今日は、クリエイティブな生き方についてお話ししてみましょう。

「クリエイティブに生きるというのは、プラモデルを楽しむようなもの」というお話です。

 

クリエイティブな楽しみは、プラモデルの楽しみ方と同じ

私はクリエイティブに生きることが大好きな人なんですが、クリエイティブでない人にその面白さを伝えるのって、難しいですよね。

そんなときに、「これってどういう面白さなんだろう?」って考えたんですよ。

だったら、「ああ、これはプラモデルを楽しむ感覚と同じだ」って気づいたわけです。

 

小さい頃、プラモデルが大好きだった人が多いんじゃないかと思います。

プラモデルだけでなく、レゴとか積み木も、同じようなものですよね。

 

プラモデルって、わざわざ未完成品を仕入れてくるじゃないですか。

それを、自分で組み上げていくわけですね。

あの「組み上げていく作業」って、すっごい集中して、面白いと感じますよね。

この面白さだと思うんですよ。

そして、例えば色を工夫したりして、自分なりに好みに仕上げてゆくと。

 

クリエイティブな人生って、これと同じで、プラモデルのように自分の人生を作り上げる、みたいな毎日かなと思います。

集中するだけでなく、「おおー、胴体が完成した!」とか、「土台の部分ができた!」とかいうときでも、なんか達成感がありますよね。

そして、自分が大好きなもので、自分好みで、しかも思い通りの人生が仕上がっていくんですから。

だから、毎日がすっごい集中できて、エキサイティングなんですよ。

 

自分好みのものを作ると、比較することがなくなる

私は幼い頃、レゴとかプラモデルが大好きでした。

年の離れた兄がいたので、レゴでも兄貴が作るとすっごいドラゴンとか作っちゃうんですよ。

それを見て「すごい!」と思って、私も作ったりだとか。

当然5歳とか7歳とか離れているので、私が作るものはへぼいんですよ。

それでもなぜか、仕上がったら「やった! いいのができた!」と満足できるんですよね。

 

なんと言うか、「自分好みのもの」を作った場合、周囲と比較することがなくなるように思います。

仕上がりがへぼくても、自分にとっては「最高のものができた!」と満足できるんですよね。

そもそも「自分がイメージしているもの」って、世界に一つしかないので、比較しようがないんじゃないかと予測するんですが。

そして、「次に作る時は、もっといいものができるぞ」と希望を持てるので、改善点をどんどん反映できるわけです。

でも自分好みではないものをした時って、やっぱり競争をしちゃうんですよね。

 

で、自分好みのものばかりを作っていると、自然と「無駄なものはいらない」ってなってくるんですよ。

だって、自分の周囲には、「本当に自分が好むもの」しかなくなるんですから。

無駄なものっていうのは、「自分のスタイルに合わないもの」ですね。

あれば何でもいいんじゃなくて、自分なりのスタイルというか、こだわりみたいなものができてくると。

だから、捨てるのが快感になるんじゃないかな、と思ったりもします。

 

そしてその自分なりのスタイルを、私はどんどん周囲に与えている、ということですね。

スタイルとか生き方って、どれだけ与えても減りませんしね(笑

 

まとめ

だから、クリエイティブな生き方というのは、そういうプラモデルを楽しむような楽しみ方かなと思います。

作るのが自分の人生なので、もうプラモデルとは桁違いの楽しみというか、集中度になりますから。

しかも、ダイレクトに自分の人生がよくなるので、もうやめられなくなっちゃうんですよね。

どんどん難しいプラモデルを作りたくなって、豊かになってゆくと。

そうやってできたのが、私の作品であったり、ブログであったり、制作技術だったり、自由に生きる毎日だったりするわけです。

 

楽しくて、集中できて、しかも安く仕上げられて、世界で一つしかないような自分好みに仕上げられるとか、最高でしょ。

「へぼくても満足できる」ってのは、ほんと楽しい状態ですから。

で、へぼくても、なぜか短期間ですっごい能力が上がっちゃうんですよ。

それは満足できて楽しいから、短期間で技術を身につけられるんじゃないかな、と思ったりもします。

 

私はそういう風に、「毎日を遊んで、人生を組み立てている」って感じで生きてます。

こういう生き方も、いいんじゃないかと思います。

 

ということで、今日は「クリエイティブに生きるというのは、プラモデルを楽しむようなもの」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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