今日は、価値についてお話ししてみましょうか。

「愚痴でも、極めれば長所になる」という、シンプルなお話です。

 

愚痴も極めれば価値になる

最近は「自分なりのスタイルでお金を作ってゆく」という内容でお話をしているので、今日もこれについてお話ししてみましょうか。

このブログを読んでいる人でも、「自分なりのスタイルで、価値を与えていきたい」って人は多いんじゃないかと思います。

でも、「だけど私は愚痴っぽくて、ツイッターでは愚痴だらけなんです」みたいな人もいるかもしれません。

 

よく、「愚痴を言うな、ポジティブでいろ」とか、「ネガティブ発言をするな、建設的に考えろ」とか言いますよね。

愚痴を言うと、どんどん嫌な点に目が行くようになるので、次々と不運が訪れるようになるわけです。

 

でも最近の私は、「それもありかも」とか思うようになりました。

すなわち、「愚痴も極めれば価値になる」ということですね。

 

例えば野球で、野村克也監督がいましたよね。

あの人、よくテレビで「ぼやき」を言ってたじゃないですか。

でもあれって、実はわざとやっているんですよ。

「自分がぼやけばマスコミが取り上げてくれる。野球業界をもっと盛り上げられて、自分のぼやきが貢献できるなら、どんどんぼやいていこう」

みたいなことを、どこかの本かインタビューで書いていて。

 

野村監督本人は、すっごい真面目でひたむきで、前向きで、かつ人に配慮できる性格なんですよ。

選手からの信頼も厚いですし。

でないと、監督とかできませんからね。

 

でも、彼はマスコミに対しては、しっかりと真剣そうにぼやくわけです(笑

現役監督時代にはテレビやニュース番組でも多く流れていたので、見たことある人が多いんじゃないかと思います。

あざ笑ったり、自嘲気味に話したり、マスコミ以外で触れる野村監督の性格とは真逆なんですよ。

 

他にも、漫画家でも風刺系の内容を描く人だとか、自虐ネタを描く人もいますよね。

とにかくネガティブな内容ばかりを書く人もいたり。

でも、彼らはそれが持ち味なんじゃないかな、と思うようになりました。

 

「愚痴」も価値になる

ツイッターでも、よく「疲れた」みたいな愚痴ツイートするような人がいるじゃないですか。

それはまだ浅いんだと。

その愚痴をどんどん深めてゆく、という発想もあるんですよね。

「よーし、じゃあこの『疲れた』という愚痴を、どうやったら多くの人に伝えられるだろう」みたいに深めるわけです。

 

すると、「人を引きつける前置きが必要だよな」と感じたら、いろいろ対策ができるでしょう。

「今日、こういうことがあったんですよ。こういうことって、よくありますよね」

「今日はこういうしんどいことがあったんですが、こういう経験をしたことがある人って多いんじゃないかと思います」

そんなフレーズを使えば、相手をぐっと引き寄せられるじゃないですか。

 

で、どんどん愚痴を書くんですが、それも相手に共感できるような形で書くと。

「上司からこう言われて、落ち込んだ」とかあったら、「上司じゃなくても、教師とか親から似たようなことを言われること、ありますよね」とか書けば、相手は共感できると。

「この仕事のこういうところが嫌だ。疲れた」とかあったら、「私の仕事だけでなく、学生なら勉強のこういうところ、主婦ならこういうところが嫌で、疲れるものですよね」みたいに、同種の疲れを表現すると。

 

愚痴でもそんな風に深めてブログででも書いていくと、次第に相手から「更新楽しみにしてます!」って言われるようになっちゃうんですよ。

なぜかというと、読み手は共感を引き起こすと、「ああ、この作者さんも、私と同じ苦しみを感じているんだ」って分かりますよね。

すると、「苦しんでるのは私だけじゃないんだ。みんな同じように苦しんでいるのなら、私も頑張ろう」みたいに励まされるじゃないですか。

だから、「もっと愚痴を書いてください!」と言われるようになると。

 

まとめ

この「愚痴」に当たるものが、人にはあるものです。

「愚痴」って、「価値がないもの」の象徴みたいなものじゃないですか。

それですら価値にできるわけです。

「疲れた」と言いたいなら、その「疲れた」ということを相手に伝わるように語ると。

とことんまでその表現を深めれば、超ネガティブなそのままの状態が、人から受け入れられるようになるわけですね。

 

すると、「もっと愚痴を書いてください!」とか言われるようになると。

「私は愚痴しか言えない」とか思っていたら、その愚痴こそが価値あるものだったと気づくわけです。

だったら、「ああ、ネガティブでいいんだ。ネガティブになっていいんだ」と自分の全てが受け入れられますよね。

それが本当のポジティブになる瞬間というか、自分に対して「許し」を得る瞬間かな、と思います。

 

だから、愚痴っぽくていいから、ネガティブでいいから、それを深めてみましょうと。

すると価値が与えられるようになって、ネガティブをクリエイティブに活用することで、「ポジティブなネガティブになれる」わけですね(笑

そういうアプローチもありますよ、ということです。

 

ってことで、今日は「愚痴でも、極めれば長所になる」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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