例えば制作とか、絵とか、小説とかで、楽しいことをやって、互いに見せ合いたい場合、最初は「仲間」がいるとうまくいきやすいかなと思います。
同レベルの仲間っていうのは、結構面白さで繋がれるものなんですよね。
逆に、それをやっていないような、リアルの「友人」に作品を見せるのは、あんまりオススメしません。
今回はそんな、「一緒に楽しめる人」のお話でもしてみましょうか。
体験している人は、体験を楽しめる
例えば私が大学時代に絵を描いた時も、何となく絵を描いたんですよ。
で、お絵かきサイトに登録したら、仲のいい絵描き仲間が3~4人ぐらいできて。
当時は掲示板があったので感想を書いたりして、わいわい楽しんでいたんですよ。
みんなへたっぴなんですが、「可愛い!」とか「格好いい!」とか、みんなベタ褒めなんですよ(笑
なんと言うか、楽しいことをしていると、「楽しい」という体験で話が通じるんですよね。
すると、そこでプロと比較するとか、全体的な位置づけとか、そんな評価は入らないわけです。
例えばスーパーマリオをプレイした仲間内で、「あのステージが面白かったね」と言うと、「あそこが難しかったよね~」とか、「体験」の話になりますよね。
体験している人は、体験した話でつながることができるわけです。
「楽しい」という圧倒的な体験でつながっていると、否定的な要素が入り込む余地なんてないんですよ。
だから、仲間とコミュニケーションをしていても、互いに喜びしかないわけですね。
体験がないと、「情報」で比較せざるを得なくなる
でも、例えば絵を書いて、身近な「友人」に見せたらどうでしょう。
多分、その「友人」は、絵を描いてないでしょうし、絵を描く楽しさなんてものも、分からないわけです。
すると、その友人は、体験ではなく「情報」を語ることしかできないんですよ。
だから、「プロと比べてこう」とか、「社会的に見て、こう」、「技術がどうこう」とかいう比較しか言えないわけです。
スーパーマリオで言うと、友人はマリオをプレイしたことがないので、「あのステージが難しかったよねー」とか言っても、友人はその楽しい「体験」がないんですよ。
だから、「プロはそのステージを1分15秒でクリアするらしいよ」みたいな、「情報」を語ることしかできないわけです。
すると、自然と「比較」が生まれてしまい、そこに「劣っている」みたいな、否定的な要素が入るわけです。
そんなので、楽しさを増やそうとか、一緒に喜ぼうとか、できるわけがないですよね。
まとめ
だから、何かをして楽しみたい場合、同じ「体験」を語れる人を見つけるといいかと思います。
同じレベルで、楽しんでいる人を見つけることですね。
そういう人に作品を見せて、語り合うと、とっても楽しくできるかと思います。
「友人」ではなく、「仲間」を見つけましょう、ということです。
もちろん、一緒に体験する友人なら、「友人かつ仲間」になり、最高でしょう。
このブログだと、「楽しいことをする」とか、「心理学に興味がある」とか、「クリエイティブに生きたい」みたいな体験を味わう人が集っているわけです。
「あの本、楽しかった!」とか、「ゲーム、面白かった!」、「私の場合、こういう心理があって、実はこうなのかな」、みたいに語れるのは、体験でつながっているってことですからね。
体験を語り合うとか、最高に面白いでしょ。
そして、よき仲間でしょ。
「体験」を語れる相手を見つけることが、キーかなと。
ってことで、そういう人を選ぶと、楽しんでできるかなと思います。