さてさて、ここ数日はずーっとアナウンスしていますが、新作本「ストーリー作家のネタ帳」は現在無料配布中です。
まだの方で興味がある方は、是非どうぞ。
今日はその新作本をリリースしたばかりということで、この本にまつわるお話でもしてみましょうか。
物語を「意味」という次元で考えてみる、というお話です。
物語を「意味次元」から捉える
物語っていうのは、主人公がトラブルを抱えて、それを解決してゆく過程、みたいなものですよね。
で、全ての問題を解決して、「あーよかった、面白かった」みたいな。
でも、「深い物語」と言うのは、ちょっと違いますよね。
そこには、「物語を通じて訴えかけるもの」、みたいなものがあるわけで。
すなわち、「作品そのもの」が意味を持つ、ということですね。
「深い物語」というのは、そういう「主人公がどうしたこうした」とか、「表現力が素晴らしい」という次元のクオリティだけでなく、さらに「作品の意味や意義」という次元でのクオリティも持っているわけです。
ほら、物語でも、「読んで面白かったけど、心に残るものがない」って言う作品、あるでしょ。
「面白かったけど、すぐに忘れそう」みたいな。
でもその一方で、「表現力とか文章力はつたないけど、魂に訴えかける」みたいな作品もありますよね。
「作者の叫びが心に響いた」みたいなインパクトがある作品があるわけで。
これが、「作品としての意味」ということですね。
言うなれば、「その作品を通して、何を人に伝えたいのか」ということです。
例えば、ただ主人公がヒロインと恋愛をして、結ばれるだけなら、普通の恋愛物語じゃないですか。
でも、例えばそこで、「主人公の孤独を表現したい。そのためにこの作品を書いた」とかあれば、それだけで十分な意味がありますよね。
なら、同じような孤独を抱えた人は共鳴して、癒やされるわけです。
癒やされた人にとっては、「この作品は、私の孤独感を癒やしてくれた」という意味を持つと。
「ナンセンス(無意味)な作品」でも、意味を持たせることができるんですよ。
「これ、ナンセンスだよな~」と読み手が笑うことで、「ああ、意味なく笑うことができた」と、「この作品はナンセンスで、気分転換ができた」という意味を持つわけです。
メタレベルから物語を見る、という発想
そんな風に、物語というのは、主人公がどうこうしているという次元だけでなく、それとは一つ上の次元の「作品レベル」でも、意味を持つわけです。
この「一つ上のレベル」のことを、「メタレベル」と言います。
「メタ的な」とかいう言葉は聞いたことがあるんじゃないかと思います。
物語でも、「主人公がどうしたこうした」という次元を越えて、「その作品が持つ意味や意義」という次元があるんですよ。
例えば有名どころでは、童話で「100万回生きたねこ」という作品があります。
これは物語レベルで言うと、ただ単純に猫が生きて死んでを繰り返していると、最後に心から愛する白猫と人生を最後まで過ごしきると、生まれ変わらなくなって死んで終わった、という程度のお話です。
幼児向けなので表現も抑え気味で、短いので、あらすじ的というか、プロットを読んでいるような気になるぐらいの簡潔さなんですよ。
心理描写もなければ、ただ事実を淡々と列挙しただけです。
でも、この奥底には「意味」があるわけです。
「主人公が死んだはずなのに、ああ、死んでよかったと思える」というのは、本当に的確な表現かなと思います。
それによって、私たちは考えさせられたり、深い感動を味わうわけじゃないですか。
そこには、何らかの「読み手に訴えかけること」、すなわち「意味」があるからですね。
良質な作品にしたければ、そういう「意味」を持たせましょうよ、ということです。
ただ「主人公がどうこうする」という次元だけでなく、もう一つ次元が上の状態から、物語を捉え直してみましょうよ、と。
意味次元から物語を再定義したのが、「ストーリー作家のネタ帳」
そしてそういうメタ的な次元から物語を捉え直して説明したものが、今回リリースした「ストーリー作家のネタ帳」なわけですね。
この本では、今まで多くの人が考えていた「物語」という次元とは別の次元で、「意味」という次元から物語の流れを再定義しました。
この世の中にある幾億もの「具体的な物語」という次元ではなくて、一つ抽象度を高めたものになります。
だから、この本の内容を適用することで、物語に「意味」を持たせることができます。
すると、必然的に「深い物語」ができますよね。
すなわち、「王道プロットになる」ということです。
王道プロットとは、そういうメタ次元での「意味」を持たせている作品の流れなんだ、ということです。
例えば先に挙げた「100万回生きたねこ」でも、「死んだはずなのに、死んでよかったと思える」というカラクリは、この意味次元で考えることで、簡単にメカニズムを説明できます。
究極を言うと、この作品では物語冒頭で「問題」を定義してますよね。
この作品で言うと、主人公の猫は、「死ねない」という問題があるわけです。
それが、愛を知ることによって、最後に「死ねない」と問題を解決すると。
「『死ねない』という問題を抱えた主人公が、白猫との愛のある毎日を通して、その問題を解決する」という意味があるわけですね。
物語をこう再定義すると、「100万回生きたねこ」で、主人公が死んだのになぜ読み手は安心するのか、理由が簡単に分かりますよね。
「ナンセンスというジャンル」での作品でも同じです。
その作品はナンセンス作品で、主人公が無意味なことばかりをしていたとしても、その物語の中で必ず「○○という問題を抱えていた主人公が、△△を通して、その問題を解決する」という流れがあります。
すると、たとえナンセンス作品だったとしても、深い物語を生み出すことができます。
「ぼのぼの」とかいう哲学系ナンセンス作品もありましたよね。
これは、ナンセンス作品でも、「意味次元ではナンセンスではない」、「意味次元では意味がある」ということです。
だから、ナンセンス(無意味)なのに、心に響くんですよ。
でも、そういう意味を持たない作品は、心に訴えるものがないと。
だから、すぐに忘れ去られる。
どんなに表現力を高めても、文章力を高めても、整合性を高めても、悲劇を作っても、絶体絶命にしても、劇的な逆転勝利をしても、心に響かない。
すなわち、「意味次元でのナンセンスな作品」になってしまうわけです。
「意味次元から物語を定義する」という新たな試み
だから、「良質なプロットとは何か」を定義する上で、「意味次元」から物語を捉え直す必要があるわけです。
そういう「意味次元からの物語の再定義集」が、今回リリースした「ストーリー作家のネタ帳」だと思えばいいでしょう。
結構レベルの高いことをしてるでしょ。
ここまで明快に意味次元で統一して物語を定義したのは、おそらく私が史上初じゃないかなと思ってるんですが。
アリストテレスが「詩学」で三幕構成を定義して、ジョセフ・キャンベルが「千の顔を持つ英雄」で神話の普遍的構造を定義して、クリストファー・ボグラーが「神話の法則」でそれを物語に当てはめて、中村あやえもんが「ストーリー作家のネタ帳」で意味次元での物語構成を定義したと(笑
でも、こんな小難しいことを言うと誰にも理解できないし、手にしてもらえないから、「ネタ帳として使ってね」という取っつきやすいネーミングにしているわけです。
気がついた人がいると思いますが、上記の「○○という問題を抱えていた主人公が、△△を通して、その問題を解決する」というのは、私が提案している「テーマ」の形そのものですよね。
「テーマ」という考え方は、まさに意味次元からのアプローチでしょ。
「テーマが大切」とか、作家さんならもう耳タコですよね。
でも、「じゃあどうやったらテーマを組み込めるの?」と明快に示した人なんていませんよね。
みんながみんな、「そんなの『何となく』だよ!」みたいな、めちゃくちゃなことを言っているわけです(笑
だから、テーマを組み込めない。
だから、どんなに技巧をこらしても、心に響かない。
だから、感動した物語の真似をしても、根底にある「深さ」を作ることができない。
そういうことですね。
そんな問題でも、ちゃんと意味次元から物語を定義することで、テーマもちゃんと作れるようになります。
それらの「代表的テーマ集」が、今回の新作本で説明している内容でもある、とも言えるでしょう。
まとめ
すなわち、物語を「意味」という次元で考えてみることで、「深い物語」を作ることができる、ということです。
ただ単純に「主人公がどうしたこうした」、「整合性がどうのこうの」、「表現力がうんぬんかんぬん」という次元ではなくて、より高い次元から見ましょうと。
「100万回生きたねこ」だって、整合性皆無ですし、素直な日本語で、内容もプロットかと思うほど短くて、奇抜な表現力は皆無でしょ。
でも、面白い作品になる、ということです。
その「面白い作品」にするための、「意味次元での物語の再定義集」が、今回リリースした「ストーリー作家のネタ帳」ということです。
言わないとこのすごさは誰にも分かってもらえないと思うので、説明してみました(笑
分かる人には、この本が今までの世の中にある教材本とは、桁違いのすごさを持っていることが分かるでしょう。
実際、こういう本は他にありませんからね。
そういう観点で見て見ると、この本は楽しめるんじゃないかなと思います。
ってことで、今日は今回の本にまつわるお話をしてみました。
今日はここまで~。