今日は、推測力についてお話してみましょうか。
私はよくストーリーライティングの構造論とか、心理学とか、成功法則とか書いてますよね。
それで背後にある「見えない構造」を見抜くのが得意なんですが、どうすればこんな「見抜く力」が得られるのかを、私なりに思ったことがあるのでお話してみましょう。
「なんで?」を人に訊くのをやめると、見えないものが見えてくる
で、結論から言うと、人に「なんで?」と訊くのをやめると、「見えない論理構造」が見えるようになってきます。
よく、何かの誘いとかでも断ったら、「なんで?」って訊く人、いますよね。
これって、実は全く無意味な質問ですよね。
だって、相手は何かしらの都合があって断っているのに、「なんで?」はないですよね。
それは、言うなれば「私、魚より肉の方が好きなんだ」って言っているのに、「なんで?」と訊くようなものです。
好き嫌いや価値観、優先順位に、理由なんかさしてないんですよ。
で、そういう「なんで?」と訊く人って、ほとんどの場合、「相手を変えよう」としているんですよね。
「私の誘いの方が重要だ。可能であれば、何とかして相手を説得してやろう」ってことですから。
すると、相手は断るために、それよりも重要度の高い、もっともらしい理由を説明しなきゃいけないわけです。
そもそも、その誘いの重要度が低いから断っているんですから。
もし都合がつかないことで、興味あることなら、相手から「この日はどう?」みたいに再提案があるでしょうし。
それこそ、「なんで、そこまで答えなきゃいけないの?」と聞き返したくなるぐらいですよね(笑
「なんで?」と訊いても、ろくな答えは返ってこない
そんな風に、「なんで?」って人に訊いていると、それこそとってつけたような答えしか返ってこないんですよ。
「なんで私の願いを優先してくれないの?」
「なんで私を大切にしてくれないの?」
「なんで私を愛してくれないの?」
「なんで夢が叶わないの?」
「なんで自殺しちゃいけないの?」
こんな問いを発して、まともな答えが返ってくるはずがないですよね。
それは、自分に問いかけないといけないものなんですよ。
そして、その答えがあるのかないのか、そんな中途半端なものにOKを出して、少しずつ問いかけてゆくことですね。
すると、ゆっくりと、背後にある理論構造が見えてくるんですよ。
それはもう、十年単位で、ゆっくりと見えてくるようなものです。
論理を見抜く目があれば、世の中から「理不尽」ということはほとんどなくなります。
人間にしろ、社会や国家にしろ、だいたい行動要因が整合性を持って見抜けるようになります。
それなのに、「なんで?」と訊いてしまうと、それで返ってきた答えが本質的な要因だと勘違いしてしまうんですよ。
ほとんどの場合、とってつけた理由でしかないのに、「これこれこういう理由だから」と言われると、それが原因だと思ってしまうわけです。
そうして、どんどん本質からずれた思考をするようになるんですよね。
そして、最後には「理不尽だ」と感じてしまうと。
そりゃ、理不尽になって当然でしょうと。
まとめ
そんな風に、「なんで?」と人に問いかけたところで、まるっきり無意味なんですよね。
むしろ、訊かない方が、どんどん気軽に提案できて、しかも見抜く目を養うことができるでしょう。
まあ、ほとんどの場合、「なんで?」というのは親が使っていた言葉で、それを無意識に取り入れちゃったんだと思います。
だから、それを手放せば、世の中から理不尽さが減って、楽に生きられるようになるんじゃないかと思います。
ということで、今日はそんな、推測力についてお話してみました。
今日はここまで~。