今日も新年スペシャルということで、豊かさについてのお話です。
「苦しい時は、見栄を捨てて、実利を得よう」というお話です。
「もっと楽になりたい」という欲求をどう実現するか
私たちは、「もっと毎日を楽に過ごしたい」とか、「もっと豊かに生きたい」と思うものですよね。
嫌なことはしたくないし、疲れる毎日はやっぱり嫌なもので。
それに、精神的にも物質的にも安心や豊かさを増やしたいですし、そうすれば休みたい時には休めますからね。
その場合、「見栄を捨てて、実利を得る」という発想もいいかと思います。
すると、嫌なことを手放せるし、自分の作業が報われるようになるかと思います。
「見栄を捨てて、実利を得る」とは
まずは、見栄と実利とは何か、ということです。
そこで、「見栄」を「周囲から評価されること」と定義するなら、「実利」とは「自分にとって大切なこと」だと言えるでしょう。
なので、単純に「自分はそれを評価しないのに、周囲から評価されるだけのこと」を手放します。
そして、「周囲は見下しても、自分にとっては大切だと思うこと」をするわけです。
シンプルでしょ(笑
なら、そういう「見栄を捨てて、実利を得る」活動って、すればするほど元気が出てくるんですよ。
だって、そういう活動はすべて「自分の豊かさが増えること」ですからね。
「みすぼらしい家に住む人」の例
これをたとえるなら、「家を建てている人なのに、自分はみすぼらしい家に住んでいる人」だと言えるでしょう。
その人が住んでいる場所では、「立派な家に住める人ほど、素晴らしい」という評価があったとしましょう。
なのでその人も、「自分も誰かの家を見事に建てて、褒めてもらおう。それで評価されて、自分もいい家に住めるようになろう」としていました。
それなのに、どんなに努力しても、自分自身はみすぼらしい崩れかけた家に住んでいるわけです。
だから病気がちで、元気も出ないし、スキルも乏しいし、他人をどんなに喜ばせようとしても自分は豊かになりません。
そして、「どうして自分はこんなに貧しく、ひどい住環境なんだ」と苦しんでいます。
自分のこじれに気づく
これって、客観的に見ると、こじれていますよね。
だって、神の視点である私たちから見ると、「まずは自分の家を建て直せばいい」と分かるからです。
じゃあここで、見栄を捨てて、実利を作ってみましょう。
するとここでは、「周囲から評価される他人の家を作る」のではなくて、「まずは自分の家を建て直そう」とします。
ほとんどの場合で、それは「評価されないこと」でしょう。
だって、そんなみすぼらしい家を修繕したところで、誰からも評価されないんですから。
だけどそんな中でも、自分のために、自分の家を直してゆきます。
高価な建築資材や道具を得られないなら、近所の山から許可を得て、安く木を切り取ってきて、安い道具で板を作って、自分なりに自分の家を直してゆくと。
作業をすればするほど報われる
すると、作業をすればするほど、ダイレクトに自分の心地よさに直結します。
確かにそれは、安物で作った、見栄えの悪いものかもしれません。
ですが、自分なりに工夫をして、自分に合うように作ってゆくわけです。
すると、いいベッドができたなら今日からぐっすり眠れるし、いいイスができれば今日から心地よく座れます。
雨漏りがなくなれば「家が壊れるかも」という不安を消せるでしょうし、棚を作ることで備蓄ができて、将来への不安を消せるかもしれません。
だから「やればやるほど報われる。生活がよくなる」と感じて嬉しくなって、希望を持てて、モチベーションを高めて活動できます。
気がつくと、余裕ができている
で、気がつくと、だいぶ余裕ができているものなんですよ。
そして同時に、「自分のような境遇にいた人が、心地よい家を仕上げるために必要なスキル」を身につけているものです。
だって、ベッドはどう作ればいいのか、イスや机はどう作ればいいのか、そういう作業を実際にこなしてきたんですから。
なら、そういうスキルを周囲に分かち合うこともできるでしょう。
すなわち、実利の経験を元に、さらに豊かさを作ってゆけると。
すると、「あの人は、貧しい人向けに、いい家を作ってくれる」と、独自の評価が追いついてきたりするわけです。
今までは、多くの人が「お金持ちの家を作るのが素晴らしい」と言っていた中で、その人は「貧しい人向けの、低コストで良質な家を作る」というパイオニアになると。
周囲からの痛みは、短期で終わる
もちろん、最初には「周囲から見下される、周囲を裏切る」、「最初は生活レベルを下げる」みたいな痛みはあります。
でも、それは短期的な痛みです。
というのも、「私はこれが大切だ」と思って行動し始めると、そういう同じ思いを持つ人たちと出会うものだからです。
例えば医者が、「私は大学の出世競争をやめて、貧しい地域で苦しんでいる子を助けよう」と、生き方を変えたとしましょう。
すると、必然的に意識を向ける先も変わるし、生きる環境が変わるものです。
なら、似たような志を持つ医者と出会えたりするんですよ。
すると、「自分も生活レベルを下げて、こういうことをやり始めたんだ」とか言われると、「生活レベルを下げたこと」が全然苦ではなくなるわけです。
それだけでなく、たとえ生活レベルを下げても、見栄ほど優先して手放すので、費用対効果はぐんと高くなります。
だから、「周囲から見下される、周囲を裏切る」、「生活レベルを下げる」みたいな痛みは、短期で終わります。
むしろ、長期的には同士と出会えるし、お金を効果的に使えるようになって、いいことだらけです。
まとめ
なので毎日が苦しい場合、「見栄を捨てて、実利を得よう」とするのもいいかと思います。
重要なのは、神の視点で見てみることですね。
「自分を満たすために、周囲から評価されることで豊かさを得て、それで自分を満たそう」という、こじれに気がつくことです。
それは、「みすぼらしい家に住んでいるスキルもない人が、誰かの家を建てて、その報酬で自分の家を建て直そう」としているのと同じです。
この思考の罠に気づければ、実利に集中できます。
確かに短期の「周囲から得る痛み」はありますが、それを乗り越えれば自分を豊かにできますし、同士と出会えるし、評価もついてきます。
この流れが分かると、嫌なことを手放せるし、自分の作業が報われるようになるかもしれません。
ということで今日は、「苦しい時は、見栄を捨てて、実利を得よう」、というお話でした。
今日はここまで~。