今日はお休み日記ということで、つらつらと書いてみましょう。

 

「夏の終わり」に対する感覚の違い

涼しくなって、夏も終わりですね~。

SNSを見ていると、やはり「夏の終わりはさみしい」と感じることが多いようで。

 

ちなみに海外では、9月から新学年なんですよね。

だから海外だと、「夏の終わり」=「新たな学年の始まりで、ワクワクする季節」になると。

こういう常識感覚の違いって、なんだか面白いですよね。

 

大雨を降らせる雲がある

最近ふと思ったんですが、「日本周辺には、夏場に大雨を降らせる雲の一帯がある」ように思います。

今年はその雲が東北地方にかかって、東北に大雨をもたらしたように思います。

で、例えば2年ぐらい前は、その雲が中国大陸にずっと停滞していて、揚子江で大洪水をもたらしていたと。

そして3~4年ぐらい前だと、その雲が広島・岡山近辺に停滞して、大雨被害が出たわけです。

 

そういう風に、「夏場の大雨雲」があって、中国から日本のどこに移動するか、停滞するかで、大雨が変わるように思ったり。

そして今年はだいぶ東の東北地方に雲が停滞したので、一方で中国は大干ばつになって、作物も不作になっているように思います。

 

いや、これは根拠もない、完全な私の脳内予想ですが(笑

でもそう考えると、なんかすっきり理解できたりします。

 

「局面に応じた変化」での対立

最近のSNSとか世の中を見ていると、少しずつ対立関係が見えてきたように思います。

それが、「局面に応じて変化できる人たち」と、「一度適応すると、変化できない人たち」の対立かなと。

 

例えば2020年初期から起きている例の騒動でも、「局面に応じて変化できる人たち」と、「一度適応すると、変化できない人たち」の対立でしょ。

局面に応じて変化できる人は、どんどん情報をアップデートしていって、柔軟に対応を変えてゆけます

ある意味、「模索する」とか「その時々の判断で動く」、「試行錯誤する」という進み方ですね。

 

でも変化できない人の場合、新たなことは、「最初に学んだこと」をずっと繰り返してしまうんですよね。

そこでは、盲信とか決めつけが多くあるし、「最初に決めたこと」をかたくなに持ちやすいと。

そしてそういう人は、例えば局面に応じて変化する動きに対して、「なら最初からそうしておけよ!」と批難するわけです。

 

「局面」や「時間変化」の概念があるかないか

やはりこれは、「局面」とか「時間変化」という概念がないから、そう言ってしまうんだろうと思います。

未知なることが起きても、そもそもデータすらない局面と、データが出てきてだいぶ分かってきた局面とでは、だいぶ対応も変わりますよね。

つまり、最初の「よく分からない」という状態も、分からないこと自体は悪いことではなくて、「分からない局面だから、こう行動しよう」とできるわけです。

 

だけどそういう概念がないと、「最初からそうしておけよ!」と攻撃したり、「最初からこうしておけばよかった」と後悔してしまうように思います。

本当は「未知が多い世界」の中でも、それぞれの局面に応じて最善の判断しているのに。

 

そしてそういう「局面」とか「時間変化」という概念がないと、隷属的な思考になりやすいように思います。

それは、「これさえすれば大丈夫」というメッセージに、支配されやすくなるからですね。

特に人は疲れるほど、そういう「これさえすれば」、「最短で迷わず成功を」としやすくなるように思います。

 

変化する中で生きる

そして変化や成長をする人ほど、局面はどんどん変わるし、状況もサイクルのように変化してゆくものです。

だって、私たちが少し成長するだけでも、がらりと世界に対する見方や可能性、できることが変わるんですから。

そりゃもう、変化しまくりでしょ(笑

 

ちなみに局面は、サイクルの一部分です。

局面(フェーズ)がいくつか集まって、サイクルを作るわけですね。

だから局面を見抜こうとすると、自然と長期サイクルに目が向くようになります。

「こういうサイクルの中で、今はこういう時期(局面)なのかな」みたいに。

 

このサイクルと局面の感覚が分かると、より広い視野で見られるようになります

サイクルを考えるとなると、自然と長期で考えますからね。

 

「分からない局面」があってもいい

そしてサイクルで考えると、「分からない局面」もあっていいと実感で分かります。

未知なる世界に生まれ落ちて、「分からない世界を最初から知っておく」なんてできませんからね。

だから、「最初からこうしておけばよかった」なんてことは、どだい無理なことです。

もしそれがあるならば、それは「決められたレールの上」という世界でしょう。

 

そして成長や変化にも、いろんな局面やサイクルがあるものです。

なら、「成長に応じて、自分の世界が広がるに合わせて、行動を変えてゆけばいい」とするのでもいいように感じます。

間違って、痛い目を見て、知って、それでフィードバックを重ねていくのでいい、ということですね。

 

すると、「局面やサイクルの中で生きよう」とすることで、過去も受け入れられるし、分からない中でも進めるかもしれません。

 

まとめ

でもまぁ、「分からないことが分かってゆく」というのは、面白いですよね。

「私は知っている」とするよりも、「私は分からない」と受け入れることで、逆に楽しめることもあるように思ったりもします。

 

そんな感じで、つらつらと日記でした。

今日はここまで~。

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