今日は生き方のお話です。

「誰もが嫌がる場所を、工夫で居心地よくして価値を高める」という発想もいいですよね、というお話です。

 

宝塚でおじさん役を極める役者

ちょっとした記事があったので、ご紹介。

「宝塚でおじさん役を極める」自分が”お呼びでない”と気づいたときの生き残り方(Rakuten Infoseek News)元のPresident Online記事

記事の内容は、とある宝塚歌劇団のメンバーが、トップスターを目指すのではなく、「おじさん役」を極めようとし始めたお話です。

 

宝塚歌劇団って、周囲のメンバーたちは、すごいストイックで「苦しみを乗り越えて、勝ち取る」という人たちばかりだったと。

でもこの方は、人生でそんな風に苦しむのは嫌で、「休みたいけど、役も欲しい」というタイプだったわけです(笑

 

「おじさん役」という未開拓なジャンル

そこで、トップスターを目指すのではなく、「おじさん役」を目指すようになった、ということです。

おじさん役って、当時の宝塚では、あまりにも未開拓なジャンルだったようで。

まぁそれは当然で、脚光も浴びないし、脇役になりがちだし、誰もやりたくない役ですからね。

 

だけどそういう役を研究し始めると、この方にはとても面白く感じたわけです。

だって、工夫次第でどんどんおじさんっぽくできるし、そういう工夫を考えるのが楽しくて。

で、「なにこれ、役作りって、面白い!」と感じて、「こういう道も楽しいよね。むしろ自分にはこっちが合ってた!」と分かった、ということです。

 

「誰もが嫌がる場所」に着目する道

私の中では、こういう「誰もが嫌がる場所を、工夫で居心地よくして価値を高める」という発想が大好きだったりします。

無理にストイックに努力しなくていいし、競争から外れていいし、我慢しなくていい、ということですね。

その上で、「おじさん役」という地位を自分で作って、今まで誰も着目していなかった分野で先駆者となり、トップになる、という発想です。

 

で、こういう発想ができると、より可能性が広がると思うんですよ。

なので今日は、そういう「誰もが嫌がる場所を、工夫で居心地よくして価値を高めるのもいいよね」というお話です。

 

「誰もがうらやむ場所」ほど、競争になる

普通はやっぱり、「誰もがうらやむ場所(ポジション)を、楽に手に入れて、うらやましがられながら楽に価値を得たい」ですよね。

だけどそういう「誰もが嫌がる場所」ほど、競争になりがちです。

ほら、漫画家とか作家でも、「美しい絵を描けなきゃいけない」、「いい文章を書けるようにならなきゃいけない」とかあるでしょ。

 

でも、その競争に勝ち抜くために、すごい量の勉強とか、退屈で苦しい訓練をしなきゃいけなかったりするわけです。

だいたいそういう「他の人が通った道」というのは、「どれだけ早く、若い段階で、より高い技術を習得できるか」の競争です。

なのでそういう分野ほど、「若くなきゃダメ」とか、「若いときから始めなきゃ不利」みたいになりやすいんですが。

そして、だからこそみんなが「できるだけ苦しんで学び、早く有利になる」という道を選ぶようになると。

 

「誰もが嫌がる場所」に着目する発想

でも、そういう「苦しんで得る」というのが、苦手な場合もあります。

その場合、「誰もが嫌がる場所」に着目する道もあるんですよね。

そしてそういう「誰もが嫌がる場所」を、工夫で居心地よくして、価値を高めると。

上記の例で言うと、「おじさん役」という「じめじめして、敗北者がたどり着くような場所」に自分から向かって、その場所を工夫で心地よくすることになります。

 

で、面白いことに、工夫をして楽しくおじさん役を極めて、魅力的にしていくと、それが魅力的なポジションになるんですよね。

お客も「あの人のおじさん役、格好いい!」と言い始めるし、コアなファンもできたり。

そして後輩の役者も、「私もそういう役がいい!」と追随してくる人が出てきたりして。

すると、「え? そのポジションって、そんなによかったの!?」と周囲が驚き始めます。

 

こうしてその人は先駆者になり、「おじさん役」というニッチ分野でトップになり、しかも苦しまずに楽しく地位を得られるわけです。

これって、自分の特性を生かした、最高の解決策ですよね。

 

自分の欲求に素直になって、工夫で実現する

私はこういう「自分の本当の欲求に素直になって、工夫で実現する」っていうのが、大好きなんですよ。

普通は「みんなが苦しんでやってるから、私も苦しまなきゃ」と思いがちです。

だけど、「嫌なことはしたくない」、「私は元気が出ることばかりをしたい」と、自分の欲求を素直に受け入れるわけです。

そしてそこから、工夫で解決策を見つけて行くと。

 

もちろん最初は、「あこがれをあきらめる」とか、「みんなが嫌がる『敗者の場所』に向かう」みたいな、そういう社会的な苦しさがあるわけです。

でも、「ここをもっとよくできる」という好奇心とか面白さで、それを乗り越えるということです。

ある意味、「好奇心や面白さ、工夫の余地があるから、『周囲が嫌がる場所』に突入することが気にならない」とも言えるでしょう。

 

YouTuberや電子書籍作家も、元は「嫌がる場所」だった

実際に、今のYouTuberとか、電子書籍作家だってそうで、元は「みんなが嫌がる場所」だったんですよ。

YouTubeの導入期は、「テレビに出るのがすごい。YouTubeで動画を作るなんて、敗者のすることだ」と言われていました。

同じように電子書籍作家でも、「紙の本を出版社から出すのがすごい。個人で電子書籍を売るなんて、敗者のすることだ」と言われていました。

 

でも、今では「テレビよりも、YouTuberで動画配信者になりたい!」という人の方が多かったり。

それとか、今ではSNSのプロフィール欄に「私は電子書籍作家です」とか言って、電子書籍メインでやっていることを誇りにしている人がいたり。

 

こういうのも、「誰もが嫌がる場所」に自分から向かって、工夫で価値を作り上げた人たちがいたから、そういう価値が生まれたわけですよね。

「みんながあこがれるものを追いかける」とか、「ブームを追いかける」とは違う発想だと分かります。

 

ブームではなく、見捨てられた側に目を向ける感覚

そしてこれは、いろんな業界で似たようなポジションがあります

 

例えば金融業界では、暗号資産とか先端企業株、S&P500みたいな「みんながあこがれる、より値が動いて、ブームになっている資産」に手を出す人が多いものです。

でも、そういう「ブームに乗る人」ほど、短期ではよくても、後に多くが損をするもので。

一方で、「誰もが見捨てているけど、価値がある資産」に目を向ける人ほど、時間はかかっても、長期では確実に上がってゆく人もいます。

そういう、「資産を作りやすいタイプ」というのもあるわけです。

 

他で言うと、社会活動とか、医療活動、人助けでも同じです。

「多くの人に影響を与える政治家」になるのではなく、難民とか、難病の人みたいに、「見捨てられた人たち」に注目する道もあるでしょう。

そしてそこで工夫をして助けて、喜んでもらうと、充実できるし、その実績が上昇を作り出す、みたいな流れですね。

 

まとめ

なのでそんな風に、周囲のように我慢ができないタイプでも、楽しく生きられる道があるように思います。

その一つが、「誰もが嫌がる場所を、工夫で居心地よくして価値を高める」という道ですね。

 

これは、最初ほど「あこがれをあきらめて、自ら敗者になる」という覚悟が必要ですが、それを乗り越えると、後は楽しさで突き進めます。

 

今で言うと、いろんなレベルで似たような「嫌がる場所」があるでしょう。

産業全体で見ると、「今はネットやデジタルで何かをすることが、脚光を浴びることだ。農業なんて、肉体労働者がすることだ」とかあるかもしれません。

それとか、コンテンツ配信業界では、「今は動画配信で勝ち抜く人が素晴らしい。ニッチなブログや文章は、敗者がすることだ」とか。

他にも、金融だと、「ビットコインや先端産業株を多く持つ人が素晴らしい。地味なゴールドやシルバー、農産物資産を持つは、敗者だ」とか。

 

そこで、そういう「反対側の価値」を見極められるかどうかじゃないかな、と思ったりもします。

そして工夫でそういう道を楽しめると、意外な道が開けるかもしれません。

 

ということで今日は、「誰もが嫌がる場所を、工夫で居心地よくして価値を高める」という発想もいいですよね、というお話でした。

今日はここまで~。

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