今日は、生き方のお話です。
「続けることが素晴らしい」か「卒業してゆくことが素晴らしい」か、という価値観のお話をしてみましょう。
自由に生きたいタイプの人が、夫婦関係を維持するコツ
先日、こういう質問があったのでご紹介。
休みの日はずっと興味ある本を読んでいたり、アルバイトでは「もう学ぶことがなくなったな」と思ったらすぐ転職をしていて、今まで合計7回くらい転職しています。(中略)
そんな私が、赤の他人と同居して一緒に家庭を築く「結婚」に向くとは思えないのです。
協調性はないし、元々の性格に加えて一人っ子なので、こんな私を妻として愛してくれる人っているのかな?って思います。
しかし結婚も大切な勉強ですので、一度はしてみたいと強く思います。
ですから、あやえもんさんの考えるHSPタイプの夫婦関係の維持の仕方について、教えていただければ幸いです。
質問の内容はというと、「自由に生きたいタイプの人が、夫婦関係を維持するコツはあるのか」ということですね。
「続けること」と「卒業すること」
これ、夫婦関係だけでなく、人間関係とか熱中できることでも、似たようなことが言えるように思います。
例えば私の場合、ずーっと同じ人と一緒にいたり、ずーっと1つのYouTubeチャンネルを見ていると、ある時期が来たら急に嫌になってくるんですよ。
それまでは「面白い!」と熱中していたのに、急にある時期を境に、「もういいや、お腹いっぱい。離れたい」と感じて、しんどくなってくると。
それで、「どうしてなんだろう?」とか思っていたんですが。
で、最近思うようになってきたのが、人には2つの価値観があるように思います。
それが、「続けることが素晴らしい」という社会維持的な価値観と、「状況に合わせて、どんどん卒業して変化する方が素晴らしい」という境地開拓的な価値観ですね。
そしてこれが分かると、境地開拓が好きな人ほど、「どう続けるか」よりも、「いつでもやめられる」とすると、いい関係が作れそうに思います。
なので今日は、そんな2つの価値観について、お話ししてみましょう。
社会維持型と境地開拓型
このブログでも超頻出ですが、私が使っている性質分類として、「社会維持型と境地開拓型」というものがあります。
社会維持型は、文字通り社会を維持するのが得意なタイプです。
社会に属することが安心をもたらすし、社会の歯車になれるし、むしろその方が安らげるタイプです。
一方で境地開拓型は、新たな境地を開拓するのが好きなタイプです。
なので社会の歯車になるよりも、自由に個性を生かして、興味あることを進めることを好むタイプです。
「続けることが素晴らしい」は社会でのみ通用する
世の中では、「続けることが素晴らしい」っていう価値観がありますよね。
でもそれは、より正確に言うと「社会でのみ通用する価値観」になります。
というのも、社会は安定することを好み、変化を嫌います。
なので、人でも会社でも、「ずーっと同じ状態で、同じような営みを続けることが最高だ」という価値観を持ちます。
例えば商店街があったら、ずーっと同じ店があって、ずーっと同じように開いていて、同じように親から子へ、もしくは師匠から弟子へと経営が受け継がれて、ずーっと変化せずに季節だけが移ろいでゆく、みたいな。
そういう「変化しないこと」が、社会で最高の「理想の状態」です。
すると、社会維持型にとっては、「変わらず続けることが素晴らしい」と言えますよね。
だって、それこそが社会の維持であり、秩序であり、安定、安心なんですから。
逆に変化することは、たとえ発展したとしても、「記憶の中にある以前の景色と変わってゆくのは、さみしいこと、苦しいこと、嫌なこと」です。
だから、社会の中心に行くほど「続けることが素晴らしい」となります。
境地開拓では、「続けること」に意味はない
一方で境地開拓をする場合、そんな「続けること」なんて一気に無意味になります。
だって、新境地を開拓していると、どんどん新たな展開が出てくるんですから。
例えば新たな方向に向かっていたら、崖が出てきたり、川があったり、霧が出たりするんですよ。
そしてそれらを乗り越えて進む必要があるのに、そこで「ずーっと同じことを続ける」なんて、無意味ですよね。
それは、崖が出てきたら崖に対応できるようにして、川になったら川をどう越えるかを考えて、その時々で戦略やスキル、考え方、生き方を変える必要があるからで。
だから境地開拓の場合、「状況や自分の変化に合わせて、必要に応じて卒業してゆくことが素晴らしい」になります。
そんな風に、社会では「続けること」が全体のメリットになりますが、境地では「状況に応じて変えること」がメリットになります。
「どう続けるか」よりも「いつでもやめられる」こと
なら、境地開拓が好きな人ほど、「どう続けるか」よりも「いつでもやめられる」とすると、いい関係が作れそうに思います。
「関係をやめる」というと響きが悪いので、「関係を卒業する」と表現するといいかもしれません。
すると、「関係をやめても、あの関係は素晴らしかったと言えるようになる」といういい結果をもたらします。
実際の例として、興味深い記事(社会人が友達3人とノリで1年間ルームシェアした感想!これから始めるにアドバイスも:なにおれ)があったんですよ。
それは、とある人が、「楽しむために、3人でシェアハウスをしよう」ということでした。
そこで彼らは、2つのルールを設定したわけです。
「とにかく全力で楽しむこと」と、「誰かがシェアハウスをやめたいと言ったら、即刻解消すること」の2つですね。
続かなくても、「素晴らしい時間」になる
で、これが最高に楽しかったようで。
最終的にはその方が転職を決めたことで、1年で解散することになったようなんですが。
だけど、「関係を続けること」が至上目的ではないので、思う存分楽しめるし、学べるし、そして終わるタイミングが来たら卒業できます。
すると、関係は続かなかったとしても、心の中で「あの関係を持っていた時期は、人生でも素晴らしい時間だった」とできます。
実際に「卒業してゆく関係」って、そういうものですよね。
ある意味、「卒業する時期に来ているのに、卒業できないこと」が、苦しみになりうるように感じます。
もし限界が来ても、やめられる状況
そして上記記事の筆者さんはその後、その経験を元に、シェアハウスと同じようなノリで結婚もしました。
その時、彼は相手としっかりと話し合って、「やめたくなったら、即刻結婚関係を解消しよう」と二人で合意して、結婚したと。
すると、もし限界が来ても、やめられます。
そういう「いつでもやめられる」というのは、とても気楽だし、心地よいですよね。
そして、もし未来にその関係をやめたとしても、互いに「あの時期は、人生でも素晴らしい時間だった」と言えるし、互いに過去を思い出して笑い合えるわけです。
人生を発展させるための関係
結婚に限らず、人間関係でも、熱中できることでも、そういう「人生を発展させるための関係」があってもいいと思うんですよ。
たとえその関係が長くは続かなかったとしても、そこで経験したことを元に誰か他の人を助けられるならば、その関係は意味があったと言えるでしょう。
まぁ結婚については、「わざわざ結婚という法的関係にする必要性はあるのか」と問われると、私にはよく分かりませんが(笑
でもまぁ、「関係を続けること」が、関係を作る目的のすべてではないように思います。
普通は「関係をやめること」は不幸で苦しいことのように感じますが、それは社会維持型の「続けることが素晴らしい」という価値観だからです。
「楽しそうだから」とか、「学べそうだから」、「興味があるから」でもいいかなと。
やめる時のことを、徹底的に合意しておくこと
そういう「やめることを前提に作る関係」というのは、社会的にはさみしく感じることかもしれません。
でも、長い人生で見てみると、どんなものにも終わりや別れはあるわけで。
「いつか卒業するから」と、「小学校や中学校に入ることが無意味でさみしいことだ」とか、「どこかに旅をするのは無意味なことだ」みたいに言う人はいないのと同じです。
なら、「いつまでも続けること」よりも、「いつか卒業しうること」を前提に考えると、気楽になれるし、一瞬一瞬の関係を大切にできるかもしれません。
学校とか、旅とか、そういう感覚と同じで関係を作れると。
そういう関係の方が、合うタイプもいるように思います。
そしてその場合、やめる時のことを徹底的に合意しておくことですよね。
会社でも人間関係でも、「この会社や人間関係は、卒業しうる」として、考えておくと。
結婚の場合、たとえもし子供を作った場合でも、離れた後で「子を誰に預けて育ててもらうのか」とか、「養育費をどうするのか」とか、おそらくいろいろあるかと思います。
なら、その辺のセーフティーネットをしっかり作っておけば、変な不幸や食い違いを作ることもなく、うまくやめられるかと思います。
まとめ
なので、そういう「どう続けるか」よりも、「いつでもやめられる」という形にするのも、一つのスタイルかなと思います。
特に自由が好きな人ほど、そういうスタイルも一つの手のように思います。
どこまで続けられるかは、私にも分かりません(笑
私だって、ブログのように比較的長く続けられるものもあれば、数年、数ヶ月で飽きるものもありますからね。
まぁ裏を返すと、長く続いているブログは「なかなか卒業できない」とも言えるんですが(笑
で、「時が来た」と感じたら、卒業して次のステージに進むのでもいいかなと思います。
私自身、どんどん卒業して、人生のステージを変えていくタイプです。
すると、その時々の関係を大切にして、楽しみ学びつつ、その経験を次世代の人々のために使えるかもしれません。
私の中では、それも一つの「社会や人々を発展させる、尊い存在」かなと思います。
もちろん多数派の生き方ではありませんが、そういう少数の「特殊な使命を持つ人」がいることも、世の中には必要なことのように思います。
ということで今日は、「続けることが素晴らしい」か「卒業してゆくことが素晴らしい」か、という価値観のお話でした。
今日はここまで~。