今日は、生き方のお話です。

「好きなものには、少しずつ近づいてゆくのでいい」というお話をしてみましょう。

 

とあるタイ料理動画のチャンネル

私は料理も趣味なんですが、最近私がよく見ているチャンネルで、Pailin’s KitchenというYouTubeチャンネルがあるんですよ。

これは、タイ出身でカナダ在住という人が、タイ料理をメインに教えているチャンネルなんですが。

 

で、この人がなぜ料理動画チャンネルを始めたのか、それがとてもストレートで興味深かったので、ご紹介してみましょう。(英語のみ)

 

「料理が好き」という性質

このチャンネルの動画主さんはPailinさんという人なんですが、幼い頃からなぜか料理が好きだったと。

で、中学時代にはニュージーランドに留学していたんですが、高校時代にタイのバンコクに戻ってきたと。

 

それで、その時にバンコクではケーブルテレビが導入されたって言うんですよ。

そしてその中に、海外の料理番組があると気づきます。

それで彼女は、そういう海外の料理番組に思いっきりはまって、そういう番組ばかりを見て楽しんでいたわけです。

 

すぐに料理関係で生きていけない場合、どうするのか

ただ、現実問題、すぐにそういう料理関係で生きていけるわけではありません

でも、アバウトながらも料理方向に進むことで、少しずつ道が見えてくるものなんですよね。

 

この方の場合、まずはカナダで大学に通って、そこで栄養関係を学んでいると、そこからいろいろあって、デリバリー系のレストラン業界に入って料理をすることになります。

で、その後は料理学校にも通って、タイ料理レストラングループのシェフになって、カナダに移住したと。

 

そして動画を始めた

そんなあるとき、兄弟から「YouTubeでは、個人で番組を作れる」と知ります。

そこから、高校時代に料理番組にはまっていたことを思い出して、「それなら自分でできるじゃない!」と、タイ料理チャンネルを自分で始めた、という流れです。

 

実際に初期の映像もあったんですが、本当に素人動画ですから(笑

でも、好きで続けていると、クオリティも上がって人気になってきた、という流れです。

 

好きなものには、少しずつ近づいてゆくのでいい

こういうのを見ると、「好きなものには、少しずつ近づいてゆくのでいい」って分かりますよね。

最初は留学をしていたり、「料理方向がいいな」と思っている程度で、自分の素質とか個性、境遇をどう結びつければいいのか、個別のヒントばかりで全体は分からないものなんですよ。

それに自分自身でも、何が好きなのか、何が最適解なのかも分からないもので。

 

でも、そんな中で「とりあえず料理方向で」と栄養を学ぶと、料理人への道が開けて、しばらくするとタイ料理への道が開けて。

そして、YouTubeと出会って、高校時代に好きだったことに結びついて、好きでやっていたら道が開けた、みたいな。

 

個性や境遇をうまく組み合わせる

この方を俯瞰して見ると、独自の個性とか好み、境遇が、うまく組み合わされていると分かります。

料理が好きなこと、料理番組が好きだったこと、タイ出身であること、留学をして英語を話せること、シェフの経験もあることとか。

そういう「人生のヒント」を、うまくピックアップしてゆくイメージです。

 

もちろん、大人になってから初めて熱中できるものに出会えることもあります

それは、「こういう世界もあるのか!」と驚いたり、魂が震える感覚になるんじゃないかな、と思うんですが。

なので、「過去にすべてのヒントがある」というわけではないし、「思いもしないもの」にはまることもあります。

 

ただ、そういうヒントは、私たちの今や未来にも多くちりばめられているように思います。

ヒントを拾いつつ、歩いて行く、みたいなイメージかなと。

 

「好きなことをしてはいけない」という思い込み

で、「私はどの方向に進めばいいのか分からない」という人には、「好きなことをしてはいけない」という思い込みで制限されていることが多いように感じます。

 

例えば、とある人は、アニメのプリキュアが好きだったとしましょうか。

しかも、イラストや漫画を描くのも好きだと。

でも、大の大人で、しかも男性が、「プリキュアが好きです!」、「ふりふりの衣装を妄想してデザインして、小さな女の子に着せて描くのが好きです!」とは、社会ではなかなか言えないし、出せないじゃないですか(笑

 

だから、好きなことが分からなくなる

すると、そういう「プリキュアみたいな魔法少女ものを、イラストや漫画で描くことが好き」という素質を封印したまま、「好きなことをして生きたい」と願うようになります。

でも、「プリキュア系のイラストや漫画」という分かりやすい方向性を封印した状態で、「自分がはまれるものが欲しい」なんて願っても、見つかるはずがないんですよ。

 

だから、「私はどういう方向性に進めばいいのか分かりません」、「手当たり次第に試してますが、何をやっても長続きしません」、「何も面白いものがありません」となると。

それは、自分の中で一番分かりやすいものを封印しているから、分からなくなって当然なわけです。

 

「常識で思いつくもの」を試しても、無駄なことが多い

そして方向性が見えない場合、基本的に「常識で思いつくもの」を試しても、無駄なことが多いものです。

実際に「何か面白いことはないかな」で動いても、たいていの場合で面白いものは見つからないものでしょ(笑

 

それは、方向性を封印された人にとっては、ヒントはむしろ、疑いとか恐怖の方向性にあるからじゃないかと思います。

「これだけは許されない」とか、「そんな世界、ありえない」みたいな、そんな方向性ですね。

そしてそれは、深く難しく考るほど、見えなくなるもののように思います。

 

まとめ

そういうのを踏まえて、「好きなものには、少しずつ近づいてゆくのでいい」と思うのもいいかもしれません。

 

そして方向性が見えない場合、素直にストレートに考えるのもいいように思います。

方向性を封印されていると、やたらと難しく考えてしまうんですよ。

「これはダメ」とか「許されない」、「非現実的だ」、「そんなのでは生きてはいけない」、「もっと具体的に計画やイメージをしなきゃ!」、「成功する保証や確証を得なきゃ!」みたいに。

 

そうではなくて、「とりあえず方向性を決めて、歩いていれば、道は開けるよ」ぐらいのノリです。

で、方向性も、難しくは考えずに「なんとなくこっち」で決めると。

 

すると、変な思考の制限がかからずに、うまく未来を開けるかもしれません。

 

ということで今日は、「好きなものには、少しずつ近づいてゆくのでいい」というお話でした。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share