今日は日記的な、雑記です。

「人生では時に、奇跡的なタイミングの連続で、変化をうながされることもありますよね」というお話です。

 

人生のステージを変えつつあります

私はここ最近、今年に入ったぐらいから、「人生のステージを変えよう」ということで、新しい方向に動き出しています

そして先日も触れましたが、ここ1~2週間は「ものや関係が特に壊れやすい時期」を迎えているんですが。

で、ようやく少しは根本問題を対処できてきたし、未来のビジョンも見えてきたので、落ち着いてきたように感じます。

 

それで、ちょっと面白いことがあったんですよ。

それが、「人生では時に、奇跡的なタイミングの連続で、変化をうながされることもある」ということです。

 

「今までとは違う行動」って、しにくい

普通は、なかなか「今までとは違う行動」ってしにくいじゃないですか。

それは当然で、今まで行動していたのと同じように行動する方が、楽だし考えなくてすむからで。

「常識」や「習慣」なんてものは、まさにそれですよね。

 

ただ、そういう常識や習慣は、現状から出たい場合は邪魔になることが多くて。

でも私の場合、意味や文脈が見えると、安心して「常識や習慣を外した、今までとは違う新たな行動」ができるように思います。

 

「これは、こっちに動けということか!」という文脈

これは言うなれば、「これは、こっちに動けということか!」とか、「天が私に、こっちに行けと言っているのか!」みたいな、人生の大きな流れを理解する感覚です。

そういう流れとか意味を理解できると、「そっちに行く意味や価値はある」と分かりますからね。

すると、「じゃあ試しにそっちに行ってみよう」と、身軽に新たな行動ができるわけです。

 

特に、何か大きな問題や悩みを抱えた場合、私はそういう「天が私に示そうとしている方向性」を考えます。

つまり、「天は私に、どういう方向性に向かわせたくて、この問題を起こしているんだろう?」と考えるわけですね。

 

より根本問題から対処できる

すると、そこで「天が私に与える文脈」を理解できると、より根本問題から対処できるんですよ。

例えば私はあまりお金を使わないタイプなんですが、それでも新たな生き方を作っていると、「お金を払って、これを買わなきゃいけない」みたいな問題を抱えることがあります。

その場合、いろいろと「本当にそれは必要なのか。持たずに済ませたり、他のもので代用はできないか」みたいに悩むことになるんですが。

 

でも、「どっちを選んでも、犠牲がある」という場合、どっちを選んでも苦しいじゃないですか。

買えばお金が減るし、逆に買わなければ大きく不便になったりして。

そういう場合、「買うか、買わないか」で悩むのではなく、「天が私に与える文脈」を読み取ろうとします

 

より根本の流れから考える

すると面白いことに、「こっちに行け」という方向性が次々と見えることがあるわけです。

「今までは無駄だったけど、新たな生き方をする場合、これからそれがどんどん必要になる」とか。

もしくは、「今までは必要だったけど、新たな生き方では、ほとんど必要なくなる」みたいな。

すると、そこで「ああ、そっちの方向に行けということか」と分かって、決断ができると。

 

これは、長期で考えるための方法論だと思えばいいでしょう。

そもそも、「右か左か」で悩む場合、メリットとデメリットが同等だから悩むわけです。

でも、そこで長期の方向性を考えると、「長期で望む生き方では、これからどんどん必要になる」とか、「長期では、これから使わなくなる」と分かります。

なら、目先のメリットとデメリットのバランスが崩れて、決断しやすくなるわけですね。

 

奇跡的なタイミングの連続で起きることもある

これは本当に面白いもので、一度未来のビジョンが見え始めると、奇跡的なタイミングの連続で、変化をうながされることも多いんですよ。

実際にここ3~4日の私は、問題が起きると、その翌日とか翌々日に解決につながる別の出来事が起きていたりします。

「あの人と相談すれば決断できそうだけど、なかなか連絡するのもなぁ」と思っていると、その相手から滅多にない連絡が来たり。

「これは手放したいなぁ。ここからは撤退したいなぁ」と思っていると、その翌々日に、その中核となるサービスから「事業転換で、そのサービスは縮小します」とうながされたり。

 

面白いのが、これらすべての出来事は、すべて「問題」なんですよ(笑

普段なら、それはただの「日常的な問題」でしかなくて、「面倒だな」とか、「対応しなきゃいけないな」と、表面的に対処するだけです。

 

でも、変化している時期ほど、そういう「日常的な問題」は「こっちに行けという、天からのメッセージ」になるんですよね。

というのも、その文脈が指し示す先は、そんな「日常的な問題が根本的に解決している世界」になるんですから。

だから、普段なら「いつもの問題だ」と習慣的に解決することを、根本対処するきっかけにできます。

そうして、「もう根本的に、これはやめよう」とか、「思い切って、こっちに向かってみよう」とできて、大胆に動き出せると。

 

まとめ

そんな風に、「天から与えられる文脈」を理解することで、常識や習慣を打破しやすくなるように感じます。

同時に、長期的な判断をしやすくなるし、犠牲も受け入れやすくなるように感じます。

 

ある意味、「奇跡的なタイミングの連続」というのは、「短期間で文脈が理解できるようになるから、奇跡的に連続するように感じる」と言えるのかもしれません。

普段は、そういう「日常的な問題」は、「そういう問題が起きるのが常識。当たり前。習慣」だと切り捨ててしまっているわけです。

「だから現状にとどまっている」とも言えるでしょう。

 

でも、そこで文脈を考えると、頻発する些末な問題ほど、一気に「こっちに行け」というメッセージだと気づけると。

これが分かると、うまく根本問題を対処できて、現状から出やすくなるかもしれません。

 

ということで今日は、「人生では時に、奇跡的なタイミングの連続で、変化をうながされることもありますよね」という雑記でした。

今日はここまで~。

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