今日はあまり時間がないので、短めの生き方のお話で。
「なぜ60代のプロ音楽家よりも、20代の若い音楽家が売れることがあるのか」を考えると、クオリティに対する考え方が変わるかも、というお話です。
「売れない。プロレベルになりたい」という問題
私が受ける質問でも、「なかなか売れない」、「プロレベルになりたい」みたいな内容は多いように感じます。
だから、多くの人が「もっと学ばなきゃ」とかしているんですが。
でも私の中では、そういう「もっと学ばなきゃ。プロレベルにならなきゃ」というスタイルが、どうもしっくり来なかったんですよ。
もちろん決められたレールの上を進みたい場合とか、既存のポジションを奪って得たい場合、そうやって「学んで競争して、奪い、勝ち取る」がいいでしょう。
だけど、独自のポジションとか生き方をしたい場合、そういう「もっと学んで、プロレベルにならなきゃ」というのは、少し感覚が違うように思います。
ファン作りに「プロ的なクオリティ」はさして関係ない
じゃあ何が違うのかというと、「ファン作りや収益作りに、プロ的なクオリティはさして関係ないこともある」ということですね。
これが分かると、クオリティに対する考え方が根本から変わって、利益を作りやすくなるかもしれません。
これは、音楽家をイメージしてみると分かるでしょう。
音楽業界を見ていると、ライブでも曲作りでも、60代のプロ音楽家よりも、20代の若い音楽家が売れることって、よくあるじゃないですか。
常識で考えるなら、60代のプロの方が、技術も経験もはるかに高いはずです。
でも現実では、20代の若くて下手なミュージシャンの方が、ライブで大盛り上がりだったり、若者たちから大ウケだったりするわけです。
じゃあ、なぜそういう「トータルクオリティが低いのに、売れるのか」ということです。
コア部分に集中しているから、響く
それを考えると、私の中では、「20代の情熱的な音楽家は、コア部分に集中しているから」じゃないかと思います。
「80:20の法則」みたいなものがありますが、まさにそれと同じです。
「80%のどうでもいい部分は関係ない。20%の本当に大切な部分に、今の自分が持てる力をすべてを注ぐ」というスタイルですね。
すると、「プロ的なクオリティ」なんて関係なくなるんですよ。
というのも、ほとんどの場合でそういう「プロ的なクオリティ」というのは、「誰が見ても高評価が得られるように、全体が整っていること」を指すからですね。
なぜ全体を整える必要なんてあるのか
そもそも、「何かの目的を持って、何かを伝えようとしている時」に、全体を整える必要なんてあるんでしょうか。
究極の目的が「伝えたいものを伝える」のであれば、「伝わりさえすればいい」ですよね。
すると、伝えたいものがしっかりある人ほど、全体を整える必要なんてなくて、「どんどんコアだけを、伝わるように出せばいい」になります。
20代の音楽家ができるのは、そういう「無駄な装飾品をつけずに、コアとなる魂をぶつけること」ができるからじゃないかな、と思います。
だから、伝わりやすいし、響きやすいと。
それに、聴く側も同じように若者世代なので、「整えたものを出されても、理解できない。それぐらいなら、あらっぽくても響くものの方がいい」ということもあるでしょう。
逆を言うと、60代ぐらいになると、そういう「伝えたい」というエネルギーが失われてきて、きれいにすることぐらいしかできなくなるんじゃないかな、と。
まぁ、それはそれで、一つの「大人っぽい」という価値観ではあるんでしょうけどね。
まとめ
なので「売れない。売りたい」という場合、「収益作りに、プロ的なクオリティはさして関係ない」という発想をしてみるのもいいように感じます。
コア部分をぶつけさえすれば、結構響くものなんですよ。
すると、「どれだけ長時間をかけて、ハイレベルな技術を身につけるか」から解放されます。
言うなれば、そういう「努力や頑張り」ではなく、「どれだけコアを見極めて、そこに集中するか」で代用する、ということですね。
ひょっとすると、それは「すごい自分を見せたい」ではなく、「(自分の恥ずかしい内面も含めて)さらけ出す」という勇気や内面の問題と言えるかもしれません。
この視点や感覚が分かると、「クオリティが劣っていても響くもの」の意味が分かって、比較的短期間で響くものを作れるかもしれません。
ということで今日は、「なぜ60代のプロ音楽家よりも、20代の若い音楽家が売れることがあるのか」を考えると、クオリティに対する考え方が変わるかも、というお話でした。
今日はここまで~。