今日は、価値観のお話です。
より広い視野で物事を見ると、合理性で判断できるようになる、というお話をしてみましょう。
ドバイでは、日本車が優れている事情
とある人(日本人)がいるんですが、その人が以前にドバイに行って、こんな風にSNSで言っていたんですよ。
「ドバイでは、意外と日本車って多いし、それだけ価値が認められているみたい。だから改めて、日本車のブランド価値とすごさを実感した。
日本で外車に乗る必要なんてないやん!」……みたいな。
まぁ、ドバイや中東は石油産出国なので、電気自動車は今のところさして重要ではありませんからね。
それに、気温も高くて砂漠も多いので、壊れにくさが求められるのかなと。
だから、「日本車が優れている」という評価なのかもしれません。
で、私はこの言葉に、結構はっとさせられたんですよ。
というのも、日本では「外車が格好いい」とかいう感覚じゃないですか。
でも、「より広い視野で見ると、合理性で判断できるようになるんだな」と分かったからですね。
世界には、いろんな違いがある
私たちはよく、見栄のためだとか、自分の個性を保つために、あえて違うものを選ぶことがあるものです。
例えば日本で外車に乗っている人でも、「自分は周囲とは違うんだ、と示したいだけ」みたいなタイプの人がいますよね。
それだけでなく、「周囲と合わせたくない。周囲の雰囲気になびきたくない」みたいに、自分軸を保ちたいためだけに、あえて違うものを選ぶこともあって。
でもよくよく考えると、そういう「周囲と合わせたくない」というのは、ある意味「視野の狭さ」でもあるように思います。
だって、日本では「日本的なものがありふれている」状態ですが、世界中から見れば「日本的なものって、とても珍しい」からです。
例えば世の中には、白人もいれば黒人も、アジア系もオセアニア系も中東系の人もいて、いろんな文化があるんですから。
すると、世界中を見ている人とか、世界の視点を持つ人ほど、そういう「周囲の日本人と合わせたくない」みたいな心理は無意味になると分かります。
それは、「世界には、いろんな違いがある。多様性に満ちている」と分かっているからですね。
だから、合理性や機能性で選べる
なら、純粋に合理性や機能性で選べるようになるわけです。
「日本車はやっぱり素晴らしいな。なら、日本で車に乗る場合、日本車を選ぼう」とできると。
裏を返すと、「周囲と合わせたくないから、外車に乗る」というのは、「日本という狭い世界で、周囲の日本人と比べて張り合っているだけ」だと言えます。
そういうのは、なんと言うかもったいないというか、非効率ですよね。
だって、広い世界を知れば、「私はかなり特別で珍しいタイプだった」と分かるんですから。
狭い世界だけで比較しているから同じに見えて、自分に特別なものが何もないように感じていただけなんだと。
なら、わざわざ「狭い世界で高いお金を払って、自分を特別に見せようとすること」に意味はないと分かります。
だって、広い世界に出れば、その欲求は満たせるんですから。
この部分に気づけるかどうかじゃないかな、と思ったりもします。
まとめ
なので、「周囲と合わせたくない」という感覚に対しては、より広い視野を持つのもいいように感じます。
世界基準で見れば、日本だとか、東アジアに住んでいて、そういう文化を持つだけでも、まったく特異な性質ですからね。
ひょっとすると、そこから独自の強みも見つけられるかもしれません。
「自分がいる狭い社会では十分に足りているけど、世界や他の文化圏では足りていないもの」は、結構あるものです。
なら、狭い世界で違いを作る必要はないと分かって、広い世界で、自分の個性を生かせる場所を見つけられるでしょう。
そういう風に発想すると、「そのままの自分」を受け入れられて、うまくいく場が見えやすくなるかもしれません。
ということで今日は、より広い視野で物事を見ると、合理性で判断できるようになる、というお話でした。
今日はここまで~。