今日はお金の考え方についてのお話です。
「お金の使い方を知らないこと」が、資産持ちに対する嫉妬を生んでいそう、というお話です。
「資産持ち」への嫉妬
よくSNSとかでも、お金持ちというか、「資産持ち」への嫉妬ってあるじゃないですか。
「あいつは資産1億円もある」、「あいつは10億あるなんて」とか言うと、いろんな羨望や嫉妬を向けられるものです。
で、「悪人だ、悪いことをしたに違いない」とか、「すごい! 自分もそうなりたい」と称賛されたりとか、いろいろ言われるんですが。
私の場合、もちろん「お金があればなぁ」とは思いますが、そういえば私はお金持ちに嫉妬することはないんですよね。
私自身は「自分が豊かになって、分かち合えばいい」と思っているので、「どうすればより豊かになれるか」と考えています。
少し話はそれますが、私の場合、「お金が欲しいなら、いろんなアプローチで解決すればいい」という発想です。
お金は豊かさの一種なので、いきなりお金を増やしにくい場合は、まずは他の豊かさから増やせばいいわけです。
時間とか能力、持ち物、人脈、発想、好奇心、健康、考え方、いろんな豊かさがあるものです。
そういう「いろんな豊かさを増やせば、お金に依存する量を減らせるし、それらをお金に変換することもできる」という戦略ですね。
お金の使い方を知らないことが、嫉妬を生む
で、最近は金融に興味を持っていて、少しずつお金についても理解できてきたんですよ。
そして、「ああ、多くの人がお金の使い方を知らないことで、資産持ちへの過剰な嫉妬を生んでいそうだな」とも感じたり。
なので今日は、そういう「なぜお金の使い方を知らないことが、資産持ちに対する嫉妬を生んでいるのか」というお話をしてみましょう。
これが分かると、多少は資産持ちに対する嫉妬が減らせるかもしれません。
「お金の教え」の本質
ほら、例えば欧米では、「お金の教え」ってありますよね。
例えば「お金を得たら、1割を寄付に、1割を投資や貯金に割いて、そして残ったもので生活しなさい」的な教えがあるものです。
他にも、「1割を長期目標のため、1割を娯楽のため」とか、まぁいろんなバリエーションがあるんですが。
これ、とてもシンプルなんですが、この教えで学べることはかなり大きいように思います。
この教えを得ると、一番に気づくことが、「実際に資産を作ろうとするなら、収入で得たお金をすべては使えない」ということです。
いやまぁ、これは当然だとすぐに分かります。
1割ずつを寄付とか投資に割くので、当然すべて使えるわけではないわけで。
このシンプルな要素が、大きな差をつけそうに思います。
資産のすべてを使えるわけではない
というのも、資産持ちって資産1億とかあったとしても、1億すべてを使えるわけではないんですよね。
まぁ9割方が「お金以外の資産」で、すぐにはお金に換えられないものだったり、お金に換えたとしても一時的で、「別の(お金以外の)資産を買うため」に使うと。
すると、確かに資産額は大きいんですが、「使えるお金」はさして大きくないんですよ。
むしろ、普通の人よりもよっぽど質素な暮らしを続けていることも多いように思います。
この「資産すべてをお金として使えるわけではない」という部分を理解できないことが、余計な嫉妬を生んでいそうに思います。
お金の使い方を知らないと、こういう発想になる
例えば年収200万円ほどあったとしましょうか。
で、いわゆる「単調作業労働者」の場合、お金の使い方を知らないので、1年で200万円をすべて使います。
もしくは、収入以上の額を使ったりして、負債が増えていきます。
そして、「もっとお金があればなぁ」と言うんですが。
でも、そういう人が年収300万になったとしても、満足することはありません。
それは、簡単に生活レベルを上げてしまうからですね。
300万円あっても、すべてを使ったり、もしくは収入以上を使って、すべてなくなるか、負債を増やします。
500万円になっても、1000万円になっても同じで、「足りないなぁ。もう少しあればなぁ」と思っています。
お金が足りない人は、いつまで経っても足りない
よくあるでしょ、「年収が上がっても、お金が足りない人は、いつまで経っても足りない」という現象が。
あれと同じです。
そういう人は、資産1億円持つ人を見ると、「資産1億円を使える」と思っているんですよ。
言い換えると、「資産1億ある人は、1億円使って楽しめる豊かさを持つ。1億あれば、どんなに楽しめるだろう」と思い込んでいると。
それは、「年収200万円は、1年間で使うものだ。すべて使うものだ」という常識と同じです。
だから「資産持ちは許せない! 不公平だ!」と嫉妬をしているように思います。
資産を作る人は、生活レベルを下げる
一方で資産を作る人は、年収200万円あったとすると、先に寄付とか投資、貯金に回すので、残りの額で生活します。
すなわち、「年収200万円あっても、生活費で使える額は年間100万円」とかいう状態なんですよね。
生活レベルを下げて、その100万円でなんとかやりくりして、残りを資産構築に回していくと。
若くして投資家になる人とかは、極限まで生活費を下げて、残りをすべて投資に回すような生活をしてますからね。
いやまぁ、クリエイターも似たようなもので、「極限まで生活費を下げて、残りをすべて制作に費やす」とかやってますが、それも同じ「投資」です。
そういうクリエイターは、「株式や不動産」ではなくて、「能力や環境」に集中投資をしている、とも言えるでしょう。
「自分の贅沢のために使うお金」はかなり低い
なので、資産が育ってきたとしても、その9割方は「使えないもの」です。
何十年かけて資産1億作ったとしても、それでたとえ年間10%のリターンがあったとしても、その中からさらに寄付とか再投資に回します。
すると、資産額が高かったとしても、「自分の贅沢のために使うお金」はかなり低いと分かります。
そういう「限りなく低い生活レベル」を、年収が200万円の段階から続けて、それで資産を作ったんですから。
むしろ、単調作業労働者が「年収200万円を、1年間ですべて使う」という方が、よっぽど長期的にいい生活をしていると分かります。
外食をして、いろんな服やアクセサリーを買って、見栄を張って新品の「ちょい高級なもの」を買って、お金のかかるレジャーをして、それで楽しんでいるんですから。
生活レベルをぐっと下げている人が、資産持ちになる
ある意味、単調作業労働者が言う「お金持ちは許せない」という相手は、何十年とかけて資産を作った「すでにお金持ちになった人」を指すように思います。
だから、そういう人にあこがれて、同じように外食をしたり、高級車や高額な家を買ったりするんだろうと思います。
でも、「同世代で、お金持ちになりつつある人」というのは、「生活レベルをぐっと下げて、地味にいろんなことに投資をしている人」なんですよね。
実のところ、自分よりも浪費しておらずに、むしろかなりきっつい質素な生活をしていると。
そして、資産が育ってきたら、その配当なりで贅沢品を買っていくわけです。
そういう「成長しきった人」を見るのではなく、「今、成長している人は誰なのか」を見ることかなと。
すると、「自分よりも貧しい生活をしている人が、着実に資産持ちになっている」と分かり、ショックを受けるかと思います。
なら、「自分のお金の使い方」に対して「これじゃダメだ」と分かって、お金の使い方を修正してゆけるかもしれません。
まとめ
この感覚の違いが分かると、「資産持ちだからといって、資産のすべてを使えるわけではない」と分かるかと思います。
年収200万円は、「年間に使えるお金が200万円ではない」ということですね。
この「自分に課すハードル」を理屈で納得できて、「ああ、だから資産持ちになれるんだ」と行動できる人が、資産持ちになれるんだろうと思います。
ある意味、長期的な展望を持つことで、その辺の短期的な欲望を制御できるかどうか、ということですね。
その辺が分かると、資産持ちに対する嫉妬を抑えられて、資産を作ってゆけるかもしれません。
ということで今日は、「お金の使い方を知らないこと」が、資産持ちに対する嫉妬を生んでいそう、というお話でした。
今日はここまで~。