたいなものがあるものです。

でも、そういう常識の一線を軽くぶっちぎっているから、脳汁が出るわけです(笑

 

これは、実際に妄想してみて、常識の一線を越えてみると分かるかと思います。

例えば「自分にとって理想的な恋人役キャラが、どういう風に自分(もしくは別の好きなキャラ)に振る舞うか」をイメージしてみましょう。

ここでは、「ある日突然、自分の家にその恋人役キャラが住むことになった」とか、「ある日突然、自分(もしくは好きなキャラ)が、恋人役キャラの家に居候するようになった」みたいな状況を設定してみます。

 

すると、最初は常識的な思考が自制するじゃないですか。

流れを考えると、「最初は玄関先で、あいさつをしなきゃいけないかな」とか、「嫌われないようにしなきゃ」みたいに、普通の反応をしようとするかもしれません。

もしくは、「読み手のことを考えなきゃ」、「つじつまを合わせなきゃ」、「流れを考えなきゃ」みたいに、読者について考えてしまうわけです。

 

でも、それって妄想として面白くないですよね。

「常識的な振る舞い」とか「予想できる範囲内」って、つまらないし、全然脳汁が出ないんですよ。

 

常識を外して見よう

でもそこで、理想の恋人役と出会って、最初の恋人役の第一声が「あなたが好きです! 私をどうにでもしてください!」みたいに、ほおを赤らめて情熱的に言われるとどうでしょう(笑

すると、自制心がゆるい人ほど、そこですぽーんと「越えてはいけない思考の一線」を踏み越えて、妄想がぶっ飛ぶことが多いと(笑

 

そして私たちは、その恋人役の特性も知ることになります。

その恋人役は、私たちが「して欲しいこと」をすることが、最高の心地よさと喜びになります。

つまり、私たちが「して欲しいこと」が、恋人役にとって「してあげたいこと」という強い欲求を持ちます。

同様に、私たちが「してあげたいこと」が、恋人役にとっての「して欲しいこと」になると。

 

だから、私たちと恋人役は最高の組み合わせになるわけです(笑

で、私たちが「これをして欲しい」と恋人役にお願いすると、恋人役は「ずっと、こういうことを誰かにしてあげたかったんです」と、感激するわけです。

そして、私たちが「これをしてあげたいな」と思って恋人役に何かをしてあげると、恋人役はほおを赤らめて「ずっと、こういうことを誰かからしてもらうのが、夢だったんです」とか言うわけです。

 

ならもう、こういう妄想をするだけで、私なんて「うぎゃあああ! 尊死(とうとし)するううう!」と叫びたくなるんですが(笑

 

「越えてはいけない常識の一線」を越える

これって、完全な非常識だし、非現実だし、ありえないことですよね。

むしろ、社会的に考えると、こういう妄想はイカれた人がすることで、「してはいけないもの」、「すると、社会から見下されること」と感じるものです。

 

でも、その「越えてはいけない常識の一線」を越えることで、初めてクリエイティビティーが発揮されるわけです。

それは当然で、もう最高に興奮するから、「もっと、もっと!」と突き進んで、欲望を満たせるんですから。

 

そして、どんどん「越えてはいけない、常識的思考の一線」を越えていきます。

つまり、「ありえない」とか「普通でなきゃ」という自分へのしがらみを、どんどん突破していくと。

すると「こんなことをしてもらってもいいの!?」、「こんなことまで!?」みたいに妄想できて、脳内ドラッグがじゃんじゃん出て、止まらなくなりますから(笑

 

「思考の一線を越える禁忌」を犯せるか

だから、「ぐへへ、最高だ……私って天才だ……!」と、ぶっ飛んだ思考で作り続けられるわけです(笑

この「脳内ドラッグに身をゆだねる」という、社会的な禁忌(だと思われていること)に踏み込めるかどうか、ということですね。

 

ある意味、これにハマったら、ドラッグ同様に強烈に夢中になってしまいます。

だって、それだけ作ることが面白くなって、熱中してしまうからですね。

特に、病んでいる人ほどのめり込みやすいと(笑

だから寝食を忘れて作業をしてしまったり、人によっては丸一日集中してしまうことも普通にあるんですが。

 

でも、少なくとも「社会常識とは違うこと」をしようとするなら、多かれ少なかれそういう「常識の枠組み」から出る必要があるわけで。

その「常識の外にある恐怖」に、足を踏み込めるか、ということですね。

 

成功法則作りや、理論作りでも同じ

これは上記のようなストーリー作りだけでなく、何かの成功法則作りとか、理論作りでも同じです。

この場合、上記の「恋人役」が「状況」になるとイメージすればいいでしょう。

 

すると、「私の能力って、もしかするとこういう状況になると、最高に威力を発揮するんじゃないの? これって、状況と相思相愛じゃない!」と分かります。

そうやって、興奮して自分の強みを見つけて行くようなものです。

 

だから、このブログとか、他の論理的なブログでも、おそらく作者は脳汁垂れ流しで「ぐへへ……」とよだれを垂らしながら書いていると思うんですよ(笑

普通は、「こういうロジックを書く人は、きっと理路(りろ)整然としていて、冷静に、知的に書いている」とかイメージするかもしれません。

でも実際は、脳内ドラッグをキメて、半分よだれを垂らしながら、妄想で突っ走っているだけですから(笑

最後に少しだけ、読み手が読みやすいように、ちょろっと調整しているだけです。

 

だから、ファンもできるし収益も作れる

ただ、そういう風にぶっ飛んでいるから、普通ではないものができるし、欲望を満たすものが作れます。

だから常識を越えた「相性のいい組み合わせ」を徹底的に作れて、可能性を見つけて興奮できるし、ファンができやすいと。

 

そして、そういう内容は、同じような個性を持つ人にのみ響きます。

だから、一般には理解されなくても、ディープに共振するファンが集まります

さらには批判もないし、むしろ妄想を強めて出せば出すほど、ファンからは大喜びしてもらえます。

 

また、そうやって脳汁を出していると、脳汁の出ない作業(=しんどいこと、意味のないこと)はしたくなくなるんですよ。

だから、制作でも面倒くさいことは最低限にすることで、「自分もファンも、最も脳汁を味わえる」ための独自スタイルができます

いわゆる、「無駄を省いた、とがったもの」ができると。

 

すると、自然と「最小限の作業量で、最大限に自分の強みを発揮できている」という状態になるわけです。

また、同時にそうすることで、強いファンを得て、収益も作れることが多いと。

これって、とても有機的な連鎖ですよね。

 

まとめ

なので私の中では、頭で考えるよりも、こういう「脳汁が出るほどの欲望で突っ走る」方が、圧倒的にうまくいきやすいように感じたりもします。

 

そして、その「精神的な、越えてはいけない一線」を越えられるか、ということだろうと思います。

本当は、その一線とは「自分が勝手に作った、自分の中の制限(恐怖心)」でしかないんですけどね。

「現状から出る」とか「常識を外す」というのは、そういう「恐怖心の制約」でもあるように思います。

 

「どのラインまでなら、人でいられるか」は、私にも分かりません(笑

でもまぁ、共感性が高いタイプは自制心が強いので、そういう人ならそれなりに戻ってこられるので大丈夫かなと思います。

一方で、共感性が低いタイプで病的な人ほど、本当に退廃的になったり、廃人になるまでのめり込んでしまうんですが。

まぁその辺は、ほどほどにしつつで(笑

 

でも、そうやって「社会常識ばかりの領域」から出てみると、心地よく新たなものを得て、使命感も味わえるかもしれません。

私はそれができる素質を持つ人を「境地開拓型」と呼んでいるんですが、まさにそれが「社会にいると安全」という一線を越えて、冒険に出られる人だろうと思います。

で、ちゃんと帰ってきて人を喜ばせられる人が、本当の「境地開拓型」かな、とも思います。

 

ということで今日は、創造的なことは、「脳汁が出るほどの欲望で突っ走る」方がうまくいくかも、というお話でした。

今日はここまで~。

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