ここ最近は、クリエイティビティーについてのお話が多いので、今日もそれに関連するお話をしてみましょうか。

今日は、無目的な向上心は、クリエイティビティーを落としてしまう、というお話です。

 

よく、「もっとすごい私になりたい」っていう人、いますよね。

そういう人は、いろんなスキルを身につけようとして、自分の価値を高めようとするんですよ。

例えば多くの資格を取ったり、免許を取りまくったり、セミナーを受講しまくったりして、能力や可能性を高めようとするわけです。

他にも、絵を上手くなろうとしたり、小説も書こうとしたり、音楽ができるようになろうとしたり、なんかやたら向上心を持っているんですよ。

言うなれば、「上手くなりたい」と思っていると。

 

でも実は、そんなことをすればするほどクリエイティビティーが落ちていって、多くの場合、未来は閉ざされていくんですよ。

これについて、少し説明してみましょう。

 

クリエイティビティーとは、「自分のニーズ」を満たすこと

なぜ、いろんな資格やスキルを学習しようとすると、クリエイティビティーは落ちるのか。

それは、そもそもクリエイティビティーってのは、「自分で考えて創造する力」なんですよ。

他人からのニーズによって起きるものではなくて、自分のニーズを満たそうという方向性なわけです。

一昨日の記事で、「生活に直結するクリエイティビティーは、何でも楽しくなる」って言いましたよね。

これも、基本は自分のニーズを満たすことですよね。

 

自分が抱える問題を、クリエイティビティーで解決してゆくわけです。

その解決方法を、同じ境遇の誰かに使ってもらおう、という方向性ですね。

自分を満たした上で、他の人に喜んでもらう、そういう流れです。

自分をすっ飛ばして「誰かのためになろう」という流れではないんですよ。

 

私は、クリエイティビティーの対極にあるのが、資格とか免許だと思います。

他にも、適当なセミナーを受けまくるというのもあるかもしれませんし、何でも自分一人で完璧にできるように学習しまくる、というのもあるかもしれません。

でも、それら必要でもない資格とか免許、セミナーを受講することって、クリエイティビティーなんて全く必要のない世界ですよね。

というのも、既に世の中にあるものを学べばいいだけですから。

学校の勉強と同じで、答えは既にあるんですよ。

 

でも一方で、クリエイティビティーというのは、答えがどこにあるのか分からない、どういう答えなのかも分からない、そんな世界での「答えを作り上げる力」なんですよ。

これは、人生の生き方と同じです。

生き方に正解も不正解もありませんよね。

そういう答えのないところで、試行錯誤をして自分なりに組み上げていく、それがクリエイティビティーなんですよ。

 

クリエイティビティーを持つ人は、「自分軸」を持つ人

だから、クリエイティビティーを持つ人というのは、自分軸で動くことができて、しっかりとした「自分」を持っているわけです。

だって、「こうしたい」という強い思いがなければ、クリエイティビティーは発揮できませんからね。

そこには、「自分で自分の人生をよくするんだ」っていう思いがあります。

 

そういう人は、スキルを目的とするのではなく、スキルを手段にします。

「私はこうしたい。そのためには、このスキルが必要だ」ってなるんですよ。

資格が必要であれば資格を取るでしょうし、免許が必要なら免許を取るでしょう。

ですが、それは「最低限必要なもの」のみを取得しようとします。

無意味な向上心などは、起こらないんですよ。

 

例えば、無人島で家を造るとしましょうか。

すると、家の構造を知りたい場合、最低限必要なことを学びますよね。

だって、「家を作りたい」のがメインであって、「家の構造を学びたい」がメインではないんですから。

一刻も早く、その家の実現を夢見て行動するので、最低限学んだらすぐにでもそれを使って行動に起こしちゃうわけです。

だから、無意味な向上心などは持たないんですよ。

「もっといい家にしよう」という目的があって、初めて学ぶんですから。

 

自分軸がないと、スキルそのものを目的としてしまう

でも、使いもしない資格とか免許を取りまくることって、まさに「誰かから受け入れてもらうため」のもので、そこには「自分軸」がないんですよ。

本当に自分の人生や幸せを作ろうとするなら、そんなことやったって無駄だというのは、すぐに分かることですよね。

裏を返すと、それは「誰でもいいから、私を認めて。すごいって言って。こんなすごい私を幸せにして」っていう、幻想に生きているだけなんですよ。

 

だから、こういう人は、スキルそのものを目的とします。

「スキルが欲しい」だけなんですよ。

「そのスキルを通して、実生活にこう生かす」がないんですよね。

こういう人は、資格がいくらあったとしても、何もできません。

 

でも、クリエイティビティーさえあれば、どんな状況でも、どんどん自分発で環境をよくしてゆけるんですよ。

しかも、心から楽しみながら、行動することができるわけです。

 

クリエイティビティーがあれば、未来が見えなくても切り開ける

私はブログとか本を書きまくっていますが、ブログの記事のネタなんて、ほぼ当日に考えているんですよ(笑

いや、まぁここ数日は2~3日分のストックはありますが、基本的にネタは行き当たりばったりです。

本なんて、実は去年の夏に「千の夏と、ひとつの冬」を出したときに、全てのネタを出し切っていたりします。

その後の「たった二日で、劣等感を~」とか、「大好きなことで、独立を~」とか、「前向きスピリチュアル」とか、最近出した「お金は『最もやりたくない~』」でも、その場その場で思いついて書いているだけです。

 

いや、ひょっとすると、もう相当昔から、その場その場で思いついたものを作っているだけかもしれません。

それぐらい、常にネタのストックはない状態です(笑

でも、どんどん作れていますよね。

これが、クリエイティビティーの力なんですよ。

 

クリエイティビティーを持つ人なら、多くの人が「未来が見えない」という感覚を抱くのではないでしょうか。

「こうなりたい」という夢を描いてはいても、目の前には藪が生い茂っていて、先なんて見通せないわけです。

だから、とにかく「こっちの方向かな」とアタリをつけて、多い茂る草を刈って、道を切り開いている……そういう感覚かなと思います。

 

つまり、常にそのときそのときの全力を出し切っているだけなんですよね。

すると、「今を全力で生きていると、未来が開けてゆく」という感覚になるんですよ。

未来は見えないけれども、精一杯力を尽くしていると、「こっちでよかった」とか、「こっちは違っていそう」といった方向性が見えてくると。

そういう野生の勘のようなものも、クリエイティビティーとはセットですよね。

独立してやっている人とか、きっとこの感覚は共感してもらえるんじゃないかと思います。

 

そして、「あ、こんなところにオアシスがあった」とか、「ここにいい木の実がいっぱいある」って分かったら、「この道、いいよ!」と教えると。

そうして、その場その場でできたものが、私の作品なわけですね。

そういう風にして、藪を刈り取りながら、人に喜んでもらって、前に進むんですよ。

 

クリエイティビティーのない人ほど、先の見える道を求める

でも、クリエイティビティーのない人ほど、「先の見える道」を求めているように思えます。

それは、安心が欲しいからかもしれません。

でも、安心と引き替えに、重要なものを失っているんですよね。

それが、「今の楽しさ」、「今を精一杯生きる」ということかなと思います。

別の表現で言うと、「人生での冒険を失う」とも言えるかもしれません。

 

サラリーマンの人ほど未来は見えて、未来が見えるからこそ退屈なのかもしれません。

実際に私が会社勤めをしている頃、10年後の姿は3メートル離れた課長の席、20年後は5メートル離れた部長の席……って、リアルにイメージできましたからね。

そして同時に、私にとってはそんな未来が絶望だったわけです。

 

クリエイティビティーを発揮するという時点で、今を生きている

私は毎日毎日を精一杯生きていますが、本当に必死になっている時だと、「旅行に行きたい」とか「休みが欲しい」とか、「給料が」「お金が」「上司が」みたいな不満なんて、一切消えますからね。

ただただ、目の前のことに精一杯立ち向かうだけ。

そこには、「向上心」なんて余裕はないんですよ。

ただただ、「必要だから」で動くだけなんですよね。

 

映画の主人公って、未来を描いていても、その場その場でいっぱいいっぱいでしょ。

それと同じで、自分の人生の主人公になると、目の前のことに真剣に取り組むようになるんですよ。

そしてその「真剣さ」が「楽しい」ということなんですよね。

 

一方で、資格とか免許を取りまくるって、クリエイティビティーを必要としないじゃないですか。

自分のために歯車を作るのではなくて、自分が歯車になりに行ってるんですよ。

すると、考える必要なんかなくなって、次第にクリエイティビティーは落ちてゆくと。

 

まとめ

だから、使いもしない「資格や免許を取りまくるんだ」とか、興味もないのに「セミナーを受けまくるんだ」とかいうのは、人生にとっては逆効果になるかと思います。

「お金と時間を使って、貧しくなり、不幸になる人」の典型例かなと。

逆に、自分の生活に直結することを、クリエイティビティーで解決してゆく人ほど、お金も時間も満足も幸せもやってくるんじゃないかと思います。

 

そんな風に、「自分を高めるため」に学ぶというのは、目的を失っていることに気づくことですね。

そうじゃなくて、「私はこうしたい」、「そのために、私にはこれが必要だ」で動くと、クリエイティビティーが育って、うまくいくんじゃないかと思います。

 

ということで、今日はそんな、目的のない向上心を発揮すると、クリエイティビティーは落ちますよ、というお話でした。

今日はここまで~。

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