今日は生き方のお話です。
森永製菓創業者の生き方が気まぐれすぎて面白かった、というお話です。
森永製菓創業者の生き方が面白かった
面白い記事を発見したので、ご紹介。
キリスト教宣教師から製菓王へ。森永太一郎、晩年の「ざんげ」(Diamond Online)
上記のページの最初に、森永製菓創業者の生き方がかいつまんで説明されているんですが、その部分が最高に面白かったんですよ。
長くはないので、実際に見てみるといいでしょう。
気まぐれなのが面白い
簡単に言うと、この人、とても気まぐれなんですよね(笑
「アメリカに行けば、何でも売れる」と聞くと、すぐにアメリカに行って、だけどダメで撃沈して。
キリスト教と出会うと、すかさずハマって、「宣教師になろう」として日本に戻って、だけど収入がなくて生活が成り立たなくて撃沈して。
で、お金のために菓子工場を作ることを目指して、再びアメリカに行って、工場で働きつつ工場技術を習得して日本に帰ってきて。
それで成功するのに、「あ、そういえば自分は、布教をしたかったんだ。会社で成功するのが目的じゃなかった!」とふと思い出して。
で、社長をやめて、命ある限り布教をしてハッピーエンド、みたいな。
気まぐれで遠回りなのもいい
これぐらいの気まぐれさ、遠回りさもいいですよね(笑
完全なサクセスストーリーではない、というのが好みだったりします。
あっちへ寄り道したり、こっちへ寄り道したり。
起業で大成功をしたように見えて、実はそれは「自分にとっては全然成功じゃなかった」と気がついたり。
さらには、幼い頃には孤児になったり、無謀に挑んで失敗したり、よかれと思ってやったら親類に勘当されたりで、とても完璧ではないわけです。
でも、そういう人間らしい部分が魅力的に感じたりもします。
柔軟な考え方を持つ人の生き方
ある意味それは、柔軟な考え方でもあるんだろうな、と思います。
実際に、「アメリカに移って、キャンディー工場の掃除係として入社して、そこから工場作りを学んでいく」みたいに、工夫もあるわけです。
「工場作りをしたいから、掃除係として入社する」なんて、とても柔軟な考え方でしょ。
だって、普通は「工場を作りたいなら、そういう専門の学校で学んだり、工場作りの社員や幹部として入って、経営者側で学ばなきゃ」とか思うじゃないですか。
でも、このきっと当時は、日本にそういう学校はおろか、工場すらなかったんだろうと思います。
そして、そういうのがあるアメリカでは、コネも実績もない日本人の場合、掃除係ぐらいでしか入れなかったんでしょう。
普通なら、その辺の事情で「自分は日本人だし、コネもないし、お金もないからダメだ」と思うところです。
だけど、「工場の掃除係でも、工場の仕組みを学べる」という発想が素晴らしいですよね。
完全に目的指向というか、目的のためにはなりふり構わないところが魅力的だったり。
まとめ
こういうふらふらと生きるタイプでも、うまくいったことがあると分かると、勇気づけられますよね。
私たちもいろいろと動いてみると、意外といろんな経験が、後に役立つのかもしれません。
ということで今日は、森永製菓創業者の生き方が気まぐれすぎて面白かった、というお話でした。
今日はここまで~。