今日も生き方のお話です。
どんなに有名になっても、結局は「知る人ぞ知る」ポジションでしかない、というお話をしてみましょう。
「もっと有名になりたい」は、どこまで行けば満足できるのか
「もっと有名になりたい」って気持ち、ありますよね。
まぁ私自身もたまに思うんですが、私の場合は過去の経験から「有名になったら不自由さも増えるから、無名で自由な方がいいや」としているんですが。
実際にテレビとかラジオ、新聞に出ていた時期は、ストレスが半端なかったですからね(笑
で、ふと思ったんですよ。
「多くの人が『もっと有名になりたい』と言うけれど、どこまで行けば満足できるんだろう?」みたいに。
ファンが100人できたら満足するのかというと、そうではなくて、きっと次は1000人欲するでしょう。
1万人に知られたとしても、次は10万人を求めたり。
そんな風に、多くの場合で、その「もっと」には、「ここまで達したら満足できる」という基準はないように感じます。
どんな欲求でも、満たせば満足するもの
生命の欲求は、本来ならば「満たせば満足する」という性質を持ちます。
というのも、生命にとって「あればあるほどいい」というものは、ないからですね。
栄養が十分にあれば食欲が満足されたり、適度に運動すれば「身体を動かしたい」欲求が満足されるものです。
むしろ、栄養でも運動でも何でも、欲求に対して「多く摂取しすぎる」は逆に不健康になると分かります。
見方を変えると、「どれだけ得ても、満足できない」というのは、「満たしたい欲求」と「手段」が食い違っていると言えます。
例えば、本当は食欲を満たしたいのに、獲物を狩るばかりで食べていなければ、食欲はいつまで経っても満たされないのと同じです。
その欲求は、有名になっても満たせない
なら、その「もっと有名になりたい」欲求は、有名になることで満たせるものではなさそうだ、と分かります。
本質とは関係ないものを追いかけているから、何十年かけて満たそうとしても、満たされないと。
なら、「永遠に満たされない方法で、欲求を満たそうとすること」は、長期的に考えると無駄なように感じます。
で、むしろそういう欲求は、自分の内面に根本問題を抱えていて、それに端を発しているものじゃないかな、と思います。
そしてその根本問題を紛らわせるために、「有名になれば、売れれば、きっとその根本問題を満たせるかも」と思い込んでいると。
まぁ多くの場合で、それは「自分は無価値だ」という劣等感や思い込みになると思うんですが。
「有名になった状態」とは、どういう状態か
まぁそういう根本問題は今までさんざん触れてきたので、今回は触れないことにしましょう。
今回は別の見方として、「有名になった状態を、実際に味わってみよう」という方法論を語ってみましょう。
すると、「有名になった状態って、こういう感覚なのか」と分かって、「有名になりたい」欲求に折り合いをつけやすくなるかもしれません。
で、その結論を言うと、「有名になった状態」というのは、結局は「知る人ぞ知る」ポジションでしかない、ということです。
有名になっても、知らない人はいる
実のところ、イーロン・マスクほどに有名になったとしても、それでも知らない人っているわけじゃないですか。
日本の田舎にいるおばちゃんとか、普通に「イーロン? 誰、それ?」みたいな状態ですからね(笑
まぁアメリカ大統領ぐらいなら知っているかもしれませんが、「名前や顔が知られていること」と「自分が評価されていること」は異なるものです。
そもそも、その人に興味がない人もいますからね。
「何で俺を大切にしないんだ!」という怒り
例えばある「もっと有名になりたい」と思う有名人がいたとしましょうか。
そこで、「君、私のこと知ってるでしょ」と誇らしげに言っても、相手がその有名人に対して、無関心だったり、軽んじる場合も多くあるわけで。
すると、「あー、知ってるよ。頑張ってるねー」で終わらせて、有名人を特に大切にしないわけです。
そういう場合、きっとその有名人は全然満たされずに、むしろ「何で俺を大切にしないんだ!」と怒りを持つんじゃないかと思います。
それは、「チヤホヤされて、自分を大切に扱って欲しい」という欲求が満たされないからですね。
つまり、「もっと有名になりたい」というよりも、「もっと自分を大切に扱って欲しい」がより本質に近い欲求だったと分かります。
言い換えると、その有名人は、本当は「たった一人でいいから、ありのままの自分を認めてくれる人が欲しい」なんじゃないかと思います。
だけど、自分を心から認めてくれる人なんて、一人もいないわけです。
だから、「すべての人から認められたい」、「多くの人からチヤホヤされたい」、「そのために、すべての人に、自分の価値を証明しなければならない」みたいな、非現実的でこじれた欲求を持っているわけです。
ひょっとすると、その「自分を認めるたった一人」とは、他人ではなく、自分自身なのかもしれません。
有名になった状態は、ファンが1人きりでも味わえる
ただ、そんな状況でも、「有名になっても、結局は『知る人ぞ知る』ポジションでしかない」と分かっていれば、折り合いをつけやすくなるかと思います。
知名度が高いかどうかに関係なく、「好きな人は好き、興味がない人は興味がない」と知ることですね。
なら、これはファンが1人とか、数人ぐらいの状態からでも、十分に味わえると分かります。
実のところ、たった1人のファンからでも、心から感謝されて、「あなたがいてよかった。あなたの作品に出会えてよかった」と言ってもらえれば、十分に味わえるかなと。
するとそこから、「知ってくれている人は、私のことを応援してくれている。興味ない人は、私のことをどうでもよく扱う」と感覚的に分かるかと思います。
これが分かると、その「興味ない人」という現実に向き合うことで、内面を解決できるかもしれません。
まとめ
なので「もっと有名になりたい」という場合、「結局は、知る人ぞ知るポジションでしかない」と思うのもよさそうに思います。
そしてそれは、1人でもファンがいれば、味わえることです。
「知る人ぞ知る」は、ある意味「私に興味ない人もいるけど、興味を持ってくれる人もいる」と理解することですからね。
これが分かると、変な「もっと有名になりたい」欲求に折り合いをつけて、内面も解決しやすくなるし、うまく自分を出してゆけるかもしれません。
ということで今日は、どんなに有名になっても、結局は「知る人ぞ知る」ポジションでしかない、というお話でした。
今日はここまで~。