今日は、クリエイティビティーについてお話ししてみましょうか。

正解よりも、意味が大切、というお話です。

 

「正解を求める」だけでは挫折する

面白い記事を見つけたので、ご紹介~。

勉強で「正解する喜び」を覚えた子どもは、中学・高校で挫折する(MAG2NEWS)ページ2

内容を簡単に紹介すると、子どもに勉強を教える場合、「正解したことを喜ぶ」では限界がある、ということです。

正解することを褒めるだけでは、子どもは次第に「こんなの覚えたって、意味ないじゃん」と言うようになると。

そうではなくて、「考える楽しさ」、すなわち「試行錯誤をする面白さ」、言い換えると「それをする意味」を教えましょう、ということですね。

 

これは私がよく似たようなことを言っているので、このブログを見てくださっている方は「何を今さら」という感覚かなと思います(笑

だいたい、好きでもないこととか、無意味なことを達成しても、面白くないものですよね。

「勉強しなさい」、「仕事をしなさい」と言われてやって、それで1日8時間とか9時間働いて、それで「よくできましたー」とか褒められても、面白くも何ともないものです。

自分が望んだものを、自分で手に入れるからこそ面白いわけで。

でも現実では、周囲にはこういう考え方に陥っている人って多いですよね。

 

まさに、子どもの「こんなの覚えたって、意味ないじゃん」という言葉ですよね。

子どもはちゃんと、意味を見抜いているんですよ。

でも、それでも無理矢理させられていると、次第に「頑張って正解するぐらいなら、頑張らずに不正解の方がいい」と思うようになるわけです。

これは誤解を受けそうなので補足をすると、「頑張って、苦しんで、自分も誰も幸せにしないような意味のないことをするぐらいなら、僕はそんな『頑張る』ことはしたくない。僕は別の意義あることを為したい」ということですね。

とてもまっとうな考え方ですよね。

 

でも、一部の大人は、「頑張らないことは怠けることだ、けしからん」とか思っているんですよ。

だから、「みんな我慢しているんだ、お前も我慢しろ」とか、意味不明な理屈で我慢を強制してしまうわけです。

これは言い換えると、「お前が考える『意味』などどうでもいい。俺に従っていさえすればいい」ということですよね。

こうして「考えるな、奴隷のように動きさえすればいい」という、奴隷が量産されていくことになるんですが。

 

「そもそも」を考えると、「意味」が見えるようになる

この奴隷洗脳から回避するには、「そもそも」という目的や意味を考える習慣を作ればいいかと思います。

例えば本でもよく、「年収を2倍にする」とか、「年収1億円になる」、「億万長者になる」みたいなタイトルがあるじゃないですか。

でも、そもそも何で年収を上げたいんでしょう?

年収を上げれば、生活が楽になったり、億万長者になれば、大好きなことをして遊んで暮らせる。

なら、目的は「生活を楽にする」こととか、「大好きなことをして遊んで暮らす」ことですよね。

「なんでわざわざ年収1億とか、億万長者にならなきゃいけないの?」とか思いますよね。

 

言うなれば、「私はブランコに乗りたい。私が年収1億とか億万長者になれば、それができる」とか言っているのと同じです。

「年収1億とか億万長者になれば、24時間、自由な時間ができる。だったら、遊んで暮らせる。遊んで暮らすなら、私は思う存分、ブランコをするんだ!」みたいな(笑

「だったら今から公園に行って、ブランコをしろよ!」みたいに言いたくなるでしょ(笑

 

そもそも、何でそんなにお金が欲しいのか。

「一生を遊んで暮らす」ためなら、なぜ年収1億とか億万長者である必要があるのか。

そもそも、「遊んで暮らす」の「遊ぶ」とは何なのか。

「遊ぶ」の意味が、「24時間、自分が興味を持ったことを自由に、好きなだけやって、それを周囲の人に分かち合って、喜んでもらう」ことなら、その「遊びの活動」でお金を得ればいいだけでしょう。

だったら、結果的に「遊びの活動」を通して「生活には十分な額」を得られれば、いとも簡単に「一生を遊んで暮らす」という目的は叶えられますよね。

 

わざわざ年収1億とか、億万長者になることとか、無意味なことです。

まさに、「ブランコをしたいがために、年収1億や億万長者を目指す」という愚をしてしまっているわけです。

 

「そもそも、何でそんなに勉強するの?」

勉強すればいい大学に入れて、いい会社に入れて、一生を安定して暮らせる。

だったら、目的は「安定しているという安心が欲しい」ことですよね。

今の時代、安定なんてものはどんな業種でもなくなったので、あるのは「安心」だけですから。

なら、「安心が欲しいがために、勉強をしている」ことになります。

「他にもっといい手段があるんじゃないの?」と言いたくなるものです。

 

「そもそも、何でそんなに苦しんでまで仕事をするの?」

仕事をすれば、給料を得られて、生きてゆける。

だったら、目的は「生きてゆくこと」ですよね。

なら、「生きてゆきたいがために、幾億もある仕事の中から、今のような苦しい仕事を続けて、耐え抜く」ことになると。

「他にもっといい手段があるんじゃないの?」と言いたくなるものです。

 

「そもそも、何でそんなに嫌な人と付き合っているの?」

その人と付き合わなければ、自分の地位が脅かされて、給料が下がる。

もしくは、夢が叶わなくなる。

だったら、目的は「給料を下げない、給料を上げる、夢を叶える」ことですよね。

すると、「他にもっといい手段があるんじゃないの?」ということです。

 

まとめ

だから、「正解」よりも「意味」が大切だ、ということです。

意味のない「正解」を求めるだけだと、子どもですら分かる「そんなの意味ないじゃん」が、見えなくなってしまうんですよね。

そして、「頑張れば何だってできる」みたいな根性論に、道を踏み外してしまうわけです。

そうではなくて、「試行錯誤をする面白さを生むもの」、すなわち「そもそもの意味」を考えましょうと。

 

すると、自分にとって「正解を得る」のではなく、「意味あること」ができるようになります

その「意味あること」には、失敗も多く含みます。

でも、失敗も、自分にとっては「意味あること」になるわけで、「ダメなこと」ではなくなると。

だったら、わざわざ「頑張る」なんて思わなくても、十分にはじけ飛ぶようなエネルギーが出てくるんですよ。

 

「ブランコをしたいんです。だから年収1億や億万長者になりたいんです!」

「安らぎが欲しいんです。だから私は、安らぐことはせずに、死にものぐるいで頑張らなきゃいけないんです!」

「我慢せずに生きられるようになりたいんです。だから私は、我慢しなきゃいけないんです!」

多くの人が、こんな無意味で支離滅裂なことを言っているんですよね。

 

「そもそも」という目的を考えると、これが見えてくるようになる、ということです。

そして、クリエイティビティーを発揮することで、自分に合った目的を、ぴったりとしたサイズで実現できるようになります。

すなわち、「正解」よりも、「意味」が大切だということですね。

 

ってことで、今日は正解よりも、意味が大切、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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