今日は精神的なお話です。
依存と利用の違いは「選択肢を探し続けようとすること」かな、というお話です。
自立とは、依存先を増やすこと
だいぶ前の記事でも書きましたが、「自立とは、依存先を増やすことである」という概念を初めて知ったとき、私の中では結構衝撃だったんですよ。
Twitterでもまれに見かける内容なので、知っている人もいるかと思います。
元は、脳性麻痺を持つ大学教師のこの記事(東京都人権啓発センター)だったわけですが。
こういう発想だと、今までの「依存してはならない」という脅迫されたような状態から、「どんどん依存先を増やせばいいんだ」という安心して動ける状態になれるんですよね。
そしてそういうアプローチの方が、より気楽に動けて、可能性を増やせるように感じます。
で、私なりにもう少し細かく言うと、依存と利用の違いは「選択肢を探し続けようとすること」かな、ということですね。
これが分かると、より自由に可能性を広げられるかと思います。
依存と利用との違いは「自分が選んでいるか」
「依存する」っていうと、なんだかすがりついているようで、言葉があまりよろしくないような印象だったりします。
逆に、「利用する」とすれば、自発的に選んでいるイメージがあって、こっちの方が健全な印象かな、と思います。
いやまぁ、「人を利用する」とか言うように、ちょっと悪いイメージがあるにはあるんですが、それでも「依存」とは対極となる、自立的な言葉ですよね。
で、依存心と利用心との違いは、「自分が選んでいるか」という主体性があるかどうかかな、と思います。
すなわち、依存する心とは「選ばされる」とか、「それ以外の選択肢を排除されている」という状態で。
一方で、利用する心とは、「多くある中から、これが最適だと自分が選ぶ」という状態です。
他のよりよい選択肢を探し続けると、自立できる
だから、「自立する。依存から脱却する。自由になる」というのは、「他のよりよい選択肢を探し続けること」だと言える、ということですね。
すなわち、選択肢を探し続ければ、自然と自立できることになります。
新しいものに手を出してみて、試行錯誤して、ダメなら手放して、いいものは新たに組み込んで。
人生でそういう新陳代謝をどんどん加えていくのが、自立することであり、依存から脱却することでもあり、自由になることかなと思います。
実際、どんどん自由になれる人って、新しいことへの好奇心が強いように感じます。
それは、好奇心を持つことで、新たな領域にどんどん出て行けるからですね。
逆に、依存的な状態になるほど、好奇心が出てこなくなるように感じます。
そして、「自分にはこれしかない」とか、「どうせ自分はこんなものしかない」みたいに、「選ばされている」という感覚になるんじゃないかなと。
「人生のコントロール権」を、誰が持つのか
そういう「人生のコントロール権」を、誰が持つのか、ということです。
そして、支配的な親の下で育ったり、すぐに「子を加害者にして、自分は被害者になる」ような親の下で育つと、そういう人生のコントロール権を奪われてしまうわけです。
それは、「逆らうと生きていけなくなる」という恐怖があるから、従わざるを得なくなって。
そうして次第に、自分の人生を好きに動かせる実感を失って、「自分にはこれしかない」と依存的になってしまうように感じます。
確かに依存的になるのは、いい点もあるんですよ。
自分で選択しなくていいのは、ある意味楽なわけです。
でも、それが苦しい場合、自立した方が楽ですからね。
まとめ
なので、自由に生きたい場合、「他のよりよい選択肢を探し続ける」ということができていれば、自然と依存的な状況からは脱却できそうに感じます。
たとえ今は制限が多くても、少しずつ可能性を広げていくことで、世界が変わっていきます。
すると、うまく未来を変えてゆけるかなと思ったりもします。
ということで今日は、依存と利用の違いは「選択肢を探し続けようとすること」かな、というお話でした。
今日はここまで~。