今日は、クリエイティブと心理のお話です。
「私が無人島に流れ着いても、やりたいこと」というお話です。
「無人島に流れ着いてでもやりたいこと」は何?
去年の夏に劣等感を解決してからというもの、「認められたい」という欲求がなくなってきたんですよね。
すると、ほぼ完全に「これをしたい」という自発的な欲求で動けるようになったんですよ。
これが分かると、今までどれだけ「他の人に認められたい」という動機で動いていたのかが実感できるんですよね。
この感覚を味わう簡単な方法が、「自分が無人島に流れ着いてしまった時に、何をしたいか」を考えてみること、ですね。
実際に、無人島に漂着した状態を思い描いてみるといいでしょう。
そこは太平洋の南国のリゾート島なので、心地よく過ごせます。
食べ物も十分にありますし、天敵もいません。
迎えはしばらく先に来ることが分かっています。
そんな状況で、何をしたいのか、ということですね。
ちなみに私の場合、何か作ってるでしょうね。
家を造ったり、道具を作ったり、プールを作ったり、居心地のよい環境を作ろうとするでしょう。
で、そういう身の回りのものを全部作り終えたら、自分の心理を分析したり、物語だとか、王道プロットのパターンを考えているかもしれません(笑
それぐらい、私にとっては「作ること」って面白いことなんですよね。
「他者からの評価」に惑わされない感覚
そういう感覚で考えれば、「他者からの評価」を気にしない、自分軸が出てくるんですよ。
自分軸が分かっていない典型例でよくあるのが、「他の人を成功させたい」かなと思います。
自分軸がない状態だと、なんか決まり文句のように、「私は、私が知っているこの同人作家を成功させてあげたい」とか言うんですよ。
でも、ほとんどの場合、プロデュースだとか制作指揮だとかは好きではないんですよね(笑
すなわち、好きでもないのに「こうしたい」と思っているわけです。
だいたいそういうのって、「感謝されたい」とか、「相手から『貴方がいないと生きていけません』と依存してもらいたい」とか、「頭を下げて欲しい」とか、「大切に扱って欲しい」とか、そういう動機なんですよね。
「相手からしてもらいたいこと」を求めても、ろくなことはないんですよ。
重要なのは、「その人を成功させて、自分がどういう気分を味わいたいのか」ということですね。
例えば「感謝されることで、自分の価値を感じられるようになりたい」という欲求があったとしましょうか。
なら、「自分の価値を感じられるようになりたい」という目的があるなら、わざわざその作家を成功させる必要なんてないですよね。
それは、自分の内面の問題ですから。
外部にそれを求めるんじゃなくて、自分の内面に向き合えば、その気分を味わういい方法は、もっといろいろあるでしょうと。
で、運良くその同人作家をプロデュースできて、成功させたとしても、作家は「自分の実力だ」と思って大手に移るものなんですよ(笑
プロデューサーには、さしたる感謝なんかしないと(笑
そんなとき、自分はどう感じるのか。
私は昔、所属スタッフさんをどんどんプロのシナリオライターとして輩出したことがありましたが、「感謝される喜び」なんて、ほんと一過性のものでしかないんですよ。
それに、すっごい感謝されることなんて、ありませんからね(笑
だいたいみんな、「自分の実力」だと思うものですから(笑
いや、私もそう思いますし(笑
そんな一過性のもののために、何年もしんどい作業をするとか、モチベーションが出るわけがないんですよ。
むしろ、そんな「感謝されるため」にやっていたら、感謝されなかったときに苦しんだり、相手に恨みを持ったりするようになるんですよね。
逆に、例えば私の場合、「教えること」とか、「ゲームを作ること」が楽しかったわけです。
そういうことは、毎日のようにできると。
だから、毎日高いモチベーションで作れて、しんどい作業でも乗り越えられるわけです。
プロのシナリオライターを輩出したのは、その結果だということですね。
まとめ
そんな風に、「無人島に流れ着いてでもやりたいこと」というアプローチで考えると、自分にとって本当にやりたいことが分かるんじゃないかと思います。
「他の人にどうしてあげたい」とか、「他の人からこうしてもらいたい」というものを全て取り払って、「自分は何をしたいのか」で考える、ということですね。
何となく、私は結構、無人島でも楽しく生きられるんじゃないかと思います(笑
着の身着のままの状態からでも、楽しくいろんな生きる環境を作れるんじゃないかな~、と思ったり。
ということで、今日は「私が無人島に流れ着いても、やりたいこと」というお話でした。
今日はここまで~。