今日は、生き方のお話です。

「すでに便利な場」と「工夫でもっと便利にできる場」は違うので、どちらが欲しいのかを見極めよう、というお話です。

 

毎日不安ばかりで、工夫をしても無駄になる人

SNSで、こういう人がいたんですよ。

それは毎日不安や心配ばかりを持っていて、自分でも「なんでこんなに不安で心配なんだろう?」とあきれている人でした。

で、不安なのでいろいろ工夫をして対策をしているんですが、すべて無駄になって「自分でも、バカみたい」と落ち込んでいたんですが。

 

私の中では、そういう「不安を持てて、工夫ができること」は一つの才能だと思うんですよ。

というのも、変化する時代とか、リスクが高い状況ほど、不安を持って事前準備しておくことで、乗り切れますからね。

生命は、そういう「多めに準備をしておく種」を用意することで、リスク時でも生き延びられてきたわけです。

だからそういう「不安を持てて、工夫ができる人」は、混乱した時代とか、激動の時代ほど「準備していてよかった!」と生き生きとできるんですが。

 

そういう性質の場合、安定して便利に生きられる時代や場所では、苦しくなりやすいんですよね。

だって、「不安を持てて、工夫できる」という才能を生かせないんですから。

だから、今日の本題である、「すでに便利な場」と「工夫でもっと便利にできる場」は違うので、どちらが欲しいのかを見極めよう、ということです。

 

「便利な場」と「工夫できる場」はまったくの別物

「便利な場」と、「工夫でもっと便利にできる場」は、似ているように見えて、まったく別のものなんですよ。

 

「便利な場」というのは、言うなれば「エネルギーを使わずに生きられる場」です。

便利であれば、毎日をより楽に過ごせますからね。

なら、工夫や改善が苦手で、現状維持に心地よさを感じる人ほど、「便利な場や状況が欲しい」と願います。

 

一方で「工夫できる場」というのは、「創造的なエネルギーを発揮できる場」です。

これはどちらかというと、「現状維持や管理は苦手。新たなものを作って、工夫でよくしていくのが好き」というタイプの人が好むものです。

これはクリエイターとか、アーティストに多いタイプですね。

 

工夫が好きな人には、不便でも工夫できる場の方がいい

ならば工夫が好きな人にとっては、「不便でも、工夫ができる場の方がいい」と分かります。

だって、欲しいのは「便利な状態に居続けること」ではなく、「便利にしてゆけること」なんですから。

そして工夫をして便利にすることで、「楽しい! 面白い!」と生き生きとできて、充実感を持てるタイプです。

 

ある意味、「家が欲しいのか、家を作りたいのか」という違いと同じです。

欲求の向かう場所が、微妙に違うわけですね。

 

「無人島でサバイバル」にワクワクできるか

これは例えば、「もしあなたが無人島に置き去りにされたら、どうする?」と言われて、どう感じるかで性質が分かるかと思います。

数週間か、数ヶ月か、まぁ適度な期間ほど、無人島でサバイバルをしなきゃいけなくなったとしましょう。

そこでは、古い小屋や最低限の道具は発見できるんですが、それ以外はすべて自分で作って確保しなきゃいけない状況です。

 

そういう「無人島でサバイバル」という状況を前にして、ワクワクできるのが「工夫でもっと便利にできる場が欲しい」というタイプです。

こういう工夫が好きなタイプは、「工夫で毎日の生活をよくしたい。それを他人にも教えて、問題を解決してあげたい」という欲求が強いし、実際にそれができる能力を持ちます。

仮説や推論もできるし、物事の本質を見極められるし、効果的に改善点を見つけてゆけるでしょう。

たとえ人生初期で内面に問題を抱えたとしても、少しずつでも解決してゆけるタイプです。

 

「できるだけのことをしたら、その場から出る」というスタイル

また、こういうタイプの人は、「できるだけのことをしたら、その場から出る」というスタイルになりやすいでしょう。

工夫をしていると、必ずいつかは改善に限界が来るものです。

 

「十分に便利にできて、自分は力を発揮できなくなった。もうこれ以上は発展できないな」

「これ以上は、自分が工夫をしても、周囲を喜ばせられなくなった」

そんな風に、「もうこの場では、私がいなくても大丈夫だ」と分かるタイミングが来るものです。

 

なら、そこで「自分は十分にやった。楽しめた」と、その場から出るわけです。

改善できない場に居続けても、もはや満足しない相手に尽くしても、無駄ですからね。

それが親であろうと、上司であろうと、「あなたはもう十分大丈夫。私がいなくても、生きていけるよ」とほほえんで、相手を祝福をして別れます。

で、より喜んでもらえる場に移る方が、十分に生き生きとできる、という生き方です。

 

困っている人を助けて渡り歩いていく生き方

私はそういう「困っている人を助けて、旅のように場を渡り歩いていく」みたいな生き方もいいと思うんですよ。

普通は、「一つの場所に定住する方が素晴らしい」ですが、「旅のように渡り歩いて、いろんな場をよくしてゆく」というアプローチです。

 

旅をする場合でも、観光名所とか成功者がいる場所に行くのではなく、あえて貧しい地域とか、苦しんでいる人たちがいる場に向かうと。

そこで劣った生活や実情に触れて、問題を知り、自分の工夫できる力を発揮してゆくわけですね。

 

これはある意味、「成功者の社会に這い上がる」のではなく、「今の自分が成功者だと知り、下の社会に降りて、工夫できずに苦しんでいる人々の力添えをする」とも言えるかもしれません。

そうやって、「新たな場に移って、学んで、工夫をして、形を作る」というサイクルを回して、楽しんで生きる感覚です。

私とか、こういう生き方は特にあこがれるんですが(笑

 

まとめ

そういう風に、「すでに便利な場」と「工夫でもっと便利にできる場」は似たようなものに見えて、まったく正反対の生き方になるように思います。

で、どちらの場を求めるかで、生き方も充実感もだいぶ変わるように思います。

 

私の中では、工夫が好きな人ほど「何もかもが便利で、他の人がやってくれる場」というのは、つまらなくなりそうに思います。

もちろん、最初は「すごい! ゴージャスで贅沢だ!」と感動するとは思うんですけどね。

でも、すぐにそういう便利な状況に慣れて、「つまらない。生き生きとできない」と飽きて苦しむように感じます。

すると、冒頭に示したような、「不安ばかりで、工夫や準備をしても、何も役に立たない」となって、力を発揮できなくなると。

 

だからそういう贅沢はたまに味わう程度で、どんどん「劣った場」とか「人々が苦しんでいる場」に向かうのもいいかなと。

すると「自分にできることがある」と分かって、より工夫力とエネルギーを発揮して生きられるかもしれません。

 

ということで今日は、「すでに便利な場」と「工夫でもっと便利にできる場」は違うので、どちらが欲しいのかを見極めよう、というお話でした。

今日はここまで~。

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