今日は、生き方のお話です。
方向性を決める段階では、「細かいことはどうでもいいんだよ!」でよさそう、というお話です。
いろんなリスクが見えて、動けなくなる問題
私たちは現状から出たいものですが、「未来を考えるといろんなリスクが見えて、動けなくなる」ってこと、ありますよね。
これは特に、未来をつい考えてしまうタイプで、リスクに対して鋭くて、いろんな推論をできるタイプの人に多いように思います。
例えば旅に出たかったとしても、「お金を落としたらどうしよう」とか「強盗に遭ったらどうしよう」、「怪我をしたらどうしよう」みたいに、いろんな細かいリスクを考えてしまうわけです。
そして結局、「安全を確認できるまでは、ちょっと保留しておこう」と、現状に居続けることを選んでしまうわけです。
まぁそれはそれで安全重視でいいとは思うんですが、動きたいのになかなか動き出せないこともあって。
その場合、「詳細度のレベルをごっちゃにしない」ということを意識するのもいいかと思います。
すると、「方向性を決める段階から、細かいリスクを考える必要はない」と分かって、動きやすくなるかもしれません。
「リスクの詳細度」をしっかりと把握しよう
私たちが「自分なりの人生」という旅に出る場合、「リスクの詳細度」をしっかりと把握しておく方がいいように思います。
「リスクの詳細度」というのは、「今の視野レベルでは、どんなリスクがあるのか」という、見ている視野の広さに合わせて考えることです。
例えば日本地図を見て「どういうルートで行こうか」と検討している場合、日本地図から判断すればいいわけです。
で、時に「修羅の国、福岡で暴動が起こって、福岡は危険地帯になった」とかあるんですよ(笑
そういう場合、「じゃあ福岡は避けて通ろう」とするだけでいいと分かります。
だけど詳細度をごっちゃにしてしまうと、「福岡はこんな修羅な状態になっている。街は荒らされ、破壊されて、人々は泣き叫んでいる」とか見ると、「世の中は怖いな」と感じてしまうんですよ。
そして「安全が確認できるまで、やめとこうか」としてしまうと。
こういうのが、「詳細度をごっちゃにしてしまう」ということです。
大きな視野で方向性やルートを考えている段階なのに、小さな「この部分では、こういう避けられそうにない大問題がある」というリスクを詳細に見過ぎて、それで全体を判断してしまうわけです。
「視野のレベルをごっちゃにする」例
でも実はこういう「視野のレベルをごっちゃにしてしまう」ということは、よくあるように思います。
特に経済とか人生みたいに、「複雑で、いろんな要因があるように見えること」ほど、こういう誤認は多くなるように感じます。
例えば経済とか金融でも、「お金を作りすぎたら、インフレ(ものの値段が上がる状態)になる」というのは、シンプルな原理です。
だけどそこで、「海外から見ると、国家も国民も家族のようなものだから、内部だけなら大丈夫」とか、「日本はこういう会計方式だから大丈夫」、「政府の借金は、国民の資産。だから国民は大丈夫」みたいに、急に視野の詳細度を変えるわけです。
すると、確かにそういう細かい視野であれば、それぞれの論理は正しいんですよ。
だけど、広い視野から見ると、とてもちぐはぐだと分かります。
お金を作りすぎたらインフレになるし、「国家も国民も一つの家族のようなもの」なら、「お金を作るほど、国はインフレで国民の豊かさを奪える」と分かります。
全然「政府の借金は、国民の資産。だから国民は大丈夫」ではありませんよね(笑
つまり、会計という小さな詳細度で全体を判断してしまっているから、「論理的には正しくても、俯瞰して見ると何かおかしい」という現象が起きると。
で、多くの人がその「詳細度が違う」という事実に気づかないから、論理で反論できません。
だから、そういう「部分的には正しいけど、全体で見ると不自然」という論理がまかり通っているように感じます。
「アキレスと亀のパラドックス」と同じ
これは、以前に説明した「アキレスと亀のパラドックス」と同じ構図です。
「(アキレスが亀に追いつくまで、という狭い視野では)アキレスは亀に永遠に追い抜けない」というのは、論理的に正しいものです。
そしてそれは、その視野レベルでは正しい論理なので、論理で反論するのはだいぶ難しいと分かります。
だけど、自然な立ち位置(広い視野)から見ると、「アキレスは亀を追い抜けない」というのは「それっておかしいよね」とすぐに分かります。
そういう「視野のレベルが変わると、嘘が紛れ込みやすい」という現象と同じです。
まとめ
だから人生の旅では、「大まかな方向性を決める段階では、小さなことはどうでもいいんだよ!」とするぐらいでいいように思います。
その「小さな問題」というのは、「より大きな方向性の転換」で回避できうるからですね。
すると、「避けては通れないリスクや問題」というのは、予想以上に少ないと分かります。
繰り返しますが、それは大きめの方向転換で回避できるんですから。
なら、「大きめの方向転換をしていい」、「一度決めたことを変えていい」、「周囲に表明していた自分の生き方を変えていい」という自分への許しが、問題を解決する1つのコツだと分かります。
「問題を解決するコツ」というよりも、「そもそも解決できない問題を、解決しなくてもいいとできるコツ」と言えるかもしれません。
そして、解決できそうな問題だけに取り組んでゆけば、だいたいの問題を解決できそうだと分かります。
まぁそれは当然で、解決できそうな問題だけ狙って取り組めば、まぁだいたい解決できますからね(笑
こういう「視野のレベル(広さ、狭さ)を適切に調整できること」が、「知恵」とか「戦略」と言えるように思います。
だから私たちは変わっていいし、変化していいように思います。
それは大きな方向性ですら、変えていいようにも思うんですよ。
だって、自分の人生だし、自分の旅ですからね。
すると細かいリスクに惑わされずに、「私はこういう方向性に進みたいから、こう動こう」と決めて動き出せるかもしれません。
ということで今日は、方向性を決める段階では、「細かいことはどうでもいいんだよ!」でよさそう、というお話でした。
今日はここまで~。