今日も生き方について、短めのお話です。
分からないことは、素直に「分からない」と言えると信頼される、というお話です。
素直に「分からない」と言える方が、信頼される
嬉しいことに、ここんとこはちょいちょいと質問をいただいていて、ブログネタとして使わせてもらってます。
いやまぁ、別に私が信頼されるようになったわけではなくて、ただ単純に偶然が重なっただけなのかもしれませんが(笑
でもまぁ、ネタが提供されるって素晴らしい!(笑
で、最近になって思ったのが、分からないことを素直に「分からない」と言える方が、信頼されるように感じたりもします。
以前の私は、「何でもうまく答えなきゃいけない」とか「相手の抱える問題を解決してあげなきゃ」みたいな思いが強かったように感じます。
でも現実では、私には分からないこととか、できないことって、山のようにあるわけで(笑
それで、質問をもらっても、答えられないことも結構あったんですが。
分からないものは、分からないでいい
でも最近になって、「分からないものは、分からないのでいい。分かることだけ話せばいいや」と思えるようになりました。
これもきっと、ある程度私の中で、劣等感が解決してきたからかもしれません。
「まぁそれで落胆されても仕方ないか。これが私だし、無理に背伸びをする必要はない」と、結果を受け入れられるようになったように思います。
すると、これが気楽でいいんですよ(笑
普通は、「分からないことがあるのは、ダメなこと。自分の価値が落ちること」みたいに感じますよね。
でも実際は、分からないことを「分からない」と言えると、「自分の価値は落ちない。うまくいけば相手に喜んでもらえる」となるわけです。
自分を大きく見せると、相手のせいにし始める
実際に、SNSとかで、よくいますよね。
「俺は何でも答えられる。俺の方法論だと、絶対にうまくいく」みたいな、強い言葉を使ったり、自分を大きく見せるような、アドバイザーとか情報教材の売り手とか。
でもそういう人は、もし教えた相手がうまくできなければ、「相手が悪い」と相手のせいにしちゃうんですよ。
というのも、「絶対にうまくいく!」と言いながら全員ができなければ、自分が嘘つきになりますからね。
だから、「私は正しい、相手が悪い」としてしまうんだろうと思います。
ただ、そういう姿を見ると、私からすると「それはちょっと誠実ではないな」と感じたりもするわけです。
同時に、「そこまでして自分を大きく見せることに、意味はないな」と感じて。
逆に答えやすくなる
それに、「分からない」と言える方が、逆に質問に答えやすくなったように思います。
普通は「分かる」と言う方が、「正しい答え」が出てくるように思いますよね。
でも私の場合、最近は「『正しい答え』なんて、世の中にはないな」と思うようになったわけです。
だって、自力で解決できることも一つの喜びだし、ヒントを模索していくのも楽しみになりうるんですから。
なら、分からないことは素直に「分からない」と言って、分かる部分だけを楽しく語って、相手が何かヒントを得る程度でも十分だと分かります。
たとえヒントがなくても、何か相手がほっとする程度でもいいと。
それだけでも、十分に価値あることだな、と思うようになりました。
まとめ
そんな風に、最近の私は、分からないことは素直に「分からない」と言えるようになったように思います。
ある意味、一つの見栄を手放せたのかなと。
これはとても気楽なので、試してみるのもいいかと思います。
必要なのは、最初に「私はさして知識も知恵も持ってないよ。分からないことも多いよ」と言える勇気だけです。
でもそれができると、分かる部分だけを語れるし、肩の力を抜いて、自然体で生きられるようにも感じます。
ということで今日は、分からないことは、素直に「分からない」と言えると信頼される、というお話でした。
今日はここまで~。