今日は生き方のお話です。

「生き方」は科学では定義できない、というお話をしてみましょう。

 

電極でうつを治すアプローチ

ちょっとした記事があったので、ご紹介。

脳に電極を刺し「うつ病スイッチ」を刺激する臨床試験が開始される(ナゾロジー)

内容はタイトル通り、「脳に電極をさして、それでうつを治そう」というものなんですが。

 

で、実はこれを紹介していたツイートがあって、そのツイートには「早く実用化を!」という声が山ほどあったんですよね。

ぱっと見た中では、「最高 ! 欲しい!」というコメントが9割以上、「こんなの始めたら終わりだろう」というコメントが1割以下、ぐらいでしょうか。

 

「症状だけ」を治したい人

まぁそういうツイートにコメントするような人は、「人生でどうでもいいことにばかり時間をかける人たち」ばかりなので、だいぶ偏ってはいるとは思いますが。

でも、それぐらい「自分の個性を見ずに、生き方も変えずに、症状だけを治して周囲と同じように生きたい」という人が多い、というように思います。

言い換えると、それだけ「何も考えずに、ハッピーになりたい」という人が多いのかなと。

 

ただ、私の中では、「生き方」を考えずに科学技術を使うのは危険だと思うんですよ。

すなわち、「生き方」は科学では定義できない、ということです。

じゃあなぜそういうお話になるのか、これから説明してみましょう。

 

対症療法のアプローチ

昨日の記事でも触れましたが、「科学的思考」と「原因探求(エッセンシャル思考)」は、別物です。

科学的思考では「すべての人に通用する」対症療法になるし、原因探求(エッセンシャル思考)をすると「個別の原因」を探すことになります。

 

で、科学的思考を突き詰めていくと、こういう「脳に電極をさしてハッピーになればいい」という結論にたどり着きます

というのも、科学的思考だから、「こういう脳内物質が、うつや気分に関係している」と、「すべての人にとって、普遍的な働き」を見つけます。

うつだろうが、統合失調だろうが、双極性障害だろうが、何だってアプローチは同じです。

 

なら、実際にそういう電極なり、ハッピーになれるドラッグを開発すれば、普遍的な1つの解決方法で、すべての人をハッピーにできます

しかも、「科学で証明されています!」と言えるし、副作用もないし、安価で健康的にハッピーになれると。

 

対症療法でハッピーになる愚かさ

そしてその人は毎日、朝から夜遅くまで、「ハッピーなドラッグを続けながら、嫌な仕事を続けられる」と。

他にも、もし技術が発達して睡眠時間が1時間ですむようになったら、1日23時間ぐらい嫌な仕事を、馬車馬のように働いて、頑張れるでしょう。

いろんなものを生産できるし、自分も給料が増えるし、その上ハッピーで休むことなく、「何も考えずに嫌な仕事をして、一生を終えられる」んですから。

 

ある意味幸せでしょ。

まぁ、私はそういう生き方はしませんけどね。

 

こういう風に、俯瞰的に見ると、「対症療法でハッピーになる」という愚かさが分かるかと思います。

それは一時しのぎとしてはいいかもしれませんが、恒久的に使うものではないと。

だって、その上には「生き方」というものがあるんですから。

 

「自分だけにしか当てはまらないもの」から見てゆく発想

一方で、原因探求(エッセンシャル思考)というアプローチがあります。

これは、「自分にとって、何が原因なんだろう?」と、個別の要因を見ていくことになります。

科学的思考が「誰にでも当てはまるもの」から考えるとすると、原因探求は「自分だけにしか当てはまらないもの」から見てゆく、ということです。

 

で、そこから自分独自の解決策を模索していくことになります。

自分独自の個性とか、独自の欲求に目を向けるわけですね。

 

例えば、こういう「独自の個性や性質」があるかもしれません。

「他のみんなは会社で朝から晩まで働いているけど、私は自然に生きたい。急がなくていいので、田舎でゆったり、好きなことをして生きたい」

「競争で強者に打ち勝つよりも、1人でもいいから、弱い子を助けて、喜んでもらいたい」

「みんなと同じようにするよりも、個性を生かして、世の中で自分にしかできないことをしたい」

 

「生き方」は、科学では定義できない

そういう場合、科学的思考では、何も答えは見つからないんですよね。

だって、そういうのは「生き方」の次元で、ある意味で宗教的な考え方なんですから。

科学は「誰もに普遍的に通用するもの」を定義するので、生き方なんてものは定義できません。

 

そういう、「科学さえあれば、効率化さえすれば、幸せになれる」という思い込みが、「電極をさしてうつを治せばいい」というアプローチになっているように思います。

原因を見ずに、「症状を解決できればいい」、「効率的にこなせば幸せになれる」という発想が、そういう結論をもたらすと。

 

私は科学は大好きですし、PCとかIHヒーターとか電気とか、いろんな科学技術を使っています。

ただ、「生き方」の次元では、科学はあまり根本的な解決にはならないように思います。

 

症状よりも、生き方に目を向ける

実のところ、多くの人が、そんな「生き方」を調整することなく、「症状を治したい」としているように思います。

「科学的思考であれば、何も間違わない」と思い込んでいるわけですね。

そして、科学的な正しさやエビデンス、確証を求めて、「生き方や人生そのものを間違ってしまう」という罠にはまっているように思います。

 

これは言い換えると、多くの人が「今すぐに、何も考えずに、何もせずに、楽にハッピーになりたい」と思っている、ということです。

実際に、「自分で考える」という作業は、とてもしんどいものです。

そして「何も考えずに生きられる」というのは、ある種の幸せですよね。

で、自分の個性や生き方、そこにある意味を無視して、周囲に合わせて、電極なりドラッグで幸福感を得られれば、幸せなんですから。

 

もちろん「考えても分からない未来」は、考えてもしょうがないんですけどね。

でも、生き方とか方向性を持たないと、そんな「楽にハッピーなドラッグで」という方向に走りやすいように思います。

 

まとめ

そんな風に考えると、「ちょっとしんどいけど、自分で判断しよう」という領域を増やせそうに思います。

科学的根拠とか、エビデンスとか関係なく、自分の判断で決める、ということです。

 

「自分で考える」ということは、リスクもあるし、長期と短期のバランス調整も必要になるし、周囲とは違う行動をするので、勇気や決断力も必要でしょう。

ただ、「なぜ個性が与えられているのか」という意味を考えると、違うアプローチが重要になりそうだと分かります。

 

これが分かると、「自分で考えて、判断して動いていい」とできて、覚悟を決めてしんどい方向に動き出せるかもしれません。

すると、しんどくても、エネルギーが出る生き方ができるかもしれません。

 

ということで今日は、「生き方」は科学では定義できない、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share