ここんとこ、たまったネタの一挙放出をしていますが、今日もそんな感じです。

今日は、「同じ行動をしているようで、価値観がまったく違う実例」ということで、5つほど実例を紹介してみようかと思います。

 

「どれだけ稼ぐか」 対「どれだけ変えるか」

 

起業したての会社って、やっぱり新境地開拓をするような人が集まりやすくて。

そういう中でも、「どれだけ稼ぐか」を重視している集団と、「どれだけ人々の生活を変えているか」を重視している集団の2つがある、というものです。

 

こういう違いって、やっぱりありますよね。

いったい何を目的に制作やビジネスをしているのか、ということです。

で、やはりそういう人たちの間では、溝がある、ということで。

 

そして、これは「どちらに属してもいい」ということです。

で、もし自分が「周囲は利益とか、年収の話ばかりで嫌だ」と不満を持っている場合、「意味を重視する集団もある」と分かります

すると、「そっちに移ろう。世の中にはそういう集団もいるし、そっちに移っていいんだ」とできて、より充実できるかなと思います。

 

「短期の損失」対「長期の利益」

 

ツッコミどころ満載の論理ですが、それでも普通の発想とは違う観点ですよね。

何かを買う場合、普通は「欲しいものは、これだけのコストがかかる」と、その額面を見るものです。

だけど、「一括払い的なコスト」ではなく「長期的なローンで、分割支払い」だと思えば、頭金だけで安く入手できるよね、という論理です。

まぁ、借金体質の人とか、金銭管理ができない人には勧められませんが(笑

 

でも、世の中には「苦しいことで返済する」方法と、「充実できることで返済する」方法があるように思います。

で、例えば家の35年ローンなんて、もし嫌な仕事をしている場合、「35年以上も苦しいことを続けなきゃ、返済できなくなる仕組み」なんですよね。

 

一方で、「充実できることをしなきゃ、返済できない仕組み」もあります。

例えば、歯車になるのが苦手な人が、「社会のレールから外れて、望む人生に足を踏み入れる」というものがあるでしょう。

それは確かに「自力で日々の糧(かて)を得られるようにならなきゃいけない」という、しんどい日々の負債を抱えることになります。

 

でも、そういう人にとっては、「荒野で生きるのは、レールの上で生きるよりも能力を発揮できるし、生き生きできる」ですからね。

生き生きできることをするほど、生き延びやすくなると。

なのでそういう「欲しい生き方は、早めに得れば、人生トータルでのしんどさの負債は減るよ」という発想もあるように思います。

 

「迷惑はいけない」対「迷惑をかけてもいい」

 

こういう「自分の性質や感覚、今までの環境での常識が、別の人には当てはまらないこと」って、ありますよね。

私たちが「人はこういう感覚で当然だ」というのは、当てはまらない種の人もいる、ということです。

 

上記の例のように、「迷惑をかけてはいけない」と思い込んでいても、「迷惑をかけ合っていい」という種の人もいるわけで。

むしろ、「そっちの方がいい関係だ」と、喜ぶタイプもいると。

そういう「自分の常識が当てはまらない人もいる」と分かると、可能性が見えるかもしれません。

 

「目につくところを修正」対「コアを修正」

 

「何か違うな」と感じることって、ありますよね。

そういう場合、普通は「指摘された部分を修正しよう」と思うものです。

いわゆる、「目に見える末端部分を取り繕う」ということです。

これは手軽にできますが、いつまで経ってもそういう「表面的な取り繕い」ばかりでやり過ごすことになりやすくて。

 

だけどそうではなくて、「コア部分がずれているから、末端の些末なことに目が向いてしまう」とも言えます。

つまり、「まずは本質部分から変えていこう」とすることですね。

この場合、短期的にはしんどいんですが、表面的な取り繕いをやめられて、長期では楽になれます。

 

そういう本質指向もいいかな、と思います。

 

「あこがれの好みのタイプになる」対「あこがれになる」

これは元ツイートが消えていたので、引用でご紹介。

元ジャニオタに「好きなバンドマンと同じ数だけピアスあけたり同じ髪の色にしてた」みたいな昔話をしたら「いやその人の好きなタイプになれよ、何本人に近付いてんだよ」って言われてハッとしたな、ジャニオタとヴィジュアル系の人間の違いが明確に出た瞬間

 

こんな風に、「同じような行動をしていても、まったく違う動機や目的だった」ってこと、あるように思います。

バンド好きな2人なのに、片方が「理想のタイプから好かれたい」で、もう片方は「理想の姿のようになりたい」なんだと。

 

例えば本を書いている人の場合、ファンは「そうなりたい」という人たちが集まりそうに感じます。

一方で、VTuberとかの場合、ファンは「好かれたい」という人たちが集まりそうかな、と思ったり。

なので、そういう「タイプが違うんだ」と分かれば、自分に適したスタイルを見つけやすくなるかもしれません。

 

まとめ

そんな風に、私たちは同じような行動をしていても、まったく違う価値観であることもあるわけです。

スタートアップでビジネスをしていても、買い物でも、人への迷惑でも、何かの修正でも、あこがれに向き合う時でも、「行動は同じでも、価値観は違うことがある」と。

 

で、多くの人が、行動だけを見て判断してしまうんですよね。

例えば幼い頃に「この行動をしてはいけない。こう行動しなきゃ」と痛い目を見ることで、「行動を制限する」わけです。

だけど、そういう「こう行動しちゃいけない。こう行動しなきゃ」というしがらみは、とても表面的な、あまりにもおおざっぱで乱暴な対処策でしかないと分かります。

だって、その行動が喜ばれる場もあるし、喜ばれる人もいるんですから。

 

なので行動を制限するのではなくて、「価値観に合う行動があるかを模索する」というのもいいかと思います。

行動を制限するのではなく、価値観(動機や目的)に目を向けると。

それは自分の行動や価値観だけでなく、他者の価値観や行動に目を向ける、とも言えます。

 

すると、より多くのことが見えてきて、判断しやすくなるかもしれません。

 

ということで今日は、「同じ行動をしているようで、価値観がまったく違う実例」ということで、5つほど実例を紹介してみました。

今日はここまで~。

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