今日は、生き方のお話です。
外向型同士の「嫌がらせと、我慢比べ合戦」に付き合う必要はない、というお話です。
高共感な人ほど「外向型同士の争い」が苦手
最近のウクライナ問題に限らず、学校でも会社でも、「外向型同士の争い」ってありますよね。
そしてそういう「外向型同士の争い」ほど、周囲を巻き込んで大騒動になりやすいんですが。
一方で、共感性が高い人ほど、そういう争いが苦手なわけです。
そして、そういう「周囲を巻き込む大きな争い」に不安になったり、そこで生まれる不幸に心を痛めやすくて。
そういう場合、外向型同士の争いが、本質的にどういうものかを知るのもいいかと思います。
すると、「嫌がらせと我慢比べ合戦に付き合う必要はない」と分かって、距離を取ることで平穏に過ごせるかもしれません。
外向型同士の争いは、「嫌がらせと、我慢比べ合戦」
外向型同士の争いって、基本的に「嫌がらせと、我慢比べ合戦」になるように思います。
簡単に言うと、互いに「俺が協力しないと、困るだろう?」と張り合っている、ということです。
例えばウクライナでの対立でも、互いに経済制裁をしたり、輸入や輸出を制限したり、嫌がらせをしていますよね。
それは、そうすることで、両者が互いに相手に「俺が協力しないと困るだろう? だから俺の言うことにもっと従え」と脅して、言うことを聞かせようとしているわけです。
同時に、両者が互いに「お前がいなくても、まったく普通にやっていけるんだぜ」と強がっていると。
互いにダメージを受ける戦い
とはいえ、実際は互いにすっごいダメージを受けているんですよ(笑
でも、互いに「自分のダメージはたいしたことはない。一方で、相手は大きなダメージを食らっている」と喧伝して、正気を保とうとしていると。
そして、外向型同士の争いは、周囲を巻き込みやすいものです。
「お前はどっちにつくんだ」と迫って、もし見方にならなければ、同じように制裁を加えると。
実際に日本でもアメリカでも、大企業ほど「ロシアから撤退しろ! でなければボイコットだ!」と圧力がかかったりと、いろいろ苦労してるでしょ。
だから、巻き込まれた大企業もまた、たとえ勝つ側に属したとしても、大ダメージを受けるわけです。
「あれは我慢比べ合戦だ」と割り切るのもいい
ただ、互いに正義を掲げていても、やっていることは奪い合いなんですよね。
もちろん、互いに「○○という弱者を救うためだ!」と、弱者救済をしているように見せかけるものです。
でも実際は、弱者を救うことが重要なのではなく、互いが「強者の俺を、脅かすな」と奪い合っているに過ぎません。
本当に弱者救済をしたければ、むしろ協調して救済する方が効果あるんですから。
こういう状況を長期的に冷静に見ると、結構「不毛だ」と分かるものです。
まぁ強者同士にとっては、そういう覇権争いは豊かさ作りに重要なことなんだろうとは思います。
ただ、争いが苦手な人にとっては、そういう外向型同士の争いは迷惑なだけで。
僻地で生きられることが、強みになる時期
こういう状況では、「僻地(へきち)で身軽に生きられる、社会的な地位がない人」が強みになるように感じます。
というのも、経済的な地位のない僻地や田舎ほど、そういう奪い合いから距離を取れるからですね。
逆に、社会的な地位があって、社会の中心で活躍している人ほど、そういう争いに巻き込まれやすくなると。
ある意味、できるだけ「巻き込まれないこと」が豊かさになる、ということです。
なのでこれからしばらくは、「社会的な成功から距離を取って、少数の好きな人と、ゆったりと生きる」そういうスタイルが、幸福度を高める時期かなと思います。
もちろん、何が起こってもいいように、準備は必要でしょう。
でも、準備をしっかりできていれば、うまく社会の騒動から距離を取れて静かに生きられる人ほど、最も被害を軽減できそうに感じます。
まとめ
なので、外向型同士の争いは、「嫌がらせと、我慢比べ合戦だ」と思うのもいいかと思います。
なら、変に共感性を揺さぶられることなく、距離を取れるかと思います。
両者が掲げる正義に惑わされないことが大切だ、ということですね。
今は、社会的な成功から距離を取れるほど、自由に平穏に生きられる時代かなと。
で、本当に見捨てられて哀しんでいる人がいれば、自分の余らせた豊かさで、そういう人に手をさしのべればいいと。
そう考えると、精神的にも落ち着けて、自分ができることに集中できるかもしれません。
ということで今日は、外向型同士の「嫌がらせと、我慢比べ合戦」に付き合う必要はない、というお話でした。
今日はここまで~。