今日は、ちょっとした作ることについてのお話です。

自分の本のチェックをしっかりやっていてよかったな、と思った出来事についてお話ししてみましょう。

 

チェックをしていたら、日本語を意識するようになった

以前も触れましたが、私は作品については結構手を加える人なので、チェックとかもそれなりに回数をこなすんですよ。

ゲームを作っていた時でも、シナリオを自分が書いて、それを数回チェックして、CGやら音楽を入れて完成形になった後でも、さらに5回ぐらい通してチェックをするぐらいでしたから。

本の場合、5回ぐらい通してチェックしてます。

「それぐらい読んで、飽きないの?」とか言われそうですが、実はあんまり飽きないんですよね(笑

まあ確かに最後の方は飽きてきますが、飽きないようなものを作っていることもありますし、それだけ好きなことをやってるってこともあるでしょう。

 

で、ここ1年半は本を書きまくっているわけですが、「チェックをちゃんとしていてよかったな~」と感じることがあったんですよ。

それが、「日本語をちゃんと意識するようになった」ってことですね。

 

今まではそんなの全然分からなかったんですが、他の一般書籍でも、「これ、変な日本語だな」っていうのが分かるようになったんですよね。

私はあんまり文芸は読まないのでそちらは分からないんですが、ビジネス書籍で何冊も出しているような人でも、結構変な日本語使ってますから。

 

実力がある作家さんは、ちゃんとした日本語を使っている

で、私は立場的に、小説を書いている人とか、シナリオライターさんとかとよくメールをやりとりするんですが、やっぱり「違いがあるな」って分かるんですよね。

作家さんとか、シナリオライターの人、もちろんプロでなくとも志望者の人でも、実力がある人ほど、きちんとした日本語を使ってますから。

この「きちんとした日本語」っていうのは、敬語がちゃんとできているとか、誤字脱字がないとか、そんなルール的なものじゃないんですよ。

 

言うなれば、「読みやすさ」でしょうか。

ちゃんと主語と述語が一対一で対応していたりとか、一文の長さが分かりやすくて適切だったりとか、あとはホワイトスペース(空白)の使い方も上手いとか、そういう次元のものですね。

文章って、文字や意味だけでなく、段落や空白部分も合わせて「読みやすさ」ですからね。

「あ、この人は読み手の読みやすさを考えて書いているな」って分かりますから。

 

で、やっぱり実力がある人ほど、読みやすいメールの構成や文章なんですよ。

「ぱっと見」でも違いが分かるぐらいです。

たぶん、それが自然と身についていて、無意識に出るんだろうと思います。

まあ、一種の職業病なのかもしれませんが(笑

 

それで、文章のチェックをしていたら、やっぱりそれが分かるようになるんですよ。

見抜けるようになる、というか。

だから、もうメールの文面だけで、「この人はちゃんとした作品を作るな」みたいな、だいたいの実力は見抜けるような感じがします。

荒木飛呂彦の漫画術という本で、「漫画の編集者は、持ち込まれた漫画の一ページ目をチラリと見ただけでレベルがだいたい分かる。ダメならそれ以上見ない」とかありましたが、まさにそんな感じですね。

私の場合、ゲームとか何らかの作品を10本近く出して、本も15冊ぐらい書いて、ようやく分かってきたぐらいですが。

 

まとめ

「自分の作品を何度もチェックする」っていうことでも、そんな見る目を養うことができるようになる、ということですね。

「正確かどうかをチェックする」というのは、あんまり重要ではない内容ではあります。

でも、それをしっかりとやることで、身につく力もあるんだな~と感じたりしました。

 

ってことで、今日は作品チェックをすることについてお話ししてみました。

今日はここまで~。

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