今日は、変化をしやすくなるための、生き方のお話です。
「迷惑をかけて今の会社や社会から出ていい。その後、世の中にいい影響を残せれば、それでいい」というお話です。
円満退社は必要なのか
とある人が、こういうことを言っていたんですよ。
それが、「私は円満退社で、みんなから笑顔で送り出されて、会社に迷惑をかけずに独立しました」みたいな内容でした。
ちなみに私は、どちらかというとその逆だったんですよ。
なので、そういう「私は円満退社です!」と自慢されると、だいぶモヤモヤしたものを抱えてしまうんですが(笑
実際に退社時にいろいろあった人からすると、モヤッとしてしまうでしょ(笑
そしてこれから独立しようとする人にとっては、「円満退社をしなきゃいけないの?」と思うと、動きにくくなるように思います。
共感性が高い人ほど、「他者への迷惑」を避ける
ちなみに共感性が高い人ほど、「他者に迷惑をかけること」に鋭くて、避けようとするように思います。
これはきっと、「相手が苦しんでいるかどうか」という気持ち部分を鋭く察することで、自分よりも弱い相手を助けやすくなるからだろうと思います。
つまり、共感性の高さは、弱者救済に向いていると。
でもそういう性質の場合、現状から出ようとすると、どうしても「迷惑をかけてしまう」ということで足止めされやすいわけです。
それは共感性が高いからこそ、「周囲の迷惑や苦しみ」に自分が苦しんでしまうので、なかなか決断できないからでしょう。
特に、「円満退社が美徳だ」とか言われると、嫌な会社や社会から出にくくなるように思います。
でも私が思うに、こういう「円満退社です」という部分を誇るのは、だいぶズレているようにも思います。
というのも、「迷惑をかけずに社会の歯車から離れる」なんてできないし、同時に「歯車を入れ替えるだけだから、さして迷惑にならない」とも言えるからです。
で、これが分かると、「迷惑をかけて今の会社や社会から出ていい。その後、世の中にいい影響を残せれば、それでいい」と分かって、歯車から出やすくなるかと思います。
「迷惑をかけずに社会の歯車から離れる」なんてできない
「円満退社です!」とか言っていますが、そもそも「迷惑をかけずに社会の歯車から離れる」なんてできないと思うんですよ。
だって、会社にしろ社会にしろ、歯車から外れて出る場合、必ず何らかの損失を相手に負わせてしまうわけで。
相手にとっては、歯車を入れ替えなきゃいけませんからね。
そういう現実的な迷惑がかかっているのに、「私は迷惑をかけずに、会社から出ました」というのは、現実を理解できていないと言えます。
社会の歯車から出ても、さして損失にはならない理由
でも、確かに迷惑はかかるんですが、社会の歯車から出たとしても、さして相手の損失にはならないんですよ。
というのも、歯車だからこそ、簡単に入れ替えられるからですね。
特に会社なんて、基本的に歯車で動かしているものです。
実際に、「1人の末端社員がいなくなっただけで、機能しなくなる会社」なんて、すぐにつぶれてしまうと分かります。
だから、1人の歯車(社員)がいなくなったところで、確かに歯車を入れ替える手間はかかりますが、その負担は痛くもかゆくもないものです。
むしろ、そういう「歯車を簡単に入れ替えられる会社」ほど、優秀な会社だと言えるんですから。
歯車が欠けて迷惑になるのは、会社側の問題
もし「歯車を入れ替えること」が大きな迷惑になる場合、それは会社側の問題です。
だって、歯車のシステムを作るのは、会社側の責任だからですね。
社員は退社リスクだけでなく、健康問題とか、事件や事故、身内の不幸、交通機能のマヒ、いろんな「割り当てた社員が機能しなくなるリスク」があります。
そういうリスク対処は、会社側が準備する必要があるものです。
なら、社員側が会社のシステムまで責任を負う必要はないと分かります。
もっと言うと、そういう風に「会社で社員が欠けることで、会社のシステムが強くなれる」ということですね。
なら、「迷惑をかけずに円満退社しました」というのは、だいぶ本質が理解できていない言葉だと分かります。
それは、「社会の歯車から出ることは、迷惑はかかるけど、さしたる迷惑ではない」からですね。
まとめ
だから、現状から出て新たな世界に出たい場合、迷惑をかけて今の会社や社会から出ていいんですよ。
確かにそれは、周囲にとっては一時的な迷惑になるものです。
だけど実際のところは歯車を入れ替えるだけなので、さしたる迷惑ではありません。
会社は歯車で動かすものですし、大きめの会社では毎年のようにいろんな異動をさせて、わざと入れ替えて歯車システムをメンテナンスしているぐらいですから。
家庭でも同じで、「親に尽くしても、報われない」みたいな「苦しいだけで、尽くしても報われない歯車」からは出ればいいものです。
というのも、「自分だけが苦しみを背負っている」という状態なら、それは家庭内で不平等ができていることを意味します。
なら、他に楽によい歯車があるのなら、私たちがその親から離れても、親は代替品があるので苦しみません。
一方で、代替となる歯車を簡単には見つけられない場合、「その歯車を担う人は重要だった」と、不平等を是正できます。
どちらにしても、個人も社会もよりよい方向に是正してゆけると。
で、歯車から出た後は、新たな環境で世の中にいい影響を残せれば、それでいいかと思います。
歯車として動くだけが、価値を作る唯一の方法ではありませんし、唯一の生き方でもありませんからね。
それに世の中は、「長期でよくなれば、それでいい」とも言えます。
だから自分なりに歯車を作ったり、誰かを助けることで、世の中を少しでもよくできえれば、それでいいように思います。
すると、「迷惑をかけて今の会社や社会から出ていい。その後、世の中にいい影響を残せれば、それでいい」と分かって、動きやすくなるかもしれません。
ということで今日は、「迷惑をかけて今の会社や社会から出ていい。その後、世の中にいい影響を残せれば、それでいい」というお話でした。
今日はここまで~。