今日は、生き方についてのシンプルなお話です。
なぜ方向性を持って進みたい人ほど、我慢強くなくていいし、むしろ打たれ弱い方がいいのか、その理由を語ってみることにしましょう。
なぜ方向性を持って進みたい人ほど、我慢強くなくていいのか
最近の私は、世の中の仕組みとか、内面の仕組みをいろいろ見ているんですが、「世の中ってうまくできているな」と感じることが多くなりました。
喜びだけでなく、苦しみも含めて、いろんなことに意味や役割があるものなんですよね。
で、その中の一つに、「方向性を持って進みたい人ほど、我慢強くなくていいし、むしろ打たれ弱い方がいい」ということがあるように思います。
これが分かると、より自分の性質を受け入れて、動きやすくなるかもしれません。
進みたい方向に向かう時には、元気が出る感覚
この理由は簡単で、方向性を持って進むことが心地よい人にとっては、進みたい方向に向かう時ほど、「我慢」という感覚ではなくて、「熱中できて、元気が出る」という感覚になるからですね。
そして進みつつ、いろいろと方向転換や調整をして、問題を乗り越えてゆく流れです。
なら、「進むこと」=「心地よいこと」、「適さない方向からの軌道修正」=「落ち込み、立ち直ること」という感覚になります。
だから、方向性を持って進みたい人ほど、「落ち込みもするけど、それでもより元気に生きられる方向に進んで、元気になってゆく」という生き方になりやすいと。
「落ち込むこと」と「元気になること」の二つがセットでいい、ということです。
むしろ、この両方が得られている人ほど、うまく自分に合う方向に進めていると分かります。
生き方を変える、2つのきっかけ
私たちが生き方を変えるには、2つのきっかけがあるように思います。
1つめが「目からウロコの体験をすること」で、2つめが「失敗や挫折をすること」ですね。
生き方を変える1つめが、「目からウロコの体験をすること」です。
これによって、「そういう生き方をしてもいいんだ!」と可能性を得られて、より自分に合う方向に向かうことになります。
まぁこれについては今までもいろいろと触れてきたので、今回はスルーで。
で、生き方を変える2つめが、「失敗や挫折を味わうこと」ですね。
というのも、失敗や挫折というのは、「このまま進んでもダメだ」と理解することです。
だから「これはあきらめよう」とできて、今までの方向性や執着を手放せて、新たな方向を選べるんですから。
なので、これは「合わない場から出る」時に多く使われます。
早めに挫折しておく方が、後々の人生で楽になれる
その場合、もし失敗や挫折がなければ、ずーっと自分には合わない場にいたり、合わない方向性に進むことになりますからね。
それは、進めば進むほど苦しくなるものだと分かります。
特に、「生き方」レベルでの大きな方向性は、早めに挫折して修正しておく方が、後々の人生で楽になってくると分かります。
そして失敗や挫折をすると、自分の内面に触れて、こじれを生んだ過去を手放せます。
というのも、失敗や挫折をすると、「どうして過去の自分は、こういう間違った方向性を選んだんだろう?」と、原因に踏み込んで考えられますからね。
すると、「ああ、過去のああいう経験や出来事が、私に影響してこうさせたんだ」と理解できます。
言い換えると、「こじれを持っているから、自分に合わない方向性を選んでしまった」とも言えるでしょう。
だから、過去の苦しみや哀しみを清算することで、過去を手放せて、より自分に合う方向に向かえるようになるわけです。
なので、「失敗や挫折を多く味わって、方向転換するほど、苦しい過去を手放せるし、こじれをなくせて、内面的に楽になれる」ということです。
実際に私の場合も、大きな失敗をした後で、よく内面を振り返って大きな癒やしを得たものです。
まとめ
だから方向性を持って進みたい人ほど、あんまり我慢強くなくていいし、むしろ打たれ弱くていいようにも思います。
その方が、方向性を修正しやすくて、早めに対処できますからね。
我慢が有効になるのは、同じ場に居続ける人たちだけです。
なら、方向性を持って進みたい人ほど、「我慢して進む」よりも、「元気が出る方向に進む」という感覚を重視するのもいいように思います。
より正確に言うと、「落ち込みもするけど、それでもより元気に生きられる方向に進んで、少しずつ元気になってゆく」という生き方ですね。
「目からウロコな体験と、失敗や挫折を味わって、少しずつ歩いて行くのでいい」ということです。
すると「打たれ弱い人は、落ち込みつつも元気が出る方向に向かうと、うまくいきそうだ」と分かって、我慢を手放して未来を開けるかもしれません。
ということで今日は、なぜ方向性を持って進みたい人ほど、我慢強くなくていいし、むしろ打たれ弱い方がいいのか、その理由を語ってみました。
今日はここまで~。