昨日に引き続き、今日も生き方のお話です。
「思い通りにならないこと」に対して、どう対処すればいいのか、というお話をしてみましょう。
昨日の記事で、「現実とはどういうものか」について触れましたよね。
私の中では、現実とは「より客観的な視野から見た、ものの見方」だということです。
その現実について、もう少し語れることがあるので、それについてお話ししてみましょう。
「思い通りにならない」をどうするか
「思い通りにならないこと」って、ありますよね。
例えば「親が理解してくれない」とか、「周囲が私の状態を察してくれない」、「頑張っても報われない」とかあるかもしれません。
人によっては、それで他の人を批判したり、怒りを持ったりして、他者を変えようとして衝突してしまったりするんですが。
なら、そういう「思い通りにならないこと」に対して、どう対処すればいいのか、ということです。
で、私が最近好むスタンスとして、「現実を正確に把握する」というアプローチがあります。
これが分かると、争いが苦手な人ほど、うまく自分の行動を調整できて、豊かさや幸せを得られそうに思います。
なぜ「思い通りにならないこと」を変えようとするのか
ちょっとここで考えてみましょう。
なぜ、「思い通りにならないこと」を変えようとしているんでしょうか?
というのも、「思い通りにならないこと」=「変えられないこと、変えにくいこと」だと言えます。
つまり、「変えられないことや、変えにくいことを、必死で変えようとしている」わけです。
なら、それで「変えられない」と苦しむのは当然だと分かります。
変えやすいものから変えよう
ここで冷静になって考えてみると、「変えられるもの、もしくは変えやすいことから変えていくこと」の方が、うまく願いを実現できそうですよね。
できないことに執着するよりも、できることを優先して着手してゆけば、現実は変化していくんですから。
簡単に言うと、「思い通りにならない」と感じている時って、私たちは現実を誤認しているわけです。
本当は「変えられないもの、変えにくいもの」なのに、自分は「変えられる」と思い込んでいると。
「自分の持つ現実感」が問題
この「自分の持つ現実感が問題だった」と気づけるかどうかじゃないかと思います。
以下ではこの「自分の持つ現実感」を、「自己現実感」と呼ぶことにしましょう。
金融業界では、これを「ナラティブ」とも呼ぶんですが、まぁ分かりやすくするために「自己現実感」で行きましょう。
私たちは、もっと「現実」をうまく認識する必要があると思うんですよ。
だって、現実に即した行動ができれば、「思い通りにならないこと」を減らせて、「思い通りになること」を増やせるんですから。
「現実」を認識しよう
例えば「この親には、私から何を言っても無駄だ」というのが現実な場合、その現実を理解していれば、無駄なことを減らせます。
で、「この親は、あの人からの言葉なら聞く」とか、「私がこの親に尽くさなくても、別に罪悪感を持つ必要はない」と現実が分かると、それに即した対処ができます。
それなのに、現実とは異なる「自己現実感」を持つことで、無駄に尽くしてしまうわけですね。
「私はあの親に尽くさなければならない」、「親に認められれば、私は幸せになれる」みたいに、現実ではないことを、現実として思い込んでしまっていると。
もちろん、「私たちが持つ自己現実感が、正しい現実である」と証明することはできません。
だけど、私たちの持つ自己現実感を、現実に近づけることで、思い通りにならないことを減らしてゆけます。
現実を認識するために重要な、2つの要素
そしてそういう現実を認識するために重要なのが、次の2つの要素だろうと思います。
- 「分からないこと」を正確に把握すること
- 「常に反対側の価値観や生き方もある」と把握すること
まず重要なのは、「分からないこと」を正確に把握することですね。
言うなれば、「本当は分からないことなのに、自分で分かったことにしないこと」です。
「分かっていなかった」と分かるだけで、霧が晴れる
私の中では、「分かることを増やそうとする」よりも、「分からないこと」をぐっと増やす方が、可能性は見えるように思います。
だって、「何でこうならないんだ!」と苦しむのは、「自分が現実を分かっていないから」なわけです。
すると、「あ、私は現実を分かっていなかったんだ」と分かるだけで、ぱーっと目の前の霧が晴れます。
なら、他にも「分かっていないこと」とか、「知覚できていない現実」があるはずです。
そういう感覚だと、私たちは新たな現実や、思い込みとは違う現実を受け入れられるようになります。
「反対側の価値観もある」と知ること
で、次に重要になるのが、「常に反対側の価値観や生き方もある」と把握することです。
どんな世界にでも、一つの価値観があれば、その反対側の価値観があります。
そもそも「価値観」というのは絶対的なものではなく、相対的な「ものを見る見方」でしかありません。
「南極が好き、砂漠は嫌い」とか、「砂漠が好き、南極は嫌い」みたいに、生命が生き抜くために持つようになった「違い」でしかないと。
なら、相対的なものでしかないのなら、「別の立場から見れば、別の価値観がある」と分かります。
簡単に言うと、「そうしなくてもいい。そうしない方が、むしろいい」という、自分に合う生き方や価値観が、必ずある、ということです。
「知覚できていない現実」を認識する
例えば「親に尽くさなきゃ」、「周囲の期待に応えなきゃ」とか思っていたとしても、それは相対的な一つの価値観でしかありません。
場所を変えると、必ず「親には尽くさない方がいい」、「周囲の期待には応えない方がいい」という立ち位置もあります。
なら、「常に反対側もある」とすることで、「知覚できていない現実」を認識できるようになります。
今までは、「親や周囲に従うのが当然」という世界しか認識できなかったのが、急に「そうしないのが当然の世界もある」と理解できるようになります。
そうすることで、より適切な「現実(より広い視野から見た景色)」が得られる、ということです。
親や周囲に尽くさなくても、「未来の世代に、何かを残せれば、それでいい」という生き方もできるかもしれません。
また、「親や周囲は、私が尽くさなくても、自力で幸せになれる」という世界も理解できるかもしれません。
そういう「現実」を理解できると、無駄なことを手放せて、「自分が変えられるもの」に目を向けて、着実に豊かさや幸せを作れるんじゃないかと思います。
まとめ
なので「思い通りにならないこと」に対しては、「現実を正確に把握する」というアプローチもいいように思います。
現実とは、「より広い視野から見た景色」です。
思い込みを排除すれば、「変えられることを変えよう」、「分からないことを試そう」とできます。
で、そのために、特に「分からないこと」を正確に把握することですね。
そして、「常に反対側の価値観や生き方もある」と知ることです。
すると、「思い通りにならない」という状態から脱して、できることから着手して、現実を変えやすくなるかもしれません。
ということで今日は、「思い通りにならないこと」に対して、どう対処すればいいのか、というお話でした。
今日はここまで~。