今日は、夢についてお話ししてみましょうか。
「夢は、その辺にごろごろ転がっている」というお話です。
私たちは、夢を持っていたり、もしくは夢を持ちたいとか思いますよね。
でも、夢って何でしょう?
その根本部分が分からないと、無駄なことをしちゃったりとか、すっごい遠回りをしてしまうことにもなりかねないんですよね。
まぁ遠回りこそが旅と人生の楽しみですが、苦しむのは少ない方がいいかなということで、お話ししてみましょう。
夢とは、「楽しく充実して生きること」
結論から言うと、夢とは、「楽しく充実して生きること」なんですよ。
「楽しい」というのは、「真剣に」と同義です。
だから、夢とは「真剣に充実して生きること」とも言えるでしょう。
つまり、楽しくて充実していさえすれば、何だっていいんですよ。
例えば、「小説家になるのが夢です」、「プロ野球選手になるのが夢です」と言う人がいますが、小説家になっても、プロ野球選手になっても、苦しい状態だったり、誰にも見てくれなかったり、楽しくない仕事をさせられたりしたら、嫌になるものです。
というのも、「プロになる」とかでも、プロになった瞬間は確かに嬉しいかもしれません。
でも、プロになったら、その状態が当たり前になって、二日もすればその喜びなんて消えるからですね。
じゃあ何が大切なのかというと、「どういう気分でいるか」なんですよ。
「小説家になるのが夢」というのは、より正確に言うと、「小説家になって、多くの人に喜んでもらって、私も楽しいことをして、充実した毎日を送ることができるようになること、それが夢」ですよね。
「小説家になる」というのは、一つの手段でしかないと。
「楽しく充実して生きること」という、気分が一番の目的なんだと。
すぐ足下にある夢を拾えばいい
だったら、なぜ「小説家になる」とか「プロ野球選手になる」みたいなまどろっこしいことをする必要があるんでしょうか。
「楽しく充実して生きること」なんて、クリエイティビティーを発揮して実生活をよくしていれば、すぐに得られるんですから。
それは言うなれば、夢というのは、その辺にごろごろ転がっている石のようなものです。
すぐ足下にもたくさんあるのに、「私は大阪駅のここにあるこの石を取りに行くために、必死で頑張っています」なんてしちゃうんですよ。
そして、その大阪駅のその場所にある石も、足下にある石も、全く同じ花崗岩だったりします。
なら、最初から足下にある夢を取っていれば、今すぐに、楽しく充実して生きることができるんですよね。
時々、「この賞に挑戦してダメなら、夢をあきらめます」という人がいるんですよ。
そしておそらくその人は、「あきらめて、他人が言うような他人の価値観で生きて、自分を殺して生きます」みたいなニュアンスで言っているんでしょうが、全く見当違いで、もったいないことですよね。
言うなら、「この賞に応募してダメなら、他のもっと楽しくて稼げそうなことに乗り換えちゃいます!」ぐらい言わないと(笑
まとめ
そういう風に考えると、どんどん面白く、気軽に多くのことに挑戦できるんじゃないかと思います。
夢なんて、いくらでもあるものです。
ごろごろ転がりまくっているものです。
だから、変に制限せずに、自分を追い込まずに、気楽に楽しむぐらいでいいんですよ。
そもそも、「夢を生きている状態」って、「自分を追い込まずに生きている」ってことを含んでますよね。
だったら、自分を追い込まずに生きるだけで、夢の一部を実現していることになるんですから。
ということで、今日は「夢は、その辺にごろごろ転がっているものですよ」というお話をしてみました。
今日はここまで~。
余談
そういや私のクリエイター仲間が、面白いものを作っていたんですよ。
この人は神社が好きで、巫女さんが好きで、ついでにアニメとかも好きな人なんですが、それを全て合わせて作った作品を作ったようで。
それが、「ネット声優さんからアニメキャラ風に読み上げて解説してもらう、神社の祝詞(のりと)講座」なんですよ(笑
これを、ちゃんと商品の形にして、値段をつけて売っているわけです。
こういうの見ると、もう何でもありでしょ(笑
超ニッチでマイナーなもので、しかも完全に「作り手の趣味」のようなものですよね(笑
こういうのでいいんですよ。
この方は神社や神道に詳しくて、巫女さんにも詳しくて、その辺の伝統にも詳しいんですよ。
実際にいろんな神社に行きまくっているぐらい、経験があって、しかも好きなんですから。
すると、もう成功するための要素はそろってるようなものだと分かりますよね。
こういうノリを参考にすると、気楽に楽しくできるんじゃないかと思います。