今日はがっつり書いていたんですが、ちょっとうまく仕上げられなかったので、代わりに別の書きやすい内面的な記事で(笑
「自分の心の声」、「心の中に植え付けられた他者の価値観の声」、「天の声」の3つを聞き分ける、私の感覚とコツについてのお話です。
どれが自分本来の声なのか、分からない問題
自分の中で、「どれが自分本来の声なのか、分からない」ってこと、人によってはあるように思います。
自分が望むように生きたいのに、心の中にある「植え付けられた他者の価値観」が、私たちに「こうしなきゃダメだ」と語るわけです。
それで、私たちは自分の本心が分からなくなって、「どうすればいいのか分からない」と迷い、疲弊してしまうと。
特に、「幼い頃に植え付けられた、他者の価値観」って、大人になってからも「こうしなきゃ」と呪いのように続きやすいものです。
じゃあそういう場合、どうすればそういう「心の中で起こる声」を区別できるのか。
今日はその私なりのコツを、感覚的に語ってみようかと思います。
3つの声を聞き分ける
私の中では、心の声には、次のような3つがあると思ってます。
それが、「自分の心の声」、「心の中に植え付けられた他者の価値観の声」、「天の声」の3つですね。
そしてこれらを区別して聞き取れると、うまくいきやすいように感じます。
で、それぞれの聞き分け方は、次のようなイメージです。
自分の心の声:「こうしたいな」という望みをよく語る。よく「許されないことだ」と感じやすい。具体的対処策が見えないことが多い。
心の中に植え付けられた他者の価値観の声:不安や焦りを生むことが多い。具体的対策が分かりやすいことが多い。
天の声:未来への希望を感じて、方向性を与えてくれる。「許し」や「安心」という感覚を与えてくれる。
「自分の心の声」とは
「自分の心の声」というのは、自分自身の価値観のことです。
読んでそのまま、自分が望む、自分の声だということですね。
これはしんどいときとか迷ったとき、「こうしたい」という望みを私たちに語ります。
そして「状況的に、それができないもの」ほど、「自分の心が求める声」を意識しやすいものです。
というのも、簡単に実現できる望みであれば、すぐにそれを実現しますからね。
その場合、「自分の心が求める声」を意識する前に、素直に行動できます。
簡単には実現できない望みだから、「こうしたいな」と意識するんですから。
だから「自分の心の声」を聞く時、それと同時に「それは難しいことだ」、「それは許されないことだ」みたいな、別の声が響きやすいものです。
なぜかというと、それをしようとすると、デメリットがあることが多いからです。
例えば「休みたいな」と心の声が願っても、「仕事をしなきゃ、お金がなくなる」とか、「誰かから嫌われる」みたいな、そういうデメリットがあるものです。
心の声を土台にすることで、こじれを防げる
とはいえ、自分の心の声をしっかり聞いて認めることで、「私は本当はこうしたかったんだ」と、こじれた行動を防げます。
それは、基本的な方向性を決める、土台になるからですね。
「私は休みたかったんだ」という心の声を認められていると、「目先は妥協しても、長期では少し休む方向で生きよう」と、方向性を決められます。
だけど、それを無視してしまうと、いろんなこじれを生み出します。
「休んでいる奴が許せない」とか、「人は使命に生きなきゃいけない」、「人は成長しなきゃいけない」みたいな、そういういろんな、自分への言い訳とか正当化、憂さ晴らしをするようになってしまうと。
そういうこじれを防ぐためにも、心の声を区別する必要があるわけです。
「心の中に植え付けられた他者の価値観の声」とは
2つめは、「心の中に植え付けられた他者の価値観の声」です。
これも読んでそのまま、私たちの心の中で、「他者から植え付けられた価値観」が私たちに語ることがあるものです。
これは、社会の中で生きるには必要なんですが、個人で生き生きとしたい場合、できるだけ排除したいものになります。
特に個性が強くて自由に生きたい人の場合、土台が「心の声」で、その上で「他者の価値観の声」を乗せて微調整する方が合うように思います。
これは、その逆の「他者の声を優先して、その上で自分の心の声を実現しよう」とすると、苦しくなるからです。
言うなればそれは、そもそもサラリーマンが合わない性質なのに、「周囲が言うようにサラリーマンになって、そこから自分の幸せを見つけよう」とするようなものです。
満たせる可能性がないわけではないんでしょうけど、そもそもサラリーマンにならない道を選ぶ方が、楽に幸せを実現しやすいですよね。
だから心の声を優先する方が、より自由に広い視野で自分を満たせそうだと分かります。
他者の価値観は、こじれを作りやすい
先述したように、この他者の価値観は、優先順位を間違えると、こじれの原因になります。
そしてこじれた方向性に進む場合、不安や焦りが起きます。
そもそも、自分軸を生かして、個性を発揮して、自分の未来を切り開きたい場合、そこに不安や焦りという感情は起きません。
そういう「未来をよくする行動」とは、本来なら、私たちは安心や幸せを得るために、自分を生かし始めて、希望に満ちて生き生きと動くものです。
なら、特に新境地を開拓する場合とか、未来を切り開きたい場合、「不安や焦りを覚えて動く」というのは、少しおかしいと分かります。
まぁ社会で競争する場合とか、突発的な緊急事態では、不安や焦りも必要でしょうけどね。
だから、自分の未来を切り開きたい場合、不安や焦りを生む感情を元に動くと、うまくいかないことが多いと。
これが分かれば、「他者の価値観の声」をうまく排除して、自分の心の声を聞きやすくなるかと思います。
よくSNSとか広告文句でも、「まだあなたはこれをやってないの?」みたいな、人をあおるような言葉がありますが、ああいう焦りや不安を生むようなものは排除するといいでしょう。
「天の声」とは
最後の「天の声」というのは、「こっちに行けばいいよ」という、導きのようなものです。
まぁこれも「心の声」に含まれるんでしょうけど、特に生き方とか方向性を示してくれるので、私の中では「天の声だ」と感じて、特別扱いしています。
もちろん、天の声に従っても間違うことは山ほどあるので、宗教で言うような「神様の声」とは違うことに注意しましょう(笑
この天の声は、主に未来への方向性を与えてくれます。
これは、「許し」や「安心」を伴うことが多いものです。
「こっちに行ってもいいんだ」とか、「大丈夫だ」と、「それも面白そう」みたいに、エネルギーが出てくるイメージです。
特に、思い込みが外れた瞬間に起きる「目からウロコ」な瞬間が、まさにこの「天の声を聞いた」という状態です。
「目からウロコ」というのは、「こういう道もあるんだ」という大きな許しですからね。
だから、私は目からウロコな体験が大好きだったりします。
まとめ
そんな風に、「自分の心の声」、「心の中に植え付けられた他者の価値観の声」、「天の声」の3つを聞き分けると、うまく進みやすいように感じます。
高共感な人ほど、他者の価値観に引きずられやすいし、それが原因でこじれた行動をしやすいものです。
なので、自分の心の声を聞いて「本当はこうしたかったんだ」と受け入れて、それを基本方針として行動を調整していくのもいいように感じます。
ある意味、「報われない」というのは、こじれた行動をしているからだと言えます。
すると自分に素直でいられるし、工夫がダイレクトに自分への幸せに結びついて、行動が報われるし、満足度も増やしてゆけるかと思います。
ということで今日は、「自分の心の声」、「心の中に植え付けられた他者の価値観の声」、「天の声」の3つを聞き分ける、私の感覚とコツについてのお話でした。
今日はここまで~。