今日は、ちょっとした推測のお話です。
なぜ生命は「まね」をするようになったのか、ということについてお話ししてみましょう。
なお、今日の話は確たる根拠があるわけではなくて、完全に私の妄想を土台とした推測なので、それを前提にどうぞ。
人の「まねをする」という行動
「まねをする」ってこと、ありますよね。
「見よう見まねでやってみる」、「うまくいっている人の、まねをしてみよう」と動いたりだとか、「パクりだ! パクられた! まねされた!」と言ったりだとか。
それとか、「オリジナルじゃなきゃいけない。独創的でないといけない。二次創作はダメだ」という思い込みだったり。
他にも、「あくびが移る」という反応や、「相手の哀しい気持ちを感じて、自分も哀しくなる」という共感性も、まねに含まれるかもしれません。
そういう風に、「他者のまねをする」ことに対して、私たちはいろんな意味を持つものです。
で、「まねはいけないことなの?」とか思ったりもするんですが。
そこで今日は、「人は基本的に、まねをする性質を持つ」ということを説明してみようかと思います。
これが分かると、「まねされるのが当然。相手の自制心を期待するだけ無駄。だからまねをしてもいいし、まねされたくなければ、しっかり隠せばいい」と分かるかと思います。
ミラーニューロンとは何か
「じゃあなんで、そんな他者のまねをするようになったの?」ってことです。
それを示すために、ミラーニューロンの発見について説明してみましょう。
1996年に、イタリアのとある研究者が、ミラーニューロンという神経細胞群を発見しました。
これは、「相手の行動を無意識にコピーして、自分の行動にする」という機能のことです。
その研究者は、観察対象のサルと一緒にいて、人間が何か食べ物を拾う行動をすると、サルも人間と同じように、食べ物を拾う行動をコピーすることに気づきます。
そして、その「サルが相手のまねをする」という行動時に活発になる脳の領域を、「ミラーニューロン」と呼んだわけですね。
なぜ「まね」をするようになったのか
「じゃあなぜ、わざわざこんな機能を身につけたの?」ということです。
相手のした行動を、なぜわざわざ無意識に自分もするようになったのでしょうか。
生命は、無意味な機能は持たないものです。
なら、何かしらその「行動をコピーすること」には、意味があるはずです。
私はこれを、「まねをすることで、短時間で他者が試行錯誤した技術を得られるから」じゃないかと推測しています。
それによって、生命の種は短時間で、効率的に発展できるようになります。
他者をまねすることで、短時間で効率的に進化できる
そもそも生命は、まねなんてしていませんでした。
生命は元々、海底火山の温水噴出口近辺でしか生きられませんでした。
でも、少しずつ進化することで、冷たい海とか、陸地でも生きられるようになりました。
当時の生命は、いろんな遺伝子を変えた子孫を作ることによって、うまく環境に適応する個体を残してきたわけです。
すなわち、元々は遺伝子が行動のすべてを決めていて、他者からのフィードバックを得ることなんてありませんでした。
ですが、生命が進化して動物になると、「同種である他者のまねをすると、より短時間で、効率的に学習できる」と分かります。
というのも、例えばある鳥が、試行錯誤をして「この木の実は食べられる」と見つけたとしましょうか。
すると、他の鳥も、その鳥が食べている姿を見て、まねして食べることで、より簡単に食料を得られます。
それによって、より効率的にエサを得て、種を発展させることができます。
他にも、例えばあるゴリラが、試行錯誤をして「この木の実は、こうやって皮をむくと、実をうまく食べられる」と発見したとしましょうか。
なら、他のゴリラもそれをまねることで、より簡単に食料を得ることができて、種を発展できます。
生命は「他者の行動のコピー」で、発展してきた
実際に、遺伝子レベルで調整して、うまくいく個体を作り出すには、何世代もかかるものです。
でも、そういう「行動をコピーする」というミラーニューロンがあれば、自分とは違う方法をしている相手を無意識にコピーすることで、自分でもその方法を試せます。
だから、そのような機能を持つ動物が、急速に発展したんじゃないかと思います。
それで、例えば果実の皮をむいて食べる場合でも、生命は動きをコピーすることで、他者の試行錯誤結果を簡単に得られます。
で、「これは今までよりもいい食べ方だ」と分かれば、採用します。
「今までの方がよかった」という場合は、採用しなければいいだけです。
すると、自然と「最も効率のいい食べ方」が同種の間に広がって、短時間でもっと余裕を作れるようになると分かります。
なので生命は、そんな風に「他者の行動のコピー」をすることで、発展してきたわけですね。
高等な動物は、基本的に行動のコピーをする
すなわち、ミラーニューロンを持つ高等な動物は、基本的に「行動のコピー」をするものだと分かります。
そういう「うまくいったもののコピー」によって、生命は短時間で飛躍できたと。
「まねをすることはよくないこと」とか言う人がいますが、生命全体から見ると、そうではなさそうだと分かります。
まぁ生命レベルではよくても、個人レベルでは「まねされると困る」というものはあるものです(笑
そういう場合は、しっかりと隠せばいいかなと。
実際、もっと生命が高度になって、近代の人間レベルになると、「発見者への利益を守る方が、さらに効率的になる」という部分も出てきました。
それは、試行錯誤できる個体への利益を確保することで、どんどん新たなものを作ることができるからですね。
それによって、もっと短時間で、飛躍的な進歩を遂げられるようになった、ということです。
個性に立脚するほど、まねをされにくい
なので、まねをされることが嫌な場合、相手の良心に判断をゆだねない方がいいかと思います。
それは、「ミラーニューロンを持つ生命は、基本的にまねをするもの」だからです。
ただ、独自な個性を持つ人ほど、まねをされにくくなります。
それは、「その個性がないと、その方法論はうまくいかない」となるからですね。
だから個性を使って何かをしている人ほど、まねをされにくくなると。
より正確に言うと、「まねをしようとしても、できない」ですね。
逆に、「誰にでもできる。素人でもできる」という方法論を学ぶほど、確かにすぐに成果を出せるかもしれません。
でも、そういう方法論は、すぐに競争になって我慢比べになるわけです。
まとめ
そういう風に考えると、ミラーニューロンを持つ生命は、「基本的に、まねをするものだ」と分かります。
なら、まねをされたくない場合は、個性をうまく使うとか、しっかりとコアとなる技術を隠すといいでしょう。
相手の良心を信頼すると、痛い目を見そうに感じます。
で、「オリジナルじゃなきゃ」と固執する必要もなくて、どんどんまねをしてゆけばいいかなと思います。
まねをすることで、短時間で飛躍できますからね。
ただ、まねばかりだと、すぐに競争になるし、我慢比べになります。
なので、まねをすると同時に、自分の個性を組み込むことで、うまく自分なりのものを作れるんじゃないかと思います。
こう考えると、「まねをする」ということに対して理解ができて、うまくそのよさを組み込めるかなと思います。
ということで今日は、なぜ生命は「まね」をするようになったのか、というお話でした。
余談
余談になりますが、私たちは共感性を持つものです。
共感性とは、「相手の気持ちを、自分の気持ちのように感じること」です。
例えば「相手の哀しみを、自分の哀しみのように感じる」みたいな機能のことですね。
で、生命が共感性を得たのも、このミラーニューロンが影響していると私は推測しています。
というのも、ミラーニューロンとは「相手の行動を(無意識にでも)コピーして、自分の行動にする」という機能を持ちます。
なら、行動だけでなく、感情レベルまで拡張して「相手の感情を(無意識にでも)コピーして、自分の感情にする」とすれば、感情が影響されることになります。
そして相手の感情を得ることで、相手の感情に従った行動を取れると。
「じゃあなぜ共感性が生まれたのか」みたいな内容は、先日リリースした電子書籍「高共感な人の生き方戦略」に書いているので、興味がある方はぜひどうぞ。