今日は、日記というか、私がいる現状の再まとめです。
今年から大きめな方向転換をしているので、私の長期的な生き方と、私が現在いる状況を説明してみましょう。
昨日の記事で気づいたんですが、そういえば、私がどういう状況にいるのか、客観的に説明してなかったように思います。
なので今日は改めて、私が今までどういう生き方をしてきたのか、そしてどういう方向性に向かっているのか、それについてのまとめです。
なぜ金融業界に移ったのか
私は今、アメリカの金融業界をメインに活動しています。
ちなみに今までは、心理とかストーリー理論とかを分析して、本としてまとめて出していました。
なのである意味、「社会から離れた辺境の地で、地味に自由に新たな境地開拓をして、少数の人に心から喜んでもらう」という生活を送っていました。
それが今は、「社会の中心で、最も自由で巨大な金融業界」という、正反対な世界に移っているわけです。
いや、住んでいる場所は、今までと同じ日本の米軍基地横なんですが(笑
言うなれば、活動の場を変えた、ということですね。
今はネットがあれば簡単に別業界に移動できるので、「科学技術万歳!」ということです。
「動かない現状を打破しよう」という動機
なぜそんな風になったのかというと、それが「現状を打破するため」だったりします。
元々私は、人がいないような田舎で、静かにゆったりマイペースで、新たな境地を自由に開拓するような生き方が好きでした。
なので、そういう生き方をし始めました。
以前は制作監督として、ゲームとかアニメを作ったり、いろいろ制作をしていたんですよ。
で、最近では心理的な本を書いて、心理について説明していたんですが。
今までの私は、言うなれば「辺境の地で、知識や技術を研究して、自分よりも弱い子や人たちに、知識や生き方、楽しみ方を教えていた教師」みたいな立ち位置でした。
イメージとしては、「田舎にある小さな学校で、少数の貧しい子たちに、知識を教えている教師」みたいなものです。
もちろん、そんな辺境の地でお金を持っている人なんていないので、安価に知識を提供して、私自身も質素に生きていたと。
でも、少数の子に心から喜んでもらえていたので、私もその喜びに嬉しくなって、満足していたわけです。
「ここでは研究しつくした」という限界
それで活動していたんですが、いろいろと限界になってきたんですよ。
それは、「もうここでは、新たに切り開ける場所はないな」と、興味も意義も失ってしまったからですね。
私は、ずっと「研究が好き」という性質で、だからこそ「新たな概念を見つけて、喜んでもらおう」としていました。
そして心理面でいろいろ研究をしていたんですが、これは元々は「自分の生き苦しさを解決したい」という思いで始めた上に、自分の心理問題をあらかた解決できたわけです。
すると、最近になって「新たに研究できることもなくなったし、ここでは十分に使命を果たせたな」と実感するようになりました。
「ここに本を残していれば、私がいなくても、みんなは十分に学べる。だから私がいなくても、もう大丈夫だ」
「私は自由に新たな研究をして、もっといろんな人たちに喜んでもらいたい。なら、私は新たな自由な場に出よう」
そこで、「なら好奇心の示す方向に向かってみよう」ということで、今までの辺境の地から出ることを決意して、新たな世界に入ることにしました。
「金融業界」という興味対象
でも私には、次に何をしたいのか、よく分かりませんでした。
ただ私の心の中では、「こっちに行け」という、好奇心が示す道筋があったわけです。
それが、「金融業界」でした。
私は元々、金融業界に興味があったんですよ。
ただ、今までは自分の内面に問題を抱えていたので、そちらの解決を優先していただけで。
それでも、「金融業界」って、今までの田舎暮らしとは全然違う世界じゃないですか。
金融業界って、言うなれば「自由な場ではあるけど、社会の中心」という世界です。
一方で私は、自由は好きではありますが、田舎とか、「境地」と呼ばれるような、人が少ない場所で生きるのが好きなんですよ。
それで「どうしようか、人が多い場所は得意ではないからな」と悩んでいたんですが。
新たな境地に出るために、社会の中心に戻る
でも、これもアプローチ次第だと分かったんですよ。
言うなれば、「新たな境地に出るために、ちょっと社会の中心に戻ってみよう」という発想です。
昨日も少し触れましたが、そもそも私は、現状に限界を感じていたわけです。
すなわち、それまで持っていた「現状の田舎から、別の境地に向かう」というアプローチでは、私には限界が来ていたわけです。
なら、「一度社会の中心に出て、そこから別の境地に向かう発想もアリだよね」と気づいたと。
「最短距離を目指さずに、一度正反対の方向に出て、そこから再び探すのもいいよね」
「自分に何ができるかは分からないけれども、社会の中心に一度出て、広い世の中について知って、そこから自分にできることを見つけて行こう」みたいな。
そういうこともあって、「社会の中心だけど、自由な場」でもある金融業界に入りました。
ある意味、今まで作り上げたすべてを手放して、ゼロからの再出発です。
あるのは、今まで地味に貯めていた、ごくわずかな投資用資金だけです。
「アメリカの金融業界」はびっくり世界
で、アメリカの金融業界に入ったんですが、ここがまた、入ってみると予想外に新鮮で驚きな場所だったんですよ。
私の感覚で言うなら、「今まで貧しい片田舎にいた田舎教師が、一気に『アメリカの金融街』という都会にやって来ちゃった」みたいなイメージです(笑
そこは、ある意味「自由に生きる人々のるつぼ」みたいな異世界です。
これは、田舎民が都会に出たイメージで想像すると、分かりやすいかと思います。
例えば街には巨大なビルや建物、繁華街、大学や講演ホールがあったり、そこではびっくりするぐらいの多くの人が行き交っています。
そしてそこでは、驚くほどのお金が動いているわけです。
人々は色とりどりの服を身につけていたり、高価なデバイスを身につけていたり、高価な食事をしていたり。
私からすると、「そのランチ1~2食食べるだけで、今までの私の食費1ヶ月分になるやん!」みたいな飲食店がどんどん建ち並び、人々が賑わっていたりして。
街には様々な店やマーケットがあって、見たこともない商品が所狭しと並んでいて、とんでもない額の商品が売られていたり、それをどんどん買う人がいたり。
まぁそんなイメージを彷彿とするほど、すごい熱気の世界なんですよね。
いろんな人がいる場所
そして、ふと行き交う人を見ると、そこにもいろんな人がいます。
20代前半ぐらいの若い人が、自力で大金持ちになって、さっそうと動画で金融理論や考え方を説明していたりするわけです。
一方で、中年ぐらいの人なのに、いかにも貧しそうな格好で、「何でダメなんだ」と泣いて悔しがっていたりして。
「この暗号資産で大もうけした」と、得た宝石とか契約書を見せびらかしている人がいたり、それを見て「私もそうなりたい!」とうらやましがっている人たちがいたり。
「俺が正しい!」「その理論はおかしい!」と、金融マーケットの外で言い争いをしている人がいたり。
鼻高々に得意になっている人もいれば、嘆いて投げ売りをしている人もいたり。
輝く成功者がいれば、明らかに失敗して絶望している人もいたり。
自由で自分次第な世界
言うなればそこは、まさに「自由で自分次第な世界」です。
世の中の仕組みと、マーケットについてを正しく知れば、誰でも豊かになれる世界です。
だけど、主張ばかりで「現実」を知らない人や、現実を誤認している人にとっては、厳しい世界です。
つまり、「自由が好きで、なおかつ現実を正しく認識できる人」ほど豊かになれる、という場所なんですよね。
私はそんな世界に足を踏み入れたわけですね。
知識が無料で、いくらでも手に入る!
この世界では、毎日多くのメディアで、有名人や有名専門家たちが、じゃんじゃん無料で専門知識を披露しています。
私たちはそういう知識に無料でアクセスできて、研究したり、学ぼうと思えば、無料でいくらでも学べます。
そして世の中の仕組みを知って、自分なりの理論を構築して、現実に即した理論で、現実の因果関係を正しく認識できるほど、ダイレクトにお金になる世界です。
その上、これはいつか話すと思いますが、「利益を出すことが、世の中のためになる世界」でもあります。
で、私はこういう世界に興味を持ったわけです。
なので、右を見ても左を見ても知識や理論だらけだし、それが日々どんどん新たに流れていて、もう大興奮していたりします(笑
私は心理メカニズムが好きなんですが、ここには様々な「市場心理の理論や論理」があるわけで。
なので、「なんだこの世界は! どっぷり好奇心を満たしまくれるじゃないか!」みたいに、私自身が楽しんでいたりします。
今の私は、「最低生活レベルの田舎者」
とはいえ、私の現状は、言うなれば「辺境の地から出てきた、好奇心と研究意識が強いだけの田舎教師」なわけです(笑
当然、周囲から見ると、資産レベルでは最低ラインです。
きっと、今までの「質素な田舎暮らし生活」を周囲に話すならば、「ぷっ、この世にまだそんな貧しい場所があったの?」と吹き出されて笑われるぐらいでしょう。
まぁ、一般ではそういう感覚ですよね。
精神的な問題とか、個性とか虐待とか病とか障害みたいな、そういうマイナーな事情で苦しんでいる人の界隈(かいわい)なんて、「社会の中心」ではそんな扱いです。
辺境出身でも、強みになりうる
でもまぁ、そういう「社会の中心にいる人が全然知らない、社会の端っこで問題を抱えつつ生きる人たちの存在」を知っていることは、私にとっては強みになるように思います。
というのも、私の自尊心は、ある程度満たされているからですね。
私はそういう辺境的な生き方が好きだし、そこで苦しみつつも「新たな可能性を見つけたい、新たな生き方をしたい」と生きている人たちも大好きなわけで。
実際に、私自身がそこで暮らすことで、自分の問題や苦しみを癒やせました。
それに、そういう人たちの喜びと感謝があったから、私は充実して生きられたんですから。
つまり、それだけ「欲望と恐怖」に突き動かされにくく、「見栄を張るためにお金が欲しい」とも思わないし、ブームに流されない性質もあると。
実際に私は、好奇心を満たしさえできれば、「お金は必要なだけあればいい」という性質ですからね。
だから、理論に集中しやすいように思います。
お金の「喜ぶ使い道」もある
今までは、「余分なお金は、あっても無駄なだけだ」と、興味を持たないでいました。
でも最近になって、「お金があっても、寄付とか投資とか、使えることは多いな。なら、それだけ人が喜ぶお金の使い方もできるな」と分かって。
いつか話すと思いますが、寄付も投資も、投機も投資も、長期も短期も、本質はすべて同じです。
なので、「市場心理を解析して好奇心を満たすついでに、お金も得てみよう。そのお金で、私なりのお金の使い方もできる」と思ったわけですね。
キワモノ才能を使ってみよう
今の私は完全に「最低ラインのど素人」なわけですが、「心理と論理に強い」という、キワモノ素質を持っていたりします。
個性の強い人ほど、そういう「社会でまったく役に立たない、欠点にしか思えない性質」ってあるでしょ。
それは確かに、金融業界ではほとんどの人が持たない、「役に立ちそうにない異端の素質」です。
そもそも、「人の内面」と「世界を動かす金融業界」って、「最も小さいものと、最も大きなもの」みたいに、まったく正反対のものです。
だけど私は、「内面心理も、市場心理も、同じ原理だ」という実感があるんですよ。
見れば見るほど、それは「人間心理」で動いているんですから。
恐怖と欲望、不安と安心、劣等感と心理的こじれ(代償欲求)で構成されていると。
金融業界で、理論の答え合わせができる
なら、ここでいろいろ自分の理論を試してみるのも面白そうですよね。
ある意味で、この金融業界は、私の理論が合っているかどうかを検証できる、「答え合わせの場」になるんですから。
私の理論が正しければ、お金になるし、理論が間違っていれば、お金にならないと。
そしてそういう好奇心を満たしてゆくことで、自分にできることを見えて来るだろうと思います。
で、そういう道を切り開くことが、いろいろと「マイナーな個性を持つ人」にとっての可能性になるんじゃないかと思います。
まとめ
そんな感じで、金融業界という新たな世界に入って、新たな生活をしているところです。
ここ5年はアプトプットばかりでしたが、今はほぼ10割インプットです(笑
完全にど素人状態ですが、もうウハウハと喜びながら学んでいるところです。
こういう人生も、面白そうでしょ。
私が生きているのは、こういう人生です。
そしていろいろ変化が始まってきているので、このブログではそういう方向性で語ってみようかと思います。
ということで今日は、私が現在いる状況を説明してみました。
今日はここまで~。