「○年以内に実現できなければ、この夢はあきらめよう」という人がいる。
それは行動力のない自分をけしかけるためならいいが、そうでなければ、さっさとあきらめるといい。
夢というのは、どんなにあきらめたくても、あきらめられない……そういうものを言うんだ。
夢は、自己対話を繰り返すことで、形になる。
「プロ野球選手になるのが夢です。でも私は四十歳なので、なれません」……本当にそうだろうか?
夢を考える時、次の四つの領域に分けて、考えてみよう。
(一)「これを叶えなきゃ、こういうひどい状況になってしまう」という「不安を避けたい」を動機に、持つ夢。
(二)「これを叶えれば、他の人から愛される」という、「愛情を得たい」を動機に、持つ夢。
(三)「これを叶えれば、他の人から認められる」という、「自尊心を得たい」を動機に、持つ夢。
(四)「これを叶えれば、こう楽しめる。人にこうしてあげられる」という、「楽しみや優しさの共有」を動機に、持つ夢。
このうち、(四)の「楽しみや優しさの共有」を動機に持つ夢だけが、本当の夢なんだ。
これだけが自分軸で、そのほかは全て他人軸。
他人軸の夢なんて、結局はまやかしでしかない。
「プロ野球選手になるのが夢」だったとしても、その中には、「親や周囲の期待に応えたい」、「親や友人知人に認められたい」、「子どもたちに夢を与えたい」などの、様々な要素があるだろう。
すると、その中で「子どもたちに夢を与えたい」という、「楽しみや優しさの共有」の要素こそが、本当の「夢」なんだ。
きっとその「本当の夢」は、「プロ野球選手」という形にこだわらなくても、クリエイティビティーがあれば、様々な形で実現できるだろう。
選手を育てることかもしれない、子どもに野球の楽しさを教えることかもしれない、自分を磨き続ける、そんな生き方を実践して見せることかもしれない。
自己対話を通して、「本当の夢」を見つけることができたら、「まやかしの夢」に左右されることはなくなる。
さあ、自分に問いかけてみよう。何が本当の夢で、何がまやかしなのかを。
きっと、道が見えてくることだろう。