今日は心理的な、まったく役に立たないお話です(笑

「攻め」と「受け」を心理的に考えてみる、ということでお話ししてみましょう。

 

攻めと受けの心理

ちょっとしたツイートがあったので、ご紹介。

なんかもう、あるあるですよね(笑

私はBLみたいな受け攻め系のものは完全に守備範囲外ですが、こういうのってあると思うんですよ。

 

じゃあ、こういう心理的な作用って、どういうメカニズムになっているのか

それを少し語ってみましょう。

 

攻めと受けは、どちらも劣等感を持っている

「攻めと受け」って、言うなればどちらも劣等感というか、自分の存在意義とか無価値感で病んでいる状態なんですよね。

もし病んでいなければ、受けも攻めもなく、普通に少女漫画っぽく恋愛をしますから。

なので、ある意味「病んでいる」というのは、「こじれている」、「ストレートに愛憎表現ができないような、精神的な枷(かせ)がある」とも言えるでしょう。

 

例えば「これが好き」というのを表現したかったとしても、それを素直にできないわけです。

ひょっとすると、過去にそれを表明した時、周囲からその「好きなもの」を取り上げられたり、批難されたり、見せしめに悲劇的なことがあったかもしれません。

するとそれが傷になって、それ以降は「これが好き」というものに直面しても、無関心なふりをするかもしれません。

もしくは、その時の怒りや哀しみを先に思い起こすことで、「好きなのに、当時の怒りや哀しみに支配されてしまい、その直情に従った反応や行動をしてしまう」という現象が生まれるかもしれません。

 

攻め側が持つ背反する心理

だから、素直に好意を表現できないんですが、その奥には「好き」があるわけです。

好きなのに、過去の悲劇という学習によって、「怒りや哀しみが沸騰してしまい、それに従って行動してしまう」という、真逆な対応をしてしまうと。

そして、多くの場合で「好きなもの」を見ると、その過去がわき上がります。

だから、本当は好きなのに、その「好きなもの」を傷つけてしまうと。

で、だいたい攻め側がそういう「好きなことを素直に受け入れられない、精神的な枷(かせ)」を持っているものです。

 

その場合、同時に背反する心理も持ちます。

「過去の怒りや哀しみに支配されて、それによって起きる衝動的な行動」を出すことで、怒りや哀しみを少しでも発散できるので、表面的には心地よくなれます。

でも、心の奥底では、「本当は好きなものなのに、傷つけている」という、苦しみもあって。

 

一方で、受け側が、その奥にあるわずかな「好き」とか、「表面では復讐しているのに、心の奥底では哀しんでいる」という心理を見つけると。

そこから受け側が攻めを受け入れるようになって、攻める側を癒やしてゆく……という流れになるんじゃないかと思うんですが。

 

受け側は「嫌いなこと」への枷(かせ)を持ちやすい

この枷(かせ)は、「好きなことを制限されたこと」だけでなく、「嫌いなことを無理矢理受け入れさせられた」という場合もあります。

で、受け側であるほど、嫌いなことで枷(かせ)を持ちやすいと。

受け側は本当は嫌いなことなのに、「受け入れなきゃ」という表面的な心理が生まれることで、「喜んで、笑顔で受け入れているように見える性質」になるわけですね。

 

そして、攻め側が、受け側の奥にあるわずかな「嫌い」とか、「表面では歓迎しているのに、心の奥底では哀しんでいる」という心理を見つけると。

そこから攻め側が、受け側の奥底にある本心を出すように導いて、受け側を癒やしてゆく……という流れになるんじゃないかなと。

 

いや、だいぶ理論的な想像なので、違うかもしれませんが(笑

 

心理的な反応が向けられる方向性

ちなみに、こういう心理的な反応は、出る方向が決まっています

これについて、少し前にリリースした本「高共感な人の生き方戦略」から、いい関係図があったのでご紹介。

 

劣等感や無力感を持つ場合、「怒り」か「罪悪感(もしくは自分への無価値感)」を持ちやすくなります。

それが、自分に向けられるか、他者に向けられるかで、上図のような4つの反応が起きるわけですね。

 

攻め側は「怒り」、受け側は「罪悪感」で固定されている

で、攻め側は「怒り」(図の上側の軸)で固定されていることになります。

なので、攻め側はその怒りを他者に向けると、「被害者としての攻撃」をします。

だけど、攻め側はその怒りが自分に向けて反転することがあって、その場合「自責や自傷、自殺」などの反応を起こしやすくなります。

 

一方で受け側は、「罪悪感(自分への無価値感)」(図の下側の軸)で固定されていると。

なので、受け側の罪悪感が他者に向けられると、その相手に対して「自己破滅的な奉仕や我慢」をしてしまいます。

だけど、同時にその罪悪感が自分に向けて反転すると、「自分の存在に対する無価値感や罪悪感」を感じてしまい、無気力になってしまうと。

 

攻めと受けとは、そういう図の上側と下側の組み合わせだということですね。

ちなみに図の右側と左側で組み合わせると、外向型と内向型の組み合わせになるでしょう。

 

まとめ

そういう風に考えると、受けと攻めがどういう心理状態で動いているのかが分かるかな、と思います。

受け側も攻め側も劣等感を持っている、すなわち「過去の出来事によって、ストレートに表現できなくなっている(こじれている)」ということです。

で、攻め側は怒りを、受け側は罪悪感や無価値感を主体にしていて。

 

それを、互いが互いの奥にある、「表面的な行動で愉悦やごまかしを得ているけど、心の奥底ではこういう心理を持つ」という部分に気づいていきます。

そして、互いがそれを見つけて、癒やしてゆくわけですね。

 

もちろん、片方だけでもできます。

例えば攻め側だけがそういう劣等感を持つ場合、最初に示したツイートのように、「攻め側が死んでも、受け側はさして苦しんでいない」となるでしょう。

それは、受け側には劣等感がないので、さして苦しまないからですね。

 

こう考えると、より関係性が分かるかもしれません。

いや、分かったところで何の役にも立たないんですが(笑

 

ということで今日は、「攻め」と「受け」を心理的に考えてみる、ということでお話ししてみました。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share