今日は、論理のお話です。

アキレスと亀のパラドックスを、さらに分かりやすく説明してみることにしましょう。

 

アキレスと亀のパラドックス

5年ぐらい前に、アキレスと亀のパラドックスについて分かりやすく説明しましたよね。

再度説明しますが、「アキレスと亀のパラドックス」とは、いわゆる「矛盾を含んでいるのに、矛盾をうまく説明できない」というものの典型です。

 

足の速いアキレスは、足の遅い亀と競争をしました。

ただしアキレスは、ハンデとして亀よりも少し遠い場所からスタートします。

 

なら、アキレスが亀にたどり着くまで、亀はその分だけ少し前進します。

その後、アキレスは亀を追いかけますが、アキレスが前進した亀に追いつくまでに、さらに亀は少しだけ前進します。

これが永遠に繰り返されることになり、「アキレスは亀に永遠に追いつけない」と言えます。

 

なぜ矛盾を説明できないのか

もし自然な立ち位置から見れば、これは「アキレスは亀を追い越して当然だろう」と、すぐに分かります。

でも論理だけを見ると、「アキレスは亀を追い越せない」と分かって、その矛盾を説明しようとしても難しいものです。

だから、論理で人をだます場合によく用いられる技術なんですが。

 

なら今日は、なぜこれが矛盾を抱えているのか、分かりやすく説明してみましょう。

すると論理にだまされることなく、「論理に違和感を覚えたら、近寄らない」ということができるかなと思います。

以前(5年前)の記事でも語りましたが、今回はそれをもっと分かりやすくした、改良バージョンです。

 

「今までがこうだったから、これからもこうなる」理論

このアキレスと亀のパラドックスは、私の言葉でまとめると、「今までがこうだったから、これからもこうなる理論」だと言えるでしょう。

一般的な感覚なら、広い視野とか、自然な立ち位置から見て「なんか変だぞ」と分かるものです。

なのに、全体像を無視して過去の一部分だけを前提条件にすることで、あたかも今までの状態が永遠に続くかのように見せかける技術だと言えます。

 

これは、図で見ると分かりやすいでしょう。

長期的に見ると、次図のように、基本的に「S字曲線」と呼ばれるような自然の法則があるものです。

 

「すべての物は、死を迎える」が自然な感覚

これは、一番大きなサイクルとして、「すべての生命やものには、衰退や死がある」という物の見方です。

例えば日本人なら、「諸行無常、盛者必衰」という感覚は分かりやすいかと思います。

 

他の例で言うと、「春夏秋冬」みたいに、「生まれ育ち、盛りになり、衰え、死にゆく」という一連の流れです。

そして「春や夏が美しいだけではない。秋や冬も、その時々で、はかない美しさや、散りゆく風情がある」というのが、四季の感覚ですよね。

「ずっと成長し続ける」ことはあり得なくて、死を含むまでの一連の流れを、一つの大きな流れととらえると。

こういうのが自然な感覚のように思います。

 

過去の情報からだけで、未来を決めつけてしまう

なのに「アキレスと亀のパラドックス」では、「今までがこうだったから、これからもこうなる」と、過去の情報からだけで未来を決めつけてしまうわけです。

図で言うと、次のように言えるでしょう。

 

これは特に、春夏秋冬で言うと「夏の時期」に叫ばれやすいものです。

インターネットが拡大してきたら、「今まで情報量がこれだけのペースで増えてきたから、これからは爆発的に増えて、情報爆発が起きる!」とか。

ビットコインが成長してきたら、「今までビットコインはこれだけのペースで増えてきたから、これからは爆発的に増える!」とか。

MMT(現代貨幣理論)で言うと、「今まで通貨をいくら作ってもインフレは起きなかったから、これからも起きない!」とか。

 

これが、「アキレスと亀のパラドックス」のトリックです。

その結末には「死」がなく、ある意味「永遠の成長」や「爆発的な発散」という、不自然な結末があります。

もちろん逆数にすることで、「アキレスは亀を追い抜けない」みたいな「永遠の収束」や「爆発的な消滅」もあるでしょう。

 

「自然な立ち位置から見る」という必要性

実際に、「その時点からの過去だけ」を判断基準にすれば、そう言えます。

でも、自然な立ち位置で全体像を見ると、「そんなことはありえない」と分かるものです。

特に特徴的なのが、「その結末が、不自然に終わる」ということです。

だって、「すべてのものは栄枯盛衰を持つし、盛者必衰だし、いつかは死ぬものだ」、「すべてのものは、突然に全宇宙を越えるほど、無限大に爆発することはない」などと分かるからですね。

 

だから、論理に触れる場合は、まずは自然な立ち位置から見る必要があります

すると、自然で当たり前のことが、当たり前のこととして理解できます。

 

「アキレスは亀を追い越せないとか言うけど、アキレスは亀より足が速いんでしょ。なら、普通に追い越せるよね」

「ビットコインが成長するって言っても、世の中の通貨量で制限されるし、価値は相対的なもの。なら、頭打ちになる時期が来るものでしょ」

「お金を作り続けていたら、いつかお金の価値はなくなって当然だよね」

これらは自然だし、当然のことだと分かります。

 

論理で反論しようとすると、できなくなる

だけどこの場合、「論理で反論しよう」とすると、できないんですよ。

だって、そのロジックは(その前提条件の上では)完璧なんですから。

 

「今までがこうだったから」という前提条件を変えない限り、論理に破綻はありません。

ある意味、問題なのは論理ではなく、前提条件なんですよね。

 

そしてそういう「前提条件に対する思い込み」は、目からウロコ的な発想転換が必要になります。

つまり、前提条件は思い込みにつながるからこそ、なかなか簡単には覆せないんだと。

なので、論理的に反論しようとするほど反論できずに、理屈では納得せざるを得ないわけです。

 

劣等感を持つ人ほど、だまされやすい

その場合、劣等感や不安、強い欲望を持っている人ほど、このパラドックスにやられてしまいます

というのも、そういう人ほど、論理にコンプレックスを持っているので、「論理的に言える人が素晴らしい」と思い込んでしまっているからです。

 

劣等感を持つ人ほど、「バカだと思われたくない」とか、「論理で言い返せなきゃ、見下される」、「論破しなきゃいけない」みたいに思い込みがちです。

だから論理で考えるんですが、論理には矛盾はないんですよ。

問題なのは、前提条件なんですから。

だけど、「論理で反論しなきゃ」と思うから、相手から「言い返せないでしょ。なら、この論理は正しいってことだよ。お前が間違っている」と言いくるめられてしまうと。

 

そして不安や欲望を持つ場合、その不安を解決したかったり、欲望を実現したいわけです。

欲望と不安は表裏一体ですからね。

すると、そういう「自分の欲望を満たすだけの行動」を正当化したいがために、「この論理は正しい」と採用することもあります。

つまり、「自分を正当化するための論理」として使いやすいと。

 

こうして、積極的にしろ消極的にしろ、論理に反論できなくなります。

結果として、心の底では「なんか変だぞ」と感じつつも、「論理では正しいんだから」と自分に言い聞かせて、論理に操られてしまうわけですね。

 

劣等感を持たない人は、自然な感覚で考えられる

一方で、特に劣等感を持たない人は、自然な感覚で考えられます

すると、言っている人の言葉や表情、論理を見て、「なんか変だぞ」、「なんかおかしいよね」と感じられます。

だから「よく分からないけど、なんかやばいぞ。近づかないでおこう」と直感で分かって、詐欺的な論理でも回避できるわけです。

 

バブルでも、ビットコインやS&P500、MMTでも、よくよく考えると不自然だと分かりますよね。

だって、「買い続けさえすれば、お金持ちになれる」、「お金を作り続ければ、ずっと政府財政は安泰」なんて、自然な立ち位置から考えると「なんか変だぞ」と感じるものです。

それは、「諸行無常、盛者必衰」という感覚からすると、「すべての物が成長しつづけることはありえない」と分かるからです。

 

欲に駆られるほど、自然が見えなくなる

なのに、欲に駆られた人ほど、これが見えなくなります

そして「今までがこうだったから、これからもこうなる理論」を信じてしまったり、正当化してしまうと。

 

例えば投資でも、確かに「上がれば下がる、下がれば上がる」みたいな法則はあって、これはそれなりに普遍的なものでしょう。

だから、金融業界にもある「Buy the dip(落ちたら買え)」みたいな論理が出てくるんだろうと思います。

私も「歴史は繰り返す」という論理を使いますからね。

 

でも、それ以上に「諸行無常、盛者必衰」とか「栄枯盛衰」みたいな、より根源的な法則があるものです。

つまり、「なぜ今が衰退期ではないのか」を論理で説明できない限り、その「歴史は繰り返す」という論理は無意味だ、ということです。

それは、「今まで湖では上下の波があったかもしれないけど、実は湖にも寿命はあって、水が涸れることもある」と分かるからですね。

 

まとめ

これが分かると、「なんか変だぞ」と感じる論理には、近づかなくていいと分かるかと思います。

無理に論破しなくていいんですよ。

だいたい劣等感を持つ人ほど論破しようとして、論理の罠にはまってしまいますからね。

 

そして、強い欲や不安に駆られている人ほど、こういう「自分を正当化するための論理」を使います。

これも同じように、「怪しいものには近づかない」ということですね。

 

「今までがこうだったから、これからこんなひどいことになる!」、「今までがこうだったから、これからはこう爆発する!」みたいなあおりも、無視することです。

そういうのは、恐怖や欲望をまき散らしたい人の、自滅的な憂さ晴らしでしかありません。

 

なので論理を見る前に、自然な立ち位置から見ることですね。

すると、「何か変だぞ」と分かって、危ない論理からは距離を取れるかと思います。

もし社会がそういう論理にはまってしまった場合、個人で準備しておくことで、たとえ社会が崩壊しても、自分は利益に転化できるかと思います。

 

ということで今日は、アキレスと亀のパラドックスを、さらに分かりやすく説明してみました。

今日はここまで~。

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