今日も生き方についてのお話です。

なぜ貧しくなっていく人ほど、悪いニュースに「信じられない」という言葉を多用するのか、というお話です。

 

ここんとこ、私の中では「現実をうまく認識しようよ」というアプローチにハマっているんですが、今日もそんなお話です。

 

なぜ「信じられない!」とよく言うのか

よく、ひどいニュースとか知らせを得ると、「信じられない!」って言う人がいますよね。

だいたいそういう言葉が多い人ほど、現状から出られないものなんですよ。

 

すなわち、貧しい人とか、貧しくなっていく人ほど、悪いニュースに「信じられない」という言葉をよく使うと。

じゃあなぜそうなるのか、今日はその原理についてお話ししてみましょう。

 

現実を見ずに、自分の思い込み縛られているから

まぁこの原理は簡単で、「現実を見ずに、自分の思い込み縛られているから」ですね。

「信じられない!」という言葉って、言い換えると「現実を否定すること」です。

なら、その人にとっては「自分の空想上にある世界が、現実」でしかないわけです。

 

実際に、戦争とか殺人みたいなひどいニュースが流れたときに、「信じられない!」という人って、かなり現実離れした「現実」を持っているものです。

「この世界は、戦争や殺人が一切ない、平和な世界だ」

「この世界は、誰も人を傷つけない、正しい人ばかりで構成されている」

「この世界は、誰もが豊かに笑って楽しく生きている」みたいな。

 

願望と現実がごっちゃになっている

これはある意味、「願望」と「現実」がごっちゃになっている、とも言えるでしょう。

「この世界はこうあるべきだ、こうあって欲しい」という願望と、「実際はこうである」という現実が、区別できていないわけですね。

 

これは、「信じられない!」と現実を切り捨てることで、自分の願望を守りたいんだろうと思います。

というのも、目の前の現実を信じなければ、「この世界は、本当は平和な世界である」、「この世界は、誰もが私に優しくしてくれる世界である」という、自分の理想世界を守れます。

それに、戦争や殺人があっても、株式暴落や経済破綻のリスクがあっても、「信じられない」で片付ければ、心配したり、準備や対処をする必要はありませんからね。

 

だから貧しくなってゆく

こうして、信じないことで、自分のかりそめの平穏を保っているように感じます。

なのでこれは、「もうこれ以上は頑張れない」と現状にいっぱいいっぱいな人ほど、そういう「信じられない!」と現実を切り捨てやすくなるように思います。

 

ただ、やはりそういう人は、貧しくなっていって当然だろうと思います。

だって、現実を正確に認識できていないんですから。

何らかのリスクがあるのに、それを無視して「この世界は天災も人災もない、平穏な世界だ」とすると、それは危機や変化が起きたときに破滅しやすくなると分かります。

特に、今のように激動の時代ほど、そういう「信じられない!」という言葉は、致命傷を負いやすいように感じます。

 

信じられないことを、さっさと信じる

なので、現状から出たい場合、「信じられない」という言葉を手放して、さっさと信じるのがいいかと思います。

 

「この世はユートピアではなく、理不尽で、戦争も争いも殺し合いも、親が子を虐待もする世界である」

「プロの小説家や漫画家になりたくても、実力よりも、人当たりや外見、態度で評価されることもある」

「足を引っ張って、相手を蹴落とす方が、豊かになれることもある」

そういう「世界のもう一つの側面」を、早めに信じることですね。

 

「もう一つの側面」に移れると、現状が変わる

すると、私たちが持つ「現実」が広がって、「もう一つの側面の世界」に移れます

そして実は、そうすることで、簡単に現状を変えられるんですよ。

 

例えば虐待を受けている人の場合、「この世界は、親は誰もが子に優しく接する世界であるべきだ」という願望を持っているから、その世界から出られないわけです。

それは、そこに「いつか、優しくしてくれるはず」とか、「いつか、わかり合えるはず」という願望があるからですね。

でも、「親は子を虐待しうる世界だ」と認識することで、さっさと虐待から離れられます。

 

他の例では、「一生懸命頑張り、自分を滅ぼすほど上司や会社に尽くす人ほど、お金を得られるべきだ」と願望を持っているかもしれません。

でも、だからこそ、「報われるべきだ」と執着してしまって、貧しい状況から出られないわけです。

ならば、そこで「無理をしなくても、頑張らなくても、お金や豊かさを得ていい世界だ」と認識できれば、自分の個性で豊かさを作れます。

 

そんな風に、より「現実」を知ることで、自分に合う生き方を選べるわけですね。

そしてそれは、「思い込みの、こうあるべき理想の世界」に居続けるよりも、「理不尽な世界」に移る方が、問題を解決できることも多いと。

 

「現実」を見ていくほど、「理不尽」はなくなる

実のところ、そうやって「現実」を見ていくほど、「理不尽」はなくなるんですよ。

だって、「理不尽」という言葉は、思い込みが生むからですね。

 

「もう一つの側面」を見ることができれば、理不尽なんてなくなります。

相手の立場から見れば、たいていのことは「ああ、こういう価値観を持つ相手なら、こうやって当然だ」と分かるものです。

それは戦争にしろ、殺人にしろ、株式暴落にしろ、どんなことでも「理不尽」はなくなります。

ある意味、「理(り)」の中で生きられるわけですね。

 

すると、それらの出来事を現実として認識できて、現実として対処してゆけます。

それはある意味、「相手を理解する」とも言えるかもしれません。

今までは「自分の思い込み」を相手に押しつけていたのが、現実を見ることで、相手の価値観や行動原理を理解できるようになるんですから。

だから、リスク対策をするなり、助ける準備もできたり、場合によってはそれを利益にできるわけです。

 

まとめ

なので現状から出たい場合、「信じられない」という言葉を手放して、さっさと信じるのがいいかと思います。

 

この「現実の広さ」が、その人に豊かさをもたらすように思います。

例えば「お前は無価値だ、ゴミだ」と言われたとしても、そこで「そういうひどいことを言う人も、世の中にはいる」と受け入れることです。

すると、「争うばかりの世界」という現実が見えてきて、そちらに足を踏み込めます。

なら、「争う人もいれば、優しい人もいる」と理解できて、傷つかなくなるし、傷ついた人を助けることもできるでしょう。

 

私の中では、そうやって「現実」を知る方が、冷静にいろいろ行動できるし、豊かになれそうに思ったりもします。

 

ということで今日は、なぜ貧しくなっていく人ほど、悪いニュースに「信じられない」という言葉を多用するのか、というお話でした。

今日はここまで~。

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