今日は心理的な、まったく役に立たないお話です(笑
「攻め」と「受け」を心理的に考えてみる、ということでお話ししてみましょう。
攻めと受けの心理
ちょっとしたツイートがあったので、ご紹介。
受けは攻めが死んでもちゃんとお金稼いでもうすきになる人はいなくてもちゃんと攻めの写真かざって「いってきます」してそうだけど、攻めは受けが死ぬともうだめ、あいつらは、もう、毎日街をさまよって受けの姿を探しまわり誰もいない海とか行って「どうして俺だけこの世界に置いていくんだ」とか言う
— moon (@mokumoku_moon6) May 12, 2021
なんかもう、あるあるですよね(笑
私はBLみたいな受け攻め系のものは完全に守備範囲外ですが、こういうのってあると思うんですよ。
じゃあ、こういう心理的な作用って、どういうメカニズムになっているのか。
それを少し語ってみましょう。
攻めと受けは、どちらも劣等感を持っている
「攻めと受け」って、言うなればどちらも劣等感というか、自分の存在意義とか無価値感で病んでいる状態なんですよね。
もし病んでいなければ、受けも攻めもなく、普通に少女漫画っぽく恋愛をしますから。
なので、ある意味「病んでいる」というのは、「こじれている」、「ストレートに愛憎表現ができないような、精神的な枷(かせ)がある」とも言えるでしょう。
例えば「これが好き」というのを表現したかったとしても、それを素直にできないわけです。
ひょっとすると、過去にそれを表明した時、周囲からその「好きなもの」を取り上げられたり、批難されたり、見せしめに悲劇的なことがあったかもしれません。
するとそれが傷になって、それ以降は「これが好き」というものに直面しても、無関心なふりをするかもしれません。
もしくは、その時の怒りや哀しみを先に思い起こすことで、「好きなのに、当時の怒りや哀しみに支配されてしまい、その直情に従った反応や行動をしてしまう」という現象が生まれるかもしれません。
攻め側が持つ背反する心理
だから、素直に好意を表現できないんですが、その奥には「好き」があるわけです。
好きなのに、過去の悲劇という学習によって、「怒りや哀しみが沸騰してしまい、それに従って行動してしまう」という、真逆な対応をしてしまうと。
そして、多くの場合で「好きなもの」を見ると、その過去がわき上がります。
だから、本当は好きなのに、その「好きなもの」を傷つけてしまうと。
で、だいたい攻め側がそういう「好きなことを素直に受け入れられない、精神的な枷(かせ)」を持っているものです。
その場合、同時に背反する心理も持ちます。
「過去の怒りや哀しみに支配されて、それによって起きる衝動的な行動」を出すことで、怒りや哀しみを少しでも発散できるので、表面的には心地よくなれます。
でも、心の奥底では、「本当は好きなものなのに、傷つけている」という、苦しみもあって。
一方で、受け側が、その奥にあるわずかな「好き」とか、「表面では復讐しているのに、心の奥底では哀しんでいる」という心理を見つけると。
そこから受け側が攻めを受け入れるようになって、攻める側を癒やしてゆく……という流れになるんじゃないかと思うんですが。
受け側は「嫌いなこと」への枷(かせ)を持ちやすい
この枷(かせ)は、「好きなことを制限されたこと」だけでなく、「嫌いなことを無理矢理受け入れさせられた」という場合もあります。
で、受け側であるほど、嫌いなことで枷(かせ)を持ちやすいと。
受け側は本当は嫌いなことなのに、「受け入れなきゃ」という表面的な心理が生まれることで、「喜んで、笑顔で受け入れているように見える性質」になるわけですね。
そして、攻め側が、受け側の奥にあるわずかな「嫌い」とか、「表面では歓迎しているのに、心の奥底では哀しんでいる」という心理を見つけると。
そこから攻め側が、受け側の奥底にある本心を出すように導いて、受け側を癒やしてゆく……という流れになるんじゃないかなと。
いや、だいぶ理論的な想像なので、違うかもしれませんが(笑
心理的な反応が向けられる方向性
ちなみに、こういう心理的な反応は、出る方向が決まっています。
これについて、少し前にリリースした本「高共感な人の生き方戦略」から、いい関係図があったのでご紹介。
劣等感や無力感を持つ場合、「怒り」か「罪悪感(もしくは自分への無価値感)」を持ちやすくなります。
それが、自分に向けられるか、他者に向けられるかで、上図のような4つの反応が起きるわけですね。
攻め側は「怒り」、受け側は「罪悪感」で固定されている
で、攻め側は「怒り」(図の上側の軸)で固定されていることになります。
なので、攻め側はその怒りを他者に向けると、「被害者としての攻撃」をします。
だけど、攻め側はその怒りが自分に向けて反転することがあって、その場合「自責や自傷、自殺」などの反応を起こしやすくなります。
一方で受け側は、「罪悪感(自分への無価値感)」(図の下側の軸)で固定されていると。
なので、受け側の罪悪感が他者に向けられると、その相手に対して「自己破滅的な奉仕や我慢」をしてしまいます。
だけど、同時にその罪悪感が自分に向けて反転すると、「自分の存在に対する無価値感や罪悪感」を感じてしまい、無気力になってしまうと。
攻めと受けとは、そういう図の上側と下側の組み合わせだということですね。
ちなみに図の右側と左側で組み合わせると、外向型と内向型の組み合わせになるでしょう。
まとめ
そういう風に考えると、受けと攻めがどういう心理状態で動いているのかが分かるかな、と思います。
受け側も攻め側も劣等感を持っている、すなわち「過去の出来事によって、ストレートに表現できなくなっている(こじれている)」ということです。
で、攻め側は怒りを、受け側は罪悪感や無価値感を主体にしていて。
それを、互いが互いの奥にある、「表面的な行動で愉悦やごまかしを得ているけど、心の奥底ではこういう心理を持つ」という部分に気づいていきます。
そして、互いがそれを見つけて、癒やしてゆくわけですね。
もちろん、片方だけでもできます。
例えば攻め側だけがそういう劣等感を持つ場合、最初に示したツイートのように、「攻め側が死んでも、受け側はさして苦しんでいない」となるでしょう。
それは、受け側には劣等感がないので、さして苦しまないからですね。
こう考えると、より関係性が分かるかもしれません。
いや、分かったところで何の役にも立たないんですが(笑
ということで今日は、「攻め」と「受け」を心理的に考えてみる、ということでお話ししてみました。
今日はここまで~。