今日も精神的なお話です。
私の場合、大きなこじれは2つでした、というお話です。
「幼い頃に、ねじ曲げられる」という現実
最近はちまちまと触れてますが、最近の私は、だいぶ精神的に安らげるようになったように思います。
ほら、虐待を受けていたりとか、毒となるような親に苦しめられていた場合、幼い頃に精神的にねじ曲げられるじゃないですか。
そういう精神的なゆがみが、苦しみを生むわけです。
例えば「あなた、これ好きだよね」と言われると、普通の人なら「うん、好き」と素直に喜べることがあったとしましょうか。
そんなことでも、精神的にねじ曲げられていた場合、「あなた、これ好きだよね」と言われると、批判だと感じてしまうこともあるわけです。
というのも、幼い頃から「あなた、○○だよね」と言われると、それはすべて「そういう性質のお前は許さない」と脅されてきたからで。
すると、大人になって、誰かから「あなた、これ好きだよね」と言われたら、本当は褒めてくれているのに、「批判されている」と青ざめたりするんですよ。
そして、「好きになってはいけない。出してはいけない」と思うようになってしまったり。
本当は、相手は喜んでくれているのに、「自分の親から何千回もそれで苦しめられた」という経験があるので、違う解釈をしてしまうと。
いろんな「認知のゆがみ」がある
他にも、いろんな「幼い頃にねじ曲げられた、認知のゆがみ」があるでしょう。
例えば「親に恥をかかせてはならない。親の自尊心を満たし続けなければならない」とか、「親に一切の面倒をかけてはならない」とかあるかもしれません。
すると、「社会的に成功しなきゃ」とか、「他人に一切頼ってはならない」とか、思い込んでしまったり。
本当は、別に社会的に成功しなくても、自分なりに生きればいいんですよね。
それに、誰かに依頼するなり、発注するなりして、それでビジネスは組み上がるわけで。
そういう「幼い頃からのゆがんだ学習」が、現実にそぐわなくて、大人になってから苦しむことがあります。
こういう「幼い頃からの学習によって、一般とは違う解釈システムを作ってしまったこと」を、「こじれ」と呼びます。
こじれが肉体的な苦しみを生む
そして、そういうこじれを持つことで、「生き苦しい」とか、「生きているだけでしんどい」みたいな現象を生みます。
というのも、例えば常に「ミスをしてはいけない」とか、「ダメになってはダメだ」とか思っていると、肩に力が入ったり、緊張したり、不安になったりしますよね。
すると、身体は筋肉を活性化させるので、それだけで多くのエネルギーを使ってしまいます。
他にも、胃が痛くなったり、肝臓が弱くなることとか、内臓に来ることもあるでしょう。
病気のがんとか、まさに肝臓や内臓が弱くなって、免疫力が落ちた結果起きることですよね。
そんな風に、「精神的な負担が、肉体的に苦しめる」という症状が起きてしまうと。
だから、こじれは肉体的な苦しみを生むわけです。
こじれの形は、人によって違う
こじれって、人によっていろんな違いがあります。
まぁそれは当然で、親の性質によって、学習内容が変わりますからね。
「小さなこじれを100個持っている」という人もいるし、「大きく根深いこじれを1つだけ持っている」という場合もあるでしょう。
ちなみに私の場合、「大きなこじれは2つ」という状態でした。
まぁ小さなものもいろいろあったんですが、内容は全部忘れました(笑
いや、こじれって、直すと日に日に忘れちゃうんですよ(笑
だって、完全に必要なくなったことなので、記憶からも消してしまうんですよね。
まぁ、だからこそ「過去を手放せて、忘れられる」とも言えるんですが。
私がこじれを直したきっかけ
で、はっきり言って、大きなこじれも「どうやって解決したか」なんて、すでに忘れつつあるんですよ(笑
とはいえ、まだ覚えていることもあるので、この際なのでメモ的に「私はどういう流れでこじれを直したのか」を紹介してみましょう。
私がこじれを直したきっかけになる、大きな「自分の考えを変える出来事」は、次の2つでした。
- 「自由とは何か」を感覚で知ったこと
- 「過去の苦しい出来事が、今の自分の行動を作っていること」という因果関係を知ったこと
「自由とは何か」を知ることがスタート地点
1つめの「自由とは何か」を感覚で知ったことで、自分の意思で行動できるようになりました。
これが、こじれを解決し始める、一番のスタート地点だったように思います。
これは、最初のゲーム制作チームを解散して、すべてを中止して、落ち込んだ時に得たものです。
当時は「社会的に成功したい」という思いでひたすら頑張っていたんですが、先細りになる売り上げを前に、「もし次を出せば、完全に赤字になるな」と分かって。
なので、撤退を決断したわけです。
すると、当然落ち込んだんですが、「これで無理をしなくてすむ」と、精神的に楽になれたんですよね。
そこで、自分の存在意義を見つめ直すと、解散からたった3日後に悟った内容です。
「自由」を知った瞬間、「私」という個が生まれた
で、自由とは何かというと、こんな感じです。
「自分の行動が、自分の結果を作り出している。他人の行動も、その人自身の結果を作り出している」
「自分の行動次第で、未来が変わる」
「真理を得ることに意味はない。ただ、自分なりに、望む方向に歩けばいい」
そして、「これらがすべて同一のことである、と実感で理解すること」でしょうか。
これは本当に強烈な体験で、私の中で「第2の誕生日だ」と思ってるぐらいですから。
「自由」を知った瞬間、「私」という個が生まれたと。
自由が個を作る
裏を返すと、それまでの私は、自分が誰だか分からなかったわけです。
そして、自分が分からない状態で、「こうしなきゃ」で動いて、苦しくなって、血を流しているような毎日を過ごしていたと。
でも、「自由」を知った瞬間、「あ、みんな自由に動いているんだ」と分かったんですよ。
世界中、すべての人が、自由に動いていると。
「なら、自分も自由でいいんだ」と理解して、それを知った瞬間に「自分の意思で行動していい」を理解できたと。
まさに、「(精神的な、個としての)私が生まれた」という瞬間でした。
それまでは、私の中には「個」が確立されていなかったわけですね。
私の人生の中で、間違いなく一番の衝撃的な出来事でしょう。
過去の出来事が、今を作っている
で、2つめが、「過去の苦しい出来事が、今の自分の行動を作っていること」という因果関係を知ったことですね。
これは、この記事(劣等感を解決する、ひとつの考え方(続・インナーチャイルドと劣等感のお話))前後で、このブログでリアルタイムに説明しています。
もしくは、私が書いた本「たった二日で、劣等感を手放して、幸せになる方法」で詳しく書いたので、ここでは省略です。
まぁ簡単に言うと、これが「過去に向き合うことで、過去の出来事が、今を作っている」と関連づけられた、ということです。
これも、私にとっては大きな出来事でした。
でもまぁ2014年のことなので、今となってはほぼ忘れてきているんですが(笑
そして、ちまちまと行動してきて、残念ですが私の場合は親とは縁を切ることで、結果としてがっつり生活と精神的な質が上がった、ということです。
で、結果として、学生時代の生き苦しさを100とすると、ここ数年は3~4ぐらいに減って、「これが普通の人の感覚なのか」と分かってきたところです。
まとめ
もちろんいろんな気づきはありますが、「大きな精神的な変化」は、上記の2つですね。
なので、私の場合は、「自分の過去に向き合う前に、自由を知った」という出来事があります。
本当の意味で「自由」が理解できれば、例えば仏教の経典に書いてある内容とか、一瞬で理解できるようになります。
「あ、仏教ってほとんどが、自由について語ってるんだ」と分かって、「あぁ、もうこの経典は必要ないな」と手放せた、という流れですね。
自由を知ることの重要性は分かりませんが、ひょっとすると、そういう「個の確立」があって、「過去に向き合える」ということもあるかもしれません。
いやまぁ、これは私の経験なので、他の人に通用するかは分かりませんけどね。
渦中にいるときはしんどいんですが、それを乗り越えて楽になると、「歩いてきた道も、悪くはなかったな」と思えるものです。
いやまぁ、「こんな苦しい道のり、二度と乗り越えたくはない」とは思いますが(笑
でもまぁ、乗り越えれば「もがいて、のたうち回ったけど、でもいろんな景色を見てきたよ」と笑って言えるようになるので、それでいいように思います。
ということで今日は、私の場合、大きなこじれは2つでした、というお話でした。
今日はここまで~。