今日は生き方のお話です。

自分なりの「大切なこと」に誠実になれると、胸を張って生きられる、というお話です。

 

「自分に自信がない」という感情

「自分に自信がない」とか、「みんなのようにできなくて、自分が恥ずかしい」みたいな感情を持つことって、人によってはあるかと思います。

特に個性が強い人で、自分の強みがまだ分かっていない状態だと、周囲と比較してしまうものです。

そして、十分に地位を得ていたり、お金を稼げていたり、活躍している人を見て、「みんなはいろんなことができてすごいなぁ。でも自分は何もできない」と感じて、落ち込んだりして。

 

そういう場合、「自分にとっての大切なこと」に誠実になるのもいいように思います。

すると、「自分のような個性がある人間ならば、生きるのが苦しくて当然だ。でもそれでいい」と、胸を張って生きられるかもしれません。

 

外国人が日本で生きることをイメージしてみる

これは、外国人が日本で生きることをイメージしてみるといいでしょう。

その外国人が「日本の人たちと同じように、うまくできる」かというと、そういうわけではありませんよね。

だって、その人は違う国で生まれて、土台も素質も文化も、多くのことが違うんですから。

 

私たちのような「個性のあるタイプ」とか、「周囲と同じようにできないタイプ」は、その外国人と同じです。

「日本社会」という多数派の中で、「持ち合わせた性質によって、社会や周囲と同じようには生きられない側」という、異質な少数派だということです。

 

「自分は少数派だ」と受け入れればいい

なら、最初から「自分は少数派だ」と受け入れればいいように思います。

すると、「苦しくて当然だし、みんなと同じようにできなくて当然だ」と受け入れやすくなります。

 

そもそも、「周囲と同じようにできない」という時点で、明かな少数派ですからね。

ある意味、変に「同じ日本人だから」と同列に置くから、「みんなと同じようにできなきゃ」と感じてしまうわけです。

その「自分は多数派ではない」という事実に向き合うことだろうと思います。

 

自分はどうやって生きるのか

そしてそういう風に「自分は少数派だ」と受け入れられると、「自分はどうやって生きるのか」ということが大切になります

だって、周囲と同じようにはできないし、「それを受け入れた上で、自分はどうしたいのか」に直面せざるを得ないからです。

 

すると、「自分にとっての大切なこと」が重要になるかと思います。

自分が生きていく上で、何を大切にするのか、ということですね。

 

競争をするのか、それとも弱者を助けるのか、奪い合いを重視するのか、それとも新たに作ることを重視するのか。

自分が納得できることをするのか、それともただ黙って、周囲に従うことを重視するのか。

まぁいろんな価値観があるかと思います。

そういう「自分にとっての大切なこと」に誠実になる、ということです。

 

「自分にとって大切なこと」に誠実になれると、胸を張って生きられる

そしてこれができると、胸を張って生きられるんですよ。

だって、それは文字通り、自分にとって大切なこと、意味あることができるからですね。

 

たとえ「そんなことをして何になる」と周囲からバカにされても、うまくできなくて見下されても、自分だけはその大切さや価値を感じられています。

だから、「私にとっては、これが大切なんだ」と、胸を張って答えられるし、周囲と比較する必要すらないと分かります。

 

例えば「自分と同じ境遇で苦しんでいる弱者を助けることが、私にとっては大切だ」と分かれば、それに誠実になると。

すると、バカにされても、見下されても、関係ないですよね。

自分にとって本当に大切なことなら、外野の騒音なんてどうでもよくて、「苦しんで泣いている人を、どう救うか」が重要になるんですから。

 

合わない場からも出やすくなる

すると、結果に対しても受け入れられます

「やれるだけやって、それでもダメなら仕方ない」、「自分にとって大切だと思うことをして、それでこの社会から退場勧告を食らうなら、仕方ない」と、自分の生き方を重視できます。

 

ある意味、自分に誠実になって、それでもその社会から排除されるのであれば、そこは「合わない場だ」と分かりますからね。

自分のような価値観は、その社会では必要としていない、ということです。

ならば、後悔も恨みもなく、「ここは私が生きる場ではない」と、他の場に移れるでしょう。

 

自分に嘘をついているから、自己肯定感を求めてしまう

これは見方を変えると、多くの人がこれとは正反対のことをしているから、「自信がない」、「誰か、私を認めて」と言っているように思います。

「私は多数派だ」として、「みんなが大切にしていることを、私もしなきゃ」と、自分に押しつけているわけですね。

そして、自分が本当に大切だと思うことを無視して、自分に嘘をついて、ごまかしていると。

 

そういう状態で、「自己肯定感を高めよう」とかしても、明らかに無駄でしょ(笑

だって、自分が自分に嘘をついているんですから。

 

だから、どんなに「(嘘をついている)自分のいい点を見ましょう」とか、「(嘘をついている)自分を褒めましょう」とか言っても、無駄なわけです。

で、多くの人が自分に嘘をついていることすら忘れてしまって、代償欲求に手を出してしまうと。

その代償欲求として、「自己肯定感への欲求」とか「チヤホヤされたい、認められたい欲求」、「アルコールや薬物で、苦しみから逃れたい」みたいな欲求があると。

 

まとめ

そんな風に、自信が得られなかったり、周囲と同じようにできなくて恥ずかしく感じた場合、「外国人が日本で生きるように、多数派の中で少数派として生きよう」としてみるのもいいように思います。

これは特に、個性がある人ほどこういう「自分は少数派だ」という認識が重要になるように思います。

 

そして、少数派だったとしても、孤独なわけではありません。

「孤独」と「少数派」は違いますからね。

少数派だとしても、似たような感性の仲間はいるので大丈夫です。

 

なら、その上で「自分にとって大切なことをしよう」とできれば、胸を張って生きられます。

そういうのが、健全な自尊心じゃないかな、と思います。

 

すると、「自信のなさ」とか「周囲と同じようにできない恥ずかしさ」なんて関係なくなって、自分にとって大切なことができるかもしれません。

 

ということで今日は、自分なりの「大切なこと」に誠実になれると、胸を張って生きられる、というお話でした。

今日はここまで~。

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