今日は少し、作家向けなお話です。

「テンプレは頼っちゃダメなものではなく、むしろテンプレを増やせばいい」というお話です。

 

テンプレを使うのは、創造力を落とすことなのか

とあるところでふと目にしたんですが、とある小説家さんが「最近は投稿小説でもテンプレものが多くて、小説を書く側からすると、なんだか力になっていなさそう」みたいな疑問の投げかけがあったんですよ。

「テンプレもの」というのは、まぁ同じような序盤展開の流れ(テンプレート)を使って、設定だけを少しいじった、コンセプト重視なものですね。

少し昔のものだと、異世界転生ものとかはやりましたよね。

異世界に転生して、一つ飛び抜けた能力を得て、本人は静かに暮らしたいのに、周囲から求められて仕方なくヒーローとして活躍していく、みたいな。

最近の投稿小説だと、悪役令嬢ものとか、中華風なら後宮薬師ものとかあるかもしれません。

 

すなわち、「テンプレを使うのは、創造力を落とすことなのか」ということです。

 

テンプレはどんどん利用すればいい

で、最近の私は、「テンプレはどんどん利用すればええやん」と思うようになりました。

テンプレを積極活用する小説家がいても、十分に通用するように感じます。

そして、それは創造力を落とすものではなく、むしろ創造力を促すものだと分かります。

 

というのも、テンプレというのは、効率化の手段なんですよね。

テンプレを用いることで、ストーリー構造を簡単に作れて、コンセプトやキャラ、世界観作りに集中できると。

もしくは、今まで小説を書いたことがないような人でも、それなりに立派な仕上がりにできるし、文章表現に集中できるわけで。

だから、入門者にとってはとても都合のいいツールなわけです。

 

テンプレは、漫画で言うトーンと同じ

言うなれば、漫画で言うトーンのようなものです。

漫画って、トーンを使えば楽に陰影とか、模様、背景を描けるようになります。

今では普通に使われているし、トーンどころか、写真加工とか3Dも普通に使われている時代になってきているんですが。

 

でも実は、昔は「トーンなんて使うのは、邪道だ。絵描きなら、ちゃんと手で描け」、「写真起こしは邪道だ。パースを取って自分で描け」と言われていたんですよ。

特に、古くて変化を嫌う漫画家はそう言っていたわけです。

それは、「絵描きとは、手ですべてを描く方が素晴らしい」という常識があったからですね。

「何から何まで手作業でできる方が素晴らしい。機械や自動化に頼るのはよくない」みたいな。

 

他にも、作曲家なら、例えば「すべてオーケストラで演奏させて、生で収録させる方がいい。シンセを使うなんて邪道だ」とか、あるかもしれません。

それとか、「人間がボーカルを歌うからいい。初音ミクを使うなんて邪道だ」とかもあるかもしれません。

 

「自分の手ですべて作るのが素晴らしい」がすべてではない

まぁそれはそれで一つの価値観なんでしょうが、今から考えると、「それが価値観のすべてではない」と分かります。

むしろ、そういう効率化ツールをうまく使って組み込むことで、より自分が得意とする部分に集中できるわけです。

 

それは、「漫画家がどこに集中するか」で、スタイルが変わるからですね。

もしストーリーに集中したいのであれば、トーンとか素材を使って、どんどん絵の部分を効率化すればよくて。

逆に、もし絵の表現に集中したいのであれば、トーンを使わずに、自分で描ければよくて。

そうやって、自分の持つコア部分に特化することで、より個人や小規模な体制でも、部分的に飛び抜けたものを作れるわけです。

 

私は、創造性とは「より効率的に、望むイメージを現実にする力」だと思っています。

ならば、多彩なトーンを用いることで、作りたい漫画を簡単に作れるのであれば、それは十分に創造的なことだろうと思います。

同じように、小説家が多彩なテンプレを複層的に使うことで、作りたい物語を簡単に作れるのであれば、それも十分に創造的なことかなと。

 

小規模に特化した才能を持てばいい

今は、小規模に特化した才能を持つクリエイターの方が活躍できる時代なわけです。

それは、今のような価値観が細分化された時代では、「何でもできるけど、どれも優れたものは持たないクリエイター」ほど、落ちていくからですね。

すなわち、クリエイターは「優れた部分」で価値を提供しているわけです。

 

だから裏を返すと、一人がすべてをできるスーパーマンになろうとする人ほど、結局は何もできなくて、落ちていきやすいでしょう。

私たちが使える資源も時間も限られているので、「すべての分野で誰よりも優れた力を持つ」というのは、現実的に難しいからですね。

 

そういう意味でも、今のような時代ほど、うまく自分に不要な部分を切り捨てたり効率化することで、強みを作れて活躍できるように感じます。

 

トーンもテンプレも、どんどん使えばいい

なら、「トーンもテンプレも、どんどん使えばいい」と分かります。

今の「テンプレものが似通っている」と感じるのは、テンプレを使うことが問題というよりも、テンプレの種類がまだ少ないからじゃないかと思います。

「悪役令嬢ものなら、こういう展開」とか、「後宮薬師ものなら、こういう展開」という風に、バリエーションが少ないと。

 

なら、テンプレは使わないものではなくて、「もっと増やせばいい」と分かります。

すると、より多彩なトーンで漫画が楽しめるようになったのと同じように、より多彩な展開で、物語を楽しめるようになると分かります。

 

だから、未来にはもっとバリエーションが増えることで、より楽しみやすくなるんじゃないかな、と予想していたりします。

いやまぁ、私は王道プロット集みたいな本を出しているので、だいぶポジショントーク(自分に有利になるような発言)のように聞こえるかもしれませんが(笑

 

大ジャンルが同じなのが似通う原因

もっと言うと、テンプレが問題ではなくて、大ジャンルが同じなのが似通う原因かな、と思います。

大ジャンルが「悪役令嬢」とか「後宮薬師」という、やたらと限られた設定になっているわけですね。

例えば「吸血鬼もの」とか、「ヒーローもの」とかいう大きめのジャンルなら、さほど似通うことはないんですが、大ジャンルがやたらと限られていることで、「もっとバリエーションを作れるんじゃないか」と感じてしまうと。

 

でも、テンプレを使う作家は、そういう「悪役令嬢」という大きな枠組みの中で、いろいろ個性を出して、バリエーションを作っているわけです。

なら、これから未来に、いろいろと新たな大ジャンルが出てくることで、より多彩なバリエーションが生まれそうだと分かります。

 

未来に何が出てくるかは分かりませんが、擬人化ものがはやったり、逆に人間が他の生命に変化するものがはやったりするかもしれません。

そういう大ジャンルの変化をどんどんこなしていけば、次第と多彩で良質な物語が生まれるように感じます。

なので、私としては「安心して見守っていればいい」じゃないかなと思います。

裏を返すと、落ち目にさしかかって希望が見えなくなった小説家ほど、そういう「新しい技術で売れるようになった新人」をねたみやすくなるので、注意が必要かなと。

 

まとめ

そんな風にテンプレと付き合うと、より健康的になれるかなと思います。

今は、テンプレの導入期だということですね。

もう10年ぐらいすると、いろんなテンプレが出てきて、成長期に入るかなと予想していたりもします。

 

私の中では、漫画ではトーンが重要になったのと同じように、これからは物語でもテンプレ(王道プロット)が重要になるだろうと予測しています。

そういうテンプレをうまく組み込むことで、楽に、効率的に、良質な物語を作れるかな、と思います。

 

ということで今日は、「テンプレは頼っちゃダメなものではなく、むしろテンプレを増やせばいい」というお話でした。

今日はここまで~。

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