今日は、しょーもない日記です。

「ありがとう」って言い合える環境っていいですよね、というどうでもいい思い出話です。

今日の記事は、秋の夜に読むことを前提としています(笑

 

私が大学時代の思い出話

最近(最近に限ったことでもありませんが)メールのやりとりをしていて、よく「ありがとう」という単語が飛び交うようになったんですよ。

ふとこういう状態になっている自分に気づいて、「ああ、こういう環境ってすてきだな」とか思ったり。

 

というのも、そういう「ありがとうを言い合える環境」っていうのは、私にとっては一つのあこがれだったからですね。

これで真っ先に思い出すのは、私が大学時代に、親類の家に泊まりに行った時のことです。

私は神戸の大学に入学して、そこから一人暮らしを始めました。

そんなとき、明石(神戸から電車で40分ぐらいの場所)に親類家族が住んでいるということで、挨拶もかねて泊まりに行ったんですよ。

 

ちなみにその家は、高校生と中学生の二人娘がいる家で。

親類とはいえ、年頃の娘が2人いて、しかもほとんど会ったことがない状態に飛び込むとか、超恐ろしいんですが!(笑

物語だとドキドキものかもしれませんが、リアルだと本気で避けて通りたい道というか、罰ゲームとしか思えませんから!(笑

男兄弟家族で育った私からすると、もうかなりのアウェイ空間で。

本気でビビりながら、その親類の家に向かってました(笑

 

驚くべき夕食の風景

まぁそんな二人娘はさておき、その家に招かれて、夕食をごちそうされたわけです。

そこで私は、驚く光景を目の当たりにしました。

それは、家族そろっての夕食の場で、笑いと冗談と、「ありがとう」という言葉があったことですね。

 

今でも覚えているのは、ダイニングでテレビもついていて、テレビでは名探偵コナンが流れている光景です。

その演出に二人の娘が笑って、冗談を言って、両親が笑ってさらに冗談をかぶせて、みんなが笑っている。

で、醤油を取ってもらう時でも、「ありがとう」と言って受け取ると。

その姿はとても自然で、普段からそういう日常だというのは、すぐに分かりました。

 

私はその光景に驚いて、とても困惑したことを覚えています。

というのも、そういう光景は、テレビの中でしかないようなものだと思っていたからですね。

その夕食の場には、緊張もなければ、不安も、「食べきらなきゃいけない」という絶望感も、「食事の中に毒が入っている」という強迫観念も、「ここから消えてなくなりたい」と思うような、自分を押しつぶす重圧もありませんでした。

それが、今まで私が抱えていた「当たり前の夕食の風景」が壊れた瞬間でした。

そして、「ああ、『普通の家庭』って、こういう状態なんだ」と知った瞬間でもありました。

 

そこは、暖かくて優しくて、なんだか異世界のような場所のように感じられました。

私は戸惑って、作り笑いをして過ごしていましたが、でも、そういう場所にあこがれたんですよね。

「ああ、ああいう『ありがとう』と言い合える環境って、すてきだな」みたいに。

 

小学生の頃の、印象に残っている食事風景

私が小学生の頃、特に印象に残っている食事風景があります。

それは、のびきったカップ麺を、残さないようにと無理矢理食べていた風景ですね。

 

その日の私は、何か都合があって、夕食の席に着くのが少し遅れました。

そして夕食の席についたとき、自分の席には、お湯が注がれたカップ麺が一つ。

開けると、もはや麺がのび始めています。

 

私は昔から、食べるスピードはとても遅かったんですよ。(元々胃腸が弱くて、速く食べるとすぐに下す体質だったり)

で、のびきったカップ麺は、とても食べられたものではないほどまずくて、だから食べられずにいるとどんどん麺がのびて、さらに食べられなくなって……という状態でした。

親と他の兄弟たちは早々に食べ終えて、隣のリビングにいて、テレビを見て団らんを過ごしています。

それで私は台所で一人残されて、「これを食べきらなきゃ、このイスから立ち上がることすらできない」と、半泣きで無理矢理麺を飲み込んだことを覚えています。

(そのあたりから独立した少し後ぐらいまで、食べることそのものが嫌な状態でした)

 

この辺の光景が、「千の夏と、ひとつの冬」という私が書いた小説作品の一場面として使われていたりするんですが。

ひょっとすると、あの作品は、自分のやりきれない感情をハッピーエンドにしたかっただけなのかもしれません。

それを通して、私は自分の感情を受け入れようとしていたんだと。

 

そんな私がいつの間にか、「ありがとう」と言われる環境にいた

で、作品作りであったり、内面を見つめることで、一つ、また一つと解決してゆくことができました。

それで、どんどん満たされていったんですよね。

作品作りというのは、私を癒やす行為でもあったわけです。

 

それで、ふと気づくと、いつの間にかいい仲間たちに恵まれて、「ありがとう」と言われる環境にいると気づいたと。

あのときあこがれた風景に、まさか自分がいることになるとは、思いもしませんでした。

その上、今では食事も楽しめるようになって、料理をも楽しんで、味わうことができるようになっていて。

「そういえば大学時代に、制作仲間たちと一緒に、居酒屋チェーン店で大いに夢を語り合った。その時のお酒や食べ物は、安物ばかりでもおいしかったな」と思い出したり。

 

これまではただただ必死で生きてきましたが、すぐ身近な場所に、そういう心地よい場はあったんですよね。

大好きな人と、夢や希望を語りながら食べる食事というのは、何よりもおいしいものだと思います。

高価なものではなかったとしても、暖かさがあれば、それで十分のように思います。

 

まとめ

そう考えると、すぐ周囲にいてくれる仲間たちには感謝ですね。

そして、このブログやツイッターを見てくださる人にも、本を読んでくださっている方にも、暖かい気持ちで感謝を覚えたりします。

私はいい仲間たちに恵まれて、運がいいなと。

 

今思えば、私はああいう過去を経験してよかったようにも思います。

だって、ちょっとしたことでも暖かさとか、幸せを感じられるようになりましたからね。

スタートラインが他の人よりも遅いというのは、それは他の人よりも多くの景色を眺められるということです。

人生は競争ではなくて、楽しむものですからね。

それはそれで、いいようにも思います。

 

そんなことを、ふと思い出したりします。

いや~、こんなしょーもない思い出話を語らせる秋の夜って、怖いですね~(笑

 

ということで、今日は「ありがとう」って言い合える環境っていいですよね、というどうでもいい思い出話をしてみました。

たまにはこういうのもいいですよね。

今日はここまで~。

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